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こわくないよ:愛がつなぐ記憶

物忘れの激しいことや、記憶力の弱いことを「鳥頭」といいます(私のことだと思います、苦笑)。
「ニワトリは三歩歩けば忘れる」と云うことわざによるそうです。ニワトリはわかりませんが、インコ、オウム、フィンチは「鳥頭」だとは思えません。

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いつもありがとうございます。鳥爺です。
命の重さと愛の深さを、一羽のヨウムから教わった物語をお話しします。

2000年。関西在住の40代の男性から切実な相談を受けました。3歳になるヨウムの引き取りをお願いしたいと。その理由は、飼い主さん自身の残された時間が限られていたからです。

毎日交わすメールの中で、その方の誠実さとヨウムへの深い愛情が伝わってきました。どうして、こんなに優しい魂を持つ人から、尊い命が奪われようとしているのか。その不条理さに胸が締め付けられました。

2月の肌寒い日、京都駅伊勢丹前で飼い主さんと対面しました。予想通り、鳥を心から愛する優しい方でした。ヨウムの性格や好み、日々の暮らしぶりを淡々と説明してくださいました。

そして、いよいよお別れの時。

それまで気丈に振る舞っていた飼い主さんが、突然、人目もはばからず号泣されました。これまで多くの鳥を引き取ってきましたが、こんなに心を揺さぶられる別れは初めてでした。私も涙をこらえるのに必死でした。

引き取ったヨウムは、3ヶ月の検疫を経て我が家で過ごすことになりました。愛情たっぷりに育てられた証なのか、とても愛らしい子でした。
そして、ヨウムは時折、飼い主さんの声で囁くのです。

「こわくないよ」

「こわくないよ」

恐らく、ヨウムを迎え入れた時から、安心させるために繰り返し掛けていた言葉なのでしょう。同時に、飼い主さん自身も死の恐怖と向き合いながら、自分に言い聞かせていたのかもしれません。

我が家を経て、TSUBASAの施設で過ごすうちに、ヨウムは「こわくないよ」と言わなくなりました。代わりに、新しい言葉を次々と覚えていきます。さすがヨウム、その知性に驚かされます。

しかし、2001年8月、160羽以上の鳥たちが暮らす千葉CAKに引っ越した時のことです。初めての環境、見知らぬスタッフたち。その不安の中で、ヨウムは久しぶりに口にしたのです。

「こわくないよ」

その瞬間、私の目に涙が溢れました。ヨウムは忘れていなかったのです。あの優しい飼い主さんの声を、その愛情を。

鳥たちの記憶力の素晴らしさ、そして状況に応じて必要な言葉を選ぶ能力。しかし、それ以上に心に残ったのは、種を超えた深い絆の証でした。

今、このヨウムは新しい仲間たちと幸せに暮らしています。そして時折、「こわくないよ」と囁く姿に、私たちは命の尊さと愛の永遠性を感じずにはいられません。

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