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「あの鳥?」から学んだ尊さとは?

この記事は10月12日にTSUBASAのブログ「みらくる日記」に掲載した記事の転載です。

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いつもありがとうございます。松本 壯志です。

 私ごとですが、
我が家のコウやんは、朝晩の放鳥のとき、よくおしゃべりをします。
「おはよう」、「コウやん」、「こんにちは」、「ホ~ホケキョ!」、「ポッポッポー、ハトっ、、(まだここまでしか歌えない💦)」
そして、べらんめー調の意味不明なことをおしゃべりした後に、必ずあの鳥の名前を連呼します。

(我が家のコウやん@オオキボウシインコ)

そういえば2週間ほど前からコウやんは、あの鳥の名前を連呼しなくなりました。
コウやんは私が長期に体調を崩した時、TSUBASAでお世話をしてもらいました。
そのとき、あの鳥と一緒に暮らしていました。
仲がいいか、といえばそんなことはありません。
コウやんはいつも独りでした。
にも関わらず、あの鳥の名前ばかり連呼するのはなぜでしょうか!?
TSUBASAにはトキちゃんもいればシロちゃんもいる。
モモちゃんもレオナも、他にもたくさんの鳥がいるのに、他の鳥の名前を呼ばずに、なぜあの鳥の名前ばかり連呼するのでしょうか!?
 
そう、あの鳥は2002年、当時千葉県富津市に拠点を構えていたTSUBASAにやってきました。
 
特定の鳥のことを書くことは他の鳥たちに申し訳ない気持ちがありますが、特別な鳥でもあるので今回ブログに書かせていただきました。
ちょっと長い文章になりますが、お時間があるときにお読みいただけたら嬉しいです。
 
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懇意にしている獣医さんの紹介で、2羽の鳥を引き取りました。
鳥の種類は2羽ともキエリボウシボウシインコ、、、のように見えました。
 
ボウシインコ??
 
たしかに見た目はボウシインコ。
しかし、本当にインコなのでしょうか??
 
というのがこの2羽の鳥を見た時の私の第一印象でした。
 
TSUBASAにやってきた2羽の鳥の1羽があの鳥、そうオールドです。
一緒に暮らしていたのがニュー。
オールドは38歳、ニューはたしか36歳だったと思います。
 
はて??
 
この2羽の名前、不思議だとは思いませんか?
最初の子をお迎えしたときに、次の子がくることを予想して「オールド」と名づけるのでしょうか?
そして約2年後にお迎えした子が「ニュー」、、、、!?
 
当時、不思議マークだらけでした。
 
それにしても2羽ともは羽艶が悪く、特にオールドは嘴が異常に長く伸びていました。
それでも獣医さんに切ってもらったばかりの状態です。

(なぜかこの姿勢?が好きなオールド)

なぜ、こんなに嘴が長いのでしょうか?
 
実は飼い主さんも知らなかったようです。
今までは嘴がある程度伸びたところで、近くの動物病院で嘴を切ってもらっていたとのこと。
そしてある日、いつものように嘴を切りに連れていったら、その動物病院がお休みだったそうです。
そこで別の動物病院に行ったところ、その病院が前述した鳥の専門病院でした。
診察で嘴が伸びるのは内蔵系に問題があるようで、その原因と思われるのが食事でした。
 
オールドとニューの主食はヒマワリの種でした。
毎日、毎日、そして36年以上もヒマワリの種を食べ続けていれば、当然栄養が偏り、発情を促したり、肥満になったりするでしょう。
その結果としてオールドの場合、嘴が異常に伸びてしまったのではないかと思われます。
 
でも、これは飼い主さんが悪いのではありません。
日本中のすべてにおいて、当時の中大型インコやオウムの主食はヒマワリの種だったからです。
私も1996年にCAP!をオープンするまで何も知らず、お世話していた鳥たちに、何の疑いもなくヒマワリの種をあげていました(その当時にお世話していた鳥さんたち、ごめんなさい!)。
 
飼い主さんと獣医さん、そしてTSUBASAとの話し合いの末、オールドとニューを引き取ることにしました。
オールドとニューはお迎え後、予想以上に早くTSUBASAの環境に慣れてくれました。
特にオールドは、よくおしゃべりをするし、よく歌を歌います。
歌を歌うときは、「高らかに歌い上げる」感じです。
このような状況を見て、前の飼い主さんと一緒におしゃべりをし、一緒に歌を歌っていたのだろう、と微笑ましく思いました。
 
しかし、残念ながら若い方のニューが、先に亡くなったしまったのです。
36年以上、一緒に暮らしてきたオールドにとっては、とても悲しい出来事だったと思います。
その証拠に、いつものようにおしゃべりをし、いつものように高らかと歌い上げることがなくなりました。
私たちはオールドの悲しみに寄り添いたくても、どうしていいかわかりません。
早く今までのオールドに戻ってきてほしいと願うばかりでした。
 
さらに私たちには心配がありました。
若いニューが先に逝ってしまったということは、同じ食事を食べ続けたオールドも、近いうちに同じ運命を辿るのではないかと案じたからです。
もちろん、オールドもニューもペレットへの切り替えも済み、毎日6~8種類の新鮮な野菜、果物を食べてもらっていました。
ニューの逝去は悲しく残念でしたが、残されたオールドにはニューの分まで長生きしてほしいと願いました。
その願いが通じたかどうかはわかりませんが、オールドは日増しに元気を取り戻し、以前のようにおしゃべりや歌を高らかに歌えるようになりました。

(千葉県富津市の施設にいたときのオールド)

2012年2月。現在のとり村(埼玉県新座市)に引っ越しました。
とり村というネーミングに合わせ、「村」なので「村鳥」が必要です。
そこで初代「村鳥」をオールドにお願いすることにしました。
オールドが快諾したかどうかは私たちには知る由もありませんが、不思議なもので「村鳥」としての風格がでてきたような気がします。
 
オールドは2004年に千葉・富津市(通称:CAK)で40歳を迎え、2014年埼玉県新座市のとり村で50歳を迎えました。
私たちはオールドをお迎えしたことで、高齢鳥との向き合い方やお世話の方法などを学びました。
 
そんなオールドも55歳を過ぎたあたりから、ときどき体調を崩しました。
そして昨年58歳を迎えたあたりから、体調が深刻に悪化してきました。
オールドは何度も危篤状態になりました。
考えてはいけない、と思いつつも、これがオールドとの最期のお別れでは、と思ったことが何度もありました。
 
私たちはオールドがここまで頑張ってくれた感謝の気持ちと、できれば還暦を迎えてほしいという願いを込めて、昨年JAMMINさんとのコラボで、ボウシインコをデザインしていただきました。
そのデザインはボウシインコが羽を広げ飛んでいます。
TSUBASAに来た時からほとんど飛ばなかったオールドが、空高く気持ちよく飛んでいるイメージを、私なりに重ね合わせました。

JAMMIN様のデザイン

願いが通じたのかもしれません。
オールドは還暦(2024年)を迎えることができました。
それでも危篤状態が何度かありました。
そのたびにTSUBASAの獣医師やスタッフが昼夜問わず、懸命な治療やケアをしてくれました。
その想いに応えるかのように、オールドはまた元気な姿を取り戻しました。
 
そんなオールドを見ると、心の中が揺れ動きます。
「オールド、頑張れ!!」
と励ましている自分と
「オールド、もう頑張らなくてもいいよ」
と思っている自分が、、、。
 
そして来るべき時が来ました。
 
オールドの訃報です。
 
ずっとお世話してきた獣医師やスタッフ、もちろん私も看取りたかった。
しかし、オールドはそんな気を遣わせないように、私たちがいないときに一人で旅立ちました。
 
訃報を聞いて、とり村に駆けつけました。
オールドはすでにTSUBASAの仏壇に安置されていました。
その横顔は安らかでした。
 
38歳まで個人のお宅で、ニューと共に可愛がってもらったオールド。
その後22年間、TSUBASAの施設で暮らしきたオールド。
オールドにとって自分の鳥生はどうだったのでしょうか?
聞いてみたい。
話をしたい。
そんな想いで、仏壇の前のオールドに手を合わせました。
 
10月12日。
今日はオールドの四十九日。
 
オールド、
あなたは私たちに、高齢鳥の素晴らしさと難しさを教えてくれました。
あなたは私たちに、鳥、人に関係なく、尊い生き様を見せてくれました。
あなたは私たちに、命のバトンのリレーを教えてくれました。
あなたは私たちに、数多くのことを学ばせてくれました。
 
あなたは、TSUBASAにとって、いや、鳥業界にとって尊い存在でした。
私たちは、あなたから学んだことを守り、これからも実践していきます。
そして、一羽でも多くの鳥さんと、一人でも多くの飼い主さんが幸せになりますように最善を尽くします。
 
オールド、
これからも初代「村鳥」いや「尊鳥」として、世界中の鳥たちと、愛鳥家の皆さんを見守ってください。
 
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました
 
オールドやすらかに
 
合掌

(いつも仲良しのツン(左)と放鳥を楽しむオールド:近影

【追記】
最初の話に戻ります。
なぜコウやんはオールドの名前を連呼しなくなったのか!?
その理由はわかりません。
もしかしたら、、、、
オールドとコウやんとの間に、生死を超えたコミュニケーションがあったのかも、、、??
 
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
                                    

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