ザ・エレクトリカルパレーズの感想
大阪大学2011年度入学経済学部の「まさき会」はエレパレだよね?
(本当はこの一文で終わらせる予定でしたが、やっぱり書きたくなったので長く書きます)
どうも、今さら『ザ・エレクトリカルパレーズ』を観たのでその感想や、その感想に対する感想です。また見えない敵にマシンガンをぶっ放しています。
※『ザ・エレクトリカルパレーズ』とは
Youtubeのニューヨーク公式chで公開された2時間のドキュメンタリー"映画"。2011年入学の東京NSC17期生700人ぐらいの中に存在したと言われるグループ「ザ・エレクトリカルパレーズ」について、ニューヨークのニューラジオ作家の奥田泰とニューヨークが色んな人に証言をとっていく作品。あとは観たらわかるやろ、と言いたいところなのですが、ネットで調べても確信までちゃんと迫る感想が少ない。
この作品は学校生活におけるいわゆる"カースト上位"のグループを中心に、そのグループを外から見ていた人、グループの中にいて無邪気に楽しんでいた人、中にいたけど良くは思ってなかった人、中心人物、そして黒幕と、外側の人から取材してその証言をもとにだんだん中心に近づき、最後にその真相を暴く、という構成になっている。この中心に引き込まれていく構成が見事。奥田泰のこと、ニッポン放送で作家やってる頃はニューヨークのオールナイトニッポンがアルコ&ピースの入れ替わりで始まったりしてあんまりいいイメージがなかったけど、この映画で手のひら返してしまいました。ただ、中身が「カースト」「グループ」「陽キャ/陰キャ」みたいな普遍的な言葉でくくられるせいで、「エレパレは誰にでもある」という言説が動画のコメント欄や他の芸人の感想で散見されるのですが、俺としては普遍的な要素とそうではないエレパレの特異性というものがあり、それをごっちゃにしている人が多いから「誰にでもある青春」みたいな感想にあまり納得できないでいます。
普遍性と特異性
ザ・エレクトリカルパレーズは学校の同級生という上下関係のない集団に生じたカースト上位グループで、なんとなく仲のいい数人で集まるうちに仲間意識が高まり、グループオリジナルのTシャツや歌を作って自意識に繋げていった。グループに箔をつけるために、そんなに乗り気じゃないただ才能のあるやつをグループにいれたり、エレパレと対を成す取り巻きの女子集団もできて外野にいたオズワルド伊藤からはセックスサークルと揶揄されるものの本人たちは青春をしているという感覚が楽しく、その万能さが拡大していった結果ファミレスで起きた些細な事件でグループの絆が崩壊しかける。そして卒業した後、噂をきいていた先輩からいじられたり差別を受けることでグループを語るメンバーが徐々にいなくなり都市伝説化する。ここまでが誰にでも起こる普遍的な部分。この要素だけをみると確かに青春群像劇で、「確かにうちの学校にも1軍みたいなやつがいたなー」とか「肩身の狭い思いしたなー」とか、そういう感想は持てるし、それで「エレパレは誰にでもある」という言説が導き出されるのはわかる。ただ、エレパレの中には看過できない大きな特異性がある。
それはエレパレがNSCの中のお笑い優秀者で構成されていたこと。学校生活の自然発生的なカースト上位グループってまあある程度スポーツができるとかの基礎スキルはあるものの、単純にノリが合うか合わないかが基準だ。それに対し誰もが面白くなりたい!という夢を持って集まり、明確な「お笑いの序列」も存在しているNSCだからこそ、エレパレは自然発生だけでなく集団において優秀だった、だから憧れられる存在であり取り巻きの女の子たちもいた、っていうのは普通の学校生活には置き換えにくいけどね。そして、面白さを求める学校でありながらTシャツや歌を作るという全然面白くないことをやっている歪さが気になる。普通芸人になりたいやつらなんて全員尖っててクラスTシャツみたいな文化に嫌気がさしてるはずなのに、それを100%楽しんでるのが不可解すぎる。ただ無邪気に楽しんでた侍スライスの2人と中心人物のワラバランス宮崎はヤンキーすぎて楽しい学校生活が無かったから、遅れてきた青春を取り戻してた感覚って言ってたからそれはわかるけど。大学デビューに近い感じかな。でも20代後半でそれをやってるのはヤバい。
この普遍性と特異性を一緒にしちゃうと、エレパレという存在の面白さが消えちゃって残念でならない。ニューヨークや奥田泰がエレパレを追い始めたときは明らかに"コント"で、ずっと気になってたエレパレというヤバいグループをいじってやりたいという気持ちがあって、それは展開が進むにつれて薄れていくものの根柢には絶対あるしニューヨークも笑いながらインタビューしてる。それなのに単純な青春の儚さだけに焦点を絞って、感動したとか言ってるのはちょっといろんな要素を無視しすぎてはいないか、と思います。お笑いしたいやつらが学生ノリの激痛グループで名前決めたりシャツと歌作ったり、それを崇めている奴や取り巻きの女がいるなんて面白すぎるだろ。もっと特異性に目を向けて"お笑い"の眼差しで視聴しないともったいないよ。
俺のエレパレへの想い
嫌すぎる。こんなグループ、存在してほしくない。中学や高校にいるならわかるが、そのずっと先の、夢に向かって切磋琢磨できると思っていた集団にこんな怖い人たちがいたら不登校キメちゃうよ。多分ネットで感想寄せてる人の中にはカースト上位側の人がいて、「懐かしい」とか「経験したからこそ蓋をしたい」みたいな想いなんだろうけど、5chのニューヨークスレに本当か知らんけどNSC17期生の書き込みで「エレパレはネタ見せの授業でエレパレじゃない人がネタをすると『おもんない』『うわ、スベってる』とか大声出してた」っていうのがあって、もうこんなん普通に最低のグループだろ。よしもとが容認してるのもヤバい。卒業前のデニーズで店員ともめて卒業公演出れなくなったっていうガーリィレコード高井の証言でそこそこスッキリしてた俺は夏だった。
ちなみに映画の中でちょいちょいmixiの話が出てきますが、なんとmixiでコミュニティ検索するとエレパレのコミュニティが残っていて書き込みも閲覧できるのです!いつどこに集まってネタ見せしようとかそういうトピックもあるけど、面白いのは参加してる芸人のプロフィール。映画本編ではそんなに触れられてないけど、優しく言うと俺とは趣味が合わないというか、なんかいわゆる強者側の00年代後半臭のする文体、音楽の嗜好ってどうも俺は苦手だな、そんな感じです。あまり言うと炎上しちゃう。仕事のメッセージのやりとりで絵文字顔文字使う30代後半以上のやつ、全員一回考え直してくれよ。
俺の人生で出会ったエレパレ
ここからは先ほど述べた「普遍的」な部分にあえてフォーカスし、人生で出会ってきた「自意識とカースト意識の高そうな集団」を思い出してみます。見出しにエレパレとつけてますがただのグループについて。ちなみに俺は常にどの集団でも2軍かましてたし、2軍のくせによく喋るし授業中も大人しくしてるわけではないしで、よくいえば陰の陽、悪く言えばうざいやつでめっちゃ疎まれてました。
中学:普通にカースト上位のやつがいて、2-4の時はちょうど花男2が流行ってたから「F4」ならぬ「T4(トップ4?)」みたいに自称してた。別に自分たちとか生徒間で呼ぶ分には良いけど、英語の先生がそう呼んでたのが最悪だった。ちなみに俺は絶賛2軍かましてて(れなっちと実沙子に『気取らないグループ』とよばれていた)、T4のオックーとクラスの班長会議終わりに一緒に帰った時、「お前は面白いけどたまにキャラクターを超えてうるさいときがあるよな」って言われて、「いや別にキャラクター関係ないやろ」と思った。
高校:1年、2年とクラス全体で仲良くて均質な感じがすごく居心地よかったのですが、3年になった時に学年横断的なグループが形成されていて、それに対しては明確に2軍、下手したら3軍だった。そのグループにいたやつはみんな各方面への攻撃性が高まって怖くなっていって、図書館で受験勉強してた合間の休憩にベンチで他のクラスの友達と雑談している中で「あいつは変わったよなあ」みたいな話をよくしていた記憶がある。自分は広く浅く友達が多かったから、そういうつながりを認識する媒介になっていた。ちなみにそういうカーストとは別に、3年の体育大会のある組の応援団が恐らく最高だったんでしょう、そこがめちゃくちゃ仲間意識が高くなり、2010年8月から卒業後にかけて暴れまくっていました。メールアドレスに「その団の名前-fumetsu@」なんていれたりして、わりとエレパレみがある。
大学:
大阪大学2011年度入学経済学部の「まさき会」はエレパレだよね?
さようなら