【Outer Wilds二次創作】流動閉鎖領域
* * * *
雑音まじりのなじみの声が流れ、穏やかなまどろみの時は終わった。
キャンプの焚き火がぱちぱちと爆ぜている。降りしきる小雨の無数の粒が炎へと果敢にとびこんで、消える。
酸素、燃料、その他測定値、おおむね異常なし。目を開けてすぐにまばゆい閃光が空に見えた気がしたが、一瞬のことだった。たぶん、いつもの稲光だろう。
「こちらは木の炉辺管制局のHornfels。Gabbro、応答せよ」
呼びかけが繰り返される。
荷物をかついで立ち上がり、歩きながら、無線機のマイクに話しかけた。
「ハロー、管制局。こちらはGabbro。巨人の大海は今日もいい天気だよ」
「出るのが遅いぞ。なにか問題は起きてないか?」
雨と海水に濡れた坂道を下りながら、うーん、とひとつ唸ってみる。
「報告の前に確認しておきたいんだが、Hornfels。いま近くにSlateはいるかな」
「いないよ、私だけだ。Halなら下にいるが」
「それなら良かった。なるべく怒られない言い回しを考える余裕がなくてね」
「探査艇になにかあったのか?」
「はぐれた」
「!?」
「伝えてた通り、例の彫像島を再調査するつもりだったんだが、巨大竜巻の近くを飛んでたら急にコントロールが効かなくなってね。Micaのモデルロケットよりも始末に負えなかったよ。私に似て繊細なやつだから、巨人の王の怒りのごとき風の壁に畏怖して縮こまってしまったのかもしれないな。かわいそうに」
「文学的修辞はいい。お前は無事なのか?」
こういう時に飛行士のほうの心配を優先するのが、Hornfelsのいいところだと思う。
「竜巻につっこんでバラバラになる前に、どうにかハッチをこじあけて海に飛び込んだ。キャンプの島まで泳ぎ着いて、いまはハンモックを掛けるのによさそうな場所を探しながら歩いてる」
「バイタルは問題ないんだな? 探査艇の位置信号は検出できるか?」
「いや、消失した。でも私のほうの測定機器が壊れただけかもしれない。破損検出もなかったのに急にぷっつり途切れたから。寝床を確保してから点検しようと思ってたんだ」
スピーカーからHornfelsの特大のため息が洩れた。
「……。ともかく、命があってなによりだ」
「Slateもそう言ってくれるよう根回ししておいてもらえると、もっと寿命が伸びるね」
「ばかを言うんじゃない。あいつだってお前たちが無事に帰ってくるのを一番に願って力を尽くしてるんだぞ。そのはずだ」
末尾の一言がHornfelsとSlateとのつきあいの長さを物語っている。
もちろん私だって、Slateがパイロットの命をいくらでも付け替えのきくマシュマロ扱いしている、なんてことは思ってない。宇宙工学にかける情熱が先走るあまり、安全っていう言葉を遥か後方に置き去りにしがちなだけだ。
そこからはいつものHornfelsの長話がつづいたので、ハンモックの設置作業がはかどった。
周辺の酸素供給量を確認して、ヘルメットを脱ぐ。計器類をひととおり見てみると、通電しなくなっている箇所が見つかった。
やっぱりこっちの故障だ。いいね。断末魔を響かせるひまもなく探査艇が四散したとか、あるいは音も光も検知できない不可視領域に迷いこんだとか、そういう可能性はぐっと低くなった。
とはいえこれは部品交換が必要だな。耳の後ろをぽりぽり掻いた。掻きたいところをいつでも掻けるのが素顔のいいところだ。
「……それで、そう、とうとうあのひよっ子に発射コードを渡す日が来たよ」
それが耳に入って、手を止めた。
「ああ、今日だったのか。ちゃんと飛び立った?」
「なんとかな。宇宙に出たら何をしたいかと聞いたら、『出たとこ勝負さ!』だと。心配でしかたない」
「ハハ、Feldspar式だな。若い奴らはみんなそうだ」
「私からすればお前もたいして変わらんよ。まったく、まずは無事に行って無事に帰ってくるだけでいいんだ。初飛行の成果としてそれに勝るものはない」
「私にもそれくらいリラックスできる言葉をかけてもらえないものかなあ」
「宇宙空間でも眠れるような奴をどうやってこれ以上リラックスさせろと言うんだ? そんな言葉の持ち合わせはないぞ」
オールド・スペイシーの件か。まったく、あれはちょっと目を閉じて精神的宇宙の深層へ意識を飛ばしてただけだって言ってるのに。
「とはいえ今回は、探査艇を見つけたらそれ以上深追いはせずに帰ってこい」
間を置いてHornfelsは言った。「お前までFeldsparのようになることはない」
風の音が強くなった。竜巻が近づいている予兆だ。
「巨人がまた鼻息を荒げてきた。いったん切るよ」
ヘルメットをしっかり被りなおし、無線機を回収する。
海上を見回した。彫像島が近くに流れてきている。
あそこはNomaiの遺跡がある。計器の修理に使えるものが見つかるかもしれない。腰掛け椅子から深宇宙衛星まで、ありものでなんでもどうにかするのがHearthianの行動学だ。もともと行こうと思っていた場所だし、リラックスするのにもちょうどいい。
リトル・スカウトの発射ランチャーを構え、彫像島めがけて射出した。着陸ポート付近に取りついたのを目視で確認する。
「いい子だ」
スカウトの位置測定には問題は起きていない。海に飛び込み、信号をたどってスイミングする。
さほど苦労せず、というのはこの星の探索中に起きた色々と比較しての「さほど」だが、ともかくトラブルなく泳ぎついた。水中から陸に上がる時がけっこうつらい。重い空気抵抗と木の炉辺の2倍の重力が、一気に全身を押さえつけてくる。まあでもこれくらい大したことはない、宇宙プログラムのパイロットの双肩にかかる期待の重さに比べたら。こういうことを言うと新人飛行士は尊敬のまなざしをくれるが、Hornfelsからは量子物質でも見るみたいな目で見られる。
自然の岩のアーチでつながった2つの島。私が彫像島と名づけたこの陸塊は、先んじて巨人の大海を探索しているFeldsparの報告の中にもめぼしい言及がなかった。Feldsparが来た頃にはまだこの島のほとんどが砂に埋もれていて、ごく最近になってから竜巻でほじくり返されたのかもしれない。
崩れた橋を飛び越えた先に扉がある。Nomaiの工房の入口だ。開閉装置が壊れているためここからは中に入れない。
その手前には、横たわる一体のNomai像。
「やあ。久しぶり。調子はどうだい」
3つの目をおごそかに伏せたまま、像は浜辺の砂に横顔を預けている。
こいつとは、前回この星を訪れた時に出会った。ここのNomaiの工房で製作されたものだろう。
この彫像とまったく同じものを、やはり前回の飛行でたまたま釣り上げ、木の炉辺へ持ち帰った。重かったんでちょっと腰をやった。
「これだけ仕事をしたんだから3ヶ月は寝ててもいいと思う」
と私が控えめに申請したら、Hornfelsはにこにこしながら言い放った。
「君の友人としての私はやぶさかではないと思うが、管制官であり博物館長としての私は、あの恐ろしい星でこんな偉業を成し遂げる有能かつ心身強健な宇宙飛行士に、無為に時間を過ごさせるベッドはないと言っている。心配するな、もちろん必要な休みは取ってもらうよ。マシュマロを山ほど差し入れてやるからな!」
私の中の「休みを取った」の定義にはおよそ該当しないインターバルを経て、私はまたこの星に来ることになった。だから私にはここで必要なだけ休養する労働義務がある。
滅びさった先人の体温までも感じさせるような、この精巧な彫像は、なんらかの目的をもって複数製作されたものらしい。異種族の彫刻家が霊感にみちびかれて鑿をふるった芸術品ではなく、厳正な規格にしたがって作られた製品というわけだ。
「昔々の、お前さんの作り手も、期待に応えようと努力したのだろうね。つねに一定の品質を保つってのは、他人が思うより大変なことなんだ」
私の語りかけを、寝たふりして無視を決めこむみたいに目をつむっていた像は、そのとき唐突に私を見た。
3つの目が見開かれ、光を放つ。夥しい、青い文字のような光が、私の身体から吸い上げられて──彫像に注がれる。
映像が流れる。
私は焚き火の前にいて、無線機から雑音まじりのHornfelsの声が届く。私は応答する、「ハロー、管制局。こちらはGabbro。巨人の大海は今日もいい天気だよ」。Hornfelsのおしゃべりが続く、「宇宙プログラムの発展のため、私が日夜どれだけ努力しているか……」。私たちは今日旅立ったばかりのひよっ子の話をして、帰ってこない奴のことを思い出す。「お前までFeldsparのように……」。リトル・スカウトを発射する。海に飛び込む。自然のアーチがつながった2つの島。私は浜辺に横たわる彫像を見る。「昔々の、お前さんの作り手も……」
彫像の目が光り、私を見る……。
そこで映像は終わった。
開かれた3つの金色の目が、じっとこちらを見つめている。
いま見えたのは、ここ数分のできごとだった。私の目を通して見たものを逐一カメラで撮影し、聞いた言葉や話した言葉をひとつも漏らさずレコーダーで録音していたような、完璧な再現。なにか聞いた覚えのないHornfelsの愚痴も混じってた気もするけど。
私はNomaiの彫像を見つめ返した。
「お前、いま私になにかしたかい?」
石くれの異種族は、答えない。
ふむ、と考えて無線機の電源を入れた。Hornfelsはわりとあの像を気に入って、「このままでもじゅうぶん美しいが、目を開けている姿も見てみたい」とか言ってたので、いまの体験を報告したら喜びそうだ。
そう思って詳細を伝えたのだけど、
「つまり、またとんでもない所で居眠りして、変な夢を見たというわけだな」
ひどい。
「Hornfels、君はすぐそういうことを言う。ちゃんと目を開けていたよ。私は宇宙飛行士である前に眠りのプロだ。夢と現実の区別については一家言ある。彫像のほうはいまも目を開けて私の様子をうかがっている、まるで意志を持っているかにすら見えるね。この静寂の廃墟の島で、遥か昔に眠りについたNomai文明の忠実な守り人が、悠久の時と種族の隔たりを超越して私を出迎えてくれたのかも」
「しゃべりすぎて死ぬ前に木のある場所を探して、酸素タンクを補充しておけ。私は忙しい。Halがさっきから下で呼んでいるんだ。切るぞ」
とてもひどい。
私は像を見やった。横たわったまま3つの目で私を見つめるその顔は、君も大変だね、と言ってくれてる表情に見えなくもなかった。
それにしても奇妙な、特別な体験をした気分だった。とりあえず身体に害はないようだ。さっきの映像がただの白昼夢だったとしても、現実に目は開いてるのだからくわしく調べておきたいが、まずは探査艇を見つけられるようにならないと。
重力水晶づたいに岩壁を回り込み、Nomaiの遺跡跡に着いた。やむことない雨に濡れた廃墟は、滅びもまた美しいと思わせる存在だ。
前回の調査では彫像を持ち帰るのを優先したから、このあたりはまだ探索しつくしていない。屋根の崩れた建物に入る。ここの床は格子細工になっていて、下に空間があるのが見通せる──位置的に、島の浜辺にある壊れた扉を入った先の場所にまちがいない。
ただ、このあたりにも降りていけそうな場所はない。壁にある先人の文字が私に読めれば、道案内を得られたかもしれないのだが。
床下にはかなり広い空間が広がっていて、中央は水が溜まっている。薄暗くて寝心地のよさそうな場所だ。修理の役に立たなくてもじゅうぶんに行く価値はある。
風の唸りが聞こえた。
「忙しないね」
肩をすくめて、いったん竜巻シェルターに退避した。ほどなく周囲が青白く発光する。光が発生している間、この島は上を下への大騒ぎの最中だが、このつつましい光のカーテンに守られた空間は静寂そのものだ。
短時間の睡眠作業を終えてから、シェルターを出た。格子床からふたたび下をのぞきこんで、ふと変化に気づいた。中央の水溜まりの水位が、さっきより増えているようだ。
ということはおそらく海と繋がっている。海から島底に回り込んで、通り抜けられる程度の穴がないか見てみるか。
格子床の隙間からスカウトを床下へと送り込んでおく。来た道を戻り、途中の崖からダイビングを敢行する。
雲に覆われた巨人の大海の、海中はさらに重く暗い。岩底から島の木々の根がいくつも伸びている。そいつを安全索がわりに掴みながら進み、勇敢なるチビ偵察機くんとの待ち合わせ場所を目指す。
その時、頭上にかすかな圧を感じた。
ほぼ直感でジェットを操作し、島の岩底にぴったり背中を張りつけた。直後、がんと強い衝撃を背面から受け、滝壺に落とされるみたいな速さで体が島ごと海の底へ向けて下降した。
下降は少しで止まったが、危なかった。島底と私の体の間にあともう少し隙間があったら、先人の遺産を積んだ陸塊にヘルメットを粉砕されてたかもしれない。ラッキーだ。
とはいえ……今の状況はそこまで掛け値なしにラッキーなやつじゃない。
岩底に体が張りついたまま、身動きがとれない。太陽の光もまるで届かず、ヘッドライトが照らせる範囲も木々の根に遮られている。わずかな隙間から、見るも恐ろしいけだものの触手、と私がSpinelに伝えてみたあの生き物がちらりと見える、そいつが海の底へ沈んでいく。
ここは……そうか。
思いつくかぎりの方法を試しても、通り抜けられなかった潮流。その中にこの島はある。どうして? 理由はわからない。竜巻が気まぐれを起こして、陸塊を空に巻き上げるのではなく海底に送り込もうとでもしたんだろうか。
ともかく、私の体はこの島とセットで海中に没し、おそらく強い潮流によって、島底に押しつけられている。この星の重力が小さなGalenaの握手に思えてくるみたいな水圧で。
渾身の力でランチャーを構え、スカウトを戻してすぐまた発射する。射出の反動で脱出できないか試したんだが、どの方向にどう飛ばしても無駄だった。
これは、かなりよくない。
無線機は……使える。故障を言い訳に私が定時報告をさぼらないようにとSlateにねちっこく改造されて、ありえないほど過酷な条件下でも電源が入るようになったから。どうにかマイクを口元に近づけ、送信ボタンを押した。
「管制局、こちらはGabbro。ちょっと緊急事態だ」
酸素はまだじゅうぶんにある。木の炉辺からの救援を呼べばどうにかなるだろう……たぶん。Tuffのウインチで引き上げてもらう自分を想像した。前に無重力洞窟でからかったことを忘れててくれたら幸いだ。
が、管制局からの応答がない。Halに呼ばれてると言っていたが、あっちはあっちで何かトラブルでも起きたか。Marlがとうとう例の木を切り倒したとか、Porphyがべつのやつと付き合いだしてGossanが死ぬほど落ち込んでるとかそういう。
しかたない、竜巻がまたやってきてうまいこと吸い上げてくれるまで、なるべく呼吸を少なくして待つか。
そう思った矢先に、いやな音がした。
水中で、呼吸装置から二酸化炭素を吐き出すゴボゴボという音、あれをもっと大きく不吉にした音。
いくつもの特大の泡が流れて、消えていく。
「……ああ」
酸素タンクに穴が開いたのか。
残量ゲージが見たことのない速さで削れていく。すぐに非常用の予備タンクに切り替わるが、そっちはせいぜい3分しかもたない。
「管制局。誰かいないか」
呼びかけて、目を閉じて、耳を澄ました。きっかり30秒、数えた。
応答はなかった。送信ボタンをもういちど、押した。
「オーケー。あとでレコーダーを再生して聞いてくれ。急ぎの用事じゃないから」
これで終わりなんだなと、ふんわりと思った。思うことにした。思ってしまえば気分は落ち着いた。頭の横でそよそよ揺れる木の根の先を撫でながら、続きを話した。
「こちらはGabbro。巨人の大海にいる。潮流の中に閉じ込められてる。たったいまタンクが破損して、酸素がもうない。量子物質なみの瞬間移動で助けが来たとしても、ちょっと間に合わなさそうだ。遺体の回収は諦めてくれていい。探査艇は海面近くで迷子になってると思うから、見つけて連れ帰ってやってくれ」
気のめいる報告を済ませ、それからは、こういう時のためにひよっ子の頃から用意してた言葉を並べていく。こういう時にそう振舞おうと予定していたよりは、情けない顔をしてたかもしれないけれど。
「いままでの航行記録は自由に見てもらってかまわない。ただ探査艇の中に手書きのノートをしまってあるんだが、そっちはあんまり読まないでほしい。つくりかけの詩を見られるのは恥ずかしいから。私の樹液ワインがまだ残ってたら、墓前に1杯よろしく頼むよ。それじゃ、みんな、おやすみ」
無線を切った。機械のノイズが消えて、自分の呼吸音だけが響く。
最後にだれとも話せないまま独りで死んでいくのが、嫌じゃないというと嘘になる。ただHornfelsの、自分が発射コードを与えた相手がもう二度と帰ってこないとわかったときのあいつの、あの悲しい声を聞かなきゃならないのはもっと嫌だ。だからきっと、これでよかった。
手足がしびれる。耳鳴りがして喉が苦しい、それと頭痛に吐き気の諸症状。吸い込む空気が用済みばかりになるとこんなふうになるのか。思ったよりもひどいもんだ。
なるほど、こいつは新しい体験だね。新しいものは大好きだ。この先に待っているのもそう、新しい体験だ。なあHornfels、村のおチビちゃんたち、Feldsparだってまだ知らないやつだよ、きっと。
……そうだな。でも、やっぱり少し寂しい。
宇宙服のボタンをひとつ押した。この暗い海底に囚われていた私は、その瞬間に解き放たれて星の外へ飛び出した──そんな感じにこの星系のマップが広がって、さえない視界を埋めつくした。
うん、何度見てもいいね。
オールド・スペイシーの目を通して送られる、いまこの瞬間の宇宙の姿。私の好きなものはみんなそこにある、ちょっと見分けがつかないくらい小さいだけで。
ただ──ゆっくりズームアウトして木の炉辺を探そうとして、べつのものが目についた。
太陽が、赤く、大きい。異常に。
膨らんでいく。ぶよぶよした傷口から血が染み出していくかのように。みるみるうちに広がって、いまにも砂時計の双子星を飲み込みそうだ。あそこにはChertがいるのに!
Chert、そうだ、あいつの研究で見た。恒星がその死を迎えたときの姿。まさかそんなことが、今?
膨張した太陽が、こんどは収縮する。小さな、アトルロックよりも小さな、青く輝く点になる。そして一気に弾ける。
マップデータが眼前の現実に切り替わり──轟音。すべてが白く包まれて、それから闇が訪れた。
どこでもない暗闇に、私はいた。3つの目をもつNomaiの仮面が眼前に浮かびあがる。
遠くから、青い光の奔流が放たれた。光は文字で、それが体に注がれるたび、私の目を通して見たものが逆さの流れで再生される。私の記憶を、光は、私が思い出をしまっておく場所へ、ありったけ放りこんでいく──。
4つの目をゆっくり開けた。
ぱちぱちと爆ぜる焚き火の前で、私は座っていた。
キャンプを張った島だ。酸素もジェットパックも満タン。探査艇を検出できないこと以外、なんにも問題はない。頭のずっと上のほうでなにか光がひらめいた、雲間をわたる雷だろうか。
……。生きてる?
体にくっついた酸素タンクは、穴なんて開いたことないと言わんばかりの存在感でそこにある。
いまのは夢だったのか?
夢にしてはずいぶん……鮮明だった。岩のかたまりみたいな水圧とか、空気がどんどん抜けていく音とか、ずっと無線のボタンを握りしめていた手の感覚を、まだはっきりと覚えている。
「……こちらは木の炉辺管制局のHornfels。Gabbro、応答せよ」
雑音まじりのなじみの声が流れる。
そのまま、視界の端で光る無線機のランプをぼんやり見つめていた。無視するつもりはなかったんだけど、力が入らなかった。さっきからずっと焚き火に当たっているのに、体がちっとも温まらない。
3度めの呼びかけで、ようやくマイクに手を伸ばした。
「ハロー……」
「なんだ、また居眠りしてたのか。探査艇はちゃんと繋留したのか? 流されでもしたらSlateが怒り狂うぞ」
ん?
「Hornfels、ものすごく忙しいのかい?」
「うん? まあ暇じゃない、やることはいろいろあるさ。なんだ、急に?」
「いや……」
私は耳の後ろをぽりぽり搔いた。正確にはヘルメットの酸素ホース連結部の後ろだが。
「私が君の話を聞いてないのはいつものことだけど、君が私の話をぜんぜん覚えてないっていうのは、あんまりない気がして」
「聞け、人の話を。いや、どういう意味だ? お前たちからの報告はいつもきちんと録音やメモを取っているぞ、どんなくだらない報告でもな」
「……」
そのあたりからもう夢だったのか。
いや、でも、どうだろう? まだ何か違和感がして、言ってみた。
「Hornfels、君、死んだりしてない? たとえば星の爆発みたいなことで」
答えはすぐに返ってきた。
「幸いなことにまだ星を崩壊させるレベルの災害を起こせるロケットは、SlateもMicaも造れてない。なんだ、そっちは何か事故でも起きたのか? まじめに報告しろ。無事なのか?」
「うん、まあ、無事に生きてるみたいだよ。今はそう……キャンプ地だ。特に問題は起きてないらしい」
いろいろを端折って言った。Hornfelsは特大のため息をついた。
「無事ならいいが。まったく、これからあのひよっ子に発射コードを渡すところなんだ。私は迷信深いほうじゃないが、あまり不吉な言い方をするな」
「……ひよっ子はまだ飛び立ってない?」
「お前も知ってるだろ? SlateとGossanの許可が降りても、私が発射コードを渡さない限り、だれも発射台のリフトを動かせやしない」
「……。そうだね」
「まったく、安全な場所で休息する分にはかまわんが、無線にはちゃんと出るんだぞ」
「そっちだってぜんぜん出なかったくせに……」
いらないことを言った。
そう思った瞬間に、心外きわまるというHornfelsの声が飛んできた。
「何を言ってるんだ? 私は移動するときだって無線機を持ち歩いてる、30秒以内に出なかったためしがないだろう! 宇宙プログラムの発展のために、私がどれだけ日夜努力しているか……」
そこからは向こうが送信ボタンを握りっぱなしで、いつもの長話がつづいた。うんざりして、けれどなにかやっと、自分の体温が戻ってきたような気がした。でもやっぱり長くてうんざりしたので、一瞬こちらに送信権が渡ってきた隙に、信号干渉でよく聞こえないことにして無線を切った。
それが──最初の終わりで、繰り返しの始まりだった。
* * * *
キャンプの真上、はるか天空でなにかの光がひらめく。
ハンモックの結び目をすっかり締めて、その上に横になり、フルートを3小節ばかり奏でる。猛々しい螺旋の風が水平線に頭を出し、この島の平和をおびやかすのは、ちょうどそれくらいの頃合いだ。
5、4、3、2、1……離床。
私の体は、このささやかな楽園ごと逆巻く風に舞い上げられる。重力のくびきを外されて、与えられる完璧な静寂と浮遊感。けれどそれはほんの一瞬で、あとは癇癪もちの芸術家の手になる悲しい失敗作のごとく、海面へ叩きつけられる。
私の体は沈んでいく。ビロードのように柔らかな闇から、粗織りの古びたハンモックへ。
気分はそう、悪くない。
「……こちらは木の炉辺管制局のHornfels。Gabbro、応答せよ」
雑音まじりのなじみの声が無線機から流れる。フルートを止め、ハンモックから身を乗り出して、マイクを手繰り寄せる。
「ハロー、管制局。こちらはGabbro。巨人の大海は今日もいい天気だよ」
「出るのが遅いぞ。なにか問題は起きてないか?」
「ああ、いたって変わりばえのない、静かで平和そのものの日々さ」
私の時間は、いつもだいたいそんな感じで始まって、繰り返す。
「おっ、相棒じゃないか! 今回のループじゃ宇宙はどんな感じだ?」
「『どんな感じだ?』じゃないだろ!?」
探査艇から転がり落ちて駆けてきたひよっ子は、沸騰したヤカンが走って来るみたいだった。いいリアクションだ。
「なんだあれは! 私は死が迫っててもそんなに冷静でいられるコツを教えてほしいって言ったんだ! 本当に殺す奴があるか!」
「それを言いにわざわざ戻ってきたのか? ふむ、なにごとも実践だってコーチから教わらなかったのかい。それに人聞きが悪い、ちゃんと言ったろ? あれは瞑想だよ。時間の観念を忘れ、星が吹き飛ぶ程度のできごとじゃ目覚めないくらい深いまどろみに沈むだけさ」
元気な若者のさえずりを伴奏にして、私は演奏の続きをはじめた。
超新星爆発がもたらす、この星系の終焉。そんな絶対的な死のビジョンのあいまに差しはさまれる、記憶の再現。
これはもしかして本当に死ぬのを繰り返してるんじゃないだろうかとあらためて疑いだした頃、ひよっ子がこの星に現れた。
ひよっ子と私はたがいの体験を話し、疑いは確信に変わった。私たちは、太陽が爆発するまでの22分をループしている、たぶん私とひよっ子だけが、そのことを覚えている。
探索半ばだった彫像工房をひよっ子が調べ、さまざまなことがわかった。どうやらNomaiたちはあの彫像を使い、記憶を保存し転送する技術を確立したらしい。彫像に見初められた私とひよっ子が、その技術に巻き込まれたというわけだ。
つまりこいつが何度も死ぬ目に遭っているのは私のせいでもあるのだが、まあ、それについて苦情を言われたことはない。宇宙服を着こんで操縦桿を握ったその後に、どこに行って何をしようが、最終的にはそいつの意志だ。私が気にすることじゃない。
そんなようなことを前に、他人に向けて言ったこともあるから、私がそういう思考法を保持しないのは無責任というものだろう。
好奇心旺盛なひよっ子は、星系のあらゆる場所の探索に燃えている。このループの謎を解き明かすこと。太陽の爆発を止める方法。Nomaiがなぜこの星系に来たのか。彼らの文書に記された宇宙の眼とは、いったい何なのか。それからあの偉大な英雄は、いまどこにいるのか。
EskerやRiebeck、Chertにも会ってきて、ひとつ知るたびに行きたい場所が増えているようだ。
迷子になっていた私の探査艇も、巨大竜巻の近くで見かけたと教えてくれた。元気にやっているようで嬉しい。
そんなこんなを、たいていは目を輝かせて報告してくるんだが、しばらく音沙汰がなかったあとに悄然としてやってくることもある。
「幽霊物質に殺され続けてる……」
「お前、リトル・スカウトって使ったことあるかい?」
「ああGabbro。がっかりだよ。あなたは詩人なんだから、Slateと似たりよったりのことなんかじゃなくてもっと文学的に励ましてくれるかと思ってたのに」
「ハハ、思ったより元気そうだね」
幽霊物質にやられるやつは、私の中の悲惨な死に方指標で10点満点中9点をマークしてるんだが、そんなのを何度も経験したあとでもそれだけの口が利けるなら、まあ心配ないだろう。
「正直、瞑想が役に立ってる」
素直に礼を言いたくない気持ちがにじみ出ている顔で言われた。
私が教えられることはもうぜんぶ話したので、ここに来たところで得られるものは何もないはずなんだが。
いわく、「どうしようもない時に、こんなになんにもしてないのに平然としていられるGabbroを見てると、なんだか元気が出てくるんだ」。
いい性格をしている。
最後の力を振り絞ってこの島を目指したらしい、からっぽの燃料タンクをしょった死体が流れ着いた時は、だいぶ心にくる。けど最初の頃よりは慣れてきた。あまり慣れるもんじゃないとは思ってる。
自分が死んだ回数は、6度めまでは数えてた。両手の指の数を超えると数えるのがめんどうになるので、やめた。ひよっ子のほうは10までは数えてたそうだ。両手の指に目の数も使って数えるタイプだ。たまにいる。
「探査艇のコンピュータの記録は消えないんだろ。私が彫像から削りだした石を転用したっていうやつ。そっちに記録しておけばよかったのに」
私の提案に、ひよっ子は間欠泉の底に溜まったゴミを見るみたいなしかめ面をした。
「このループが解消されて、太陽の爆発を防ぐことができたら、あとあと村のみんなが見ることになるじゃないか。そんなものに自分がどれだけへまをしたかなんて記録できない」
やれやれ、失敗を隠したがるうちは、まだまだひよっ子だ。
このループが解消されたら、か。
そんな時が来るのだろうか、本当に。
流れているのに閉じているこの世界が、いつか開かれたとして。その先に続く道を、作り出せるのだろうか。
焚き火の前で目覚め、浜辺にハンモックをかけて、竜巻とたわむれながらフルートを奏でてる間に、22分は過ぎ去ってしまう。22分! 詩をひとつ編むにも足りないような時間の細切れ。
その細切れを無限に持ち合わせて、何か、新しいものを作りだしたとしても。たとえ、ありとあらゆる言葉をかきあつめて誰かに伝えたとしても。無線ごしのHornfelsがどんなにメモを取ってくれていても。空に光がひらめくたび、皆、すべて、忘れてしまう。
そう思って動くことをやめた。たぶん私は、この星を循環する潮流の下に、自分の心を動かすためのなにかを沈めてきてしまったんだと思う。
だからこれは陳腐な、ありきたりの、あまりに使い古された、平凡な表現だけれど──
独りじゃなくて、よかった。
誰の記憶にも刻まれない、どこにも残ることのない作品を、自分のためだけに作り続けるようなことは、私には、できそうもない。
「そういえば量子の詩を見たよ」
マシュマロを生食しながらひよっ子が言った。
「あれ、どれが本当の並びなのかなと気になって」
あれはもうずいぶん前の作品だが、自分でも悪くないと思ってる。作った時は、あんなところに行くのはよほどの物好きだけだというのを知らなかった。どうりであの木立でほかの誰かに会った覚えがないわけだ。
ちょっと考えて、その貴重な物好きに答えてやった。
「どれも本当さ。素敵で奇妙で、24の可能性を秘めた詩だ。お前がベストだと思う並びが本当の並びだよ」
「私じゃ決められないよ。Gabbroと違ってそういうセンスはないんだ。ほら、最初に考えた順番とかさ、なにかあるだろう?」
「おや、先輩を褒めるスキルは向上したかな? 皮肉な言い回しに全振りしてるのかと思ってた」
ふと、近くをどんぶら流れてくるイバラの島を見かけた。
あそこはループに陥る前にいちど上陸したことがある程度で、あまり私の感性を刺激しなかったものだから、たいした調査はしていない。ひよっ子はもう少し奥まで進んだものの途中で道が切れていて、そこから海に落ちて酸欠死して以来、再訪していないらしい。建造ヤードのほうでもっと気になるものを見つけたからと本人は主張している。
氷漬けの巨大クラゲといっしょに島が遠くへ去ってから、私は語をついだ。
「ここの探査が終わったら、量子作品をまた作りたいと思ってる。生き物の彫刻とか」
それは、なんとなく思いついたから言ってみたという程度だったけど、ひよっ子は目を見はった。未来のことを私が口にするのがめずらしかったんだろう。言いかけた言葉を私は続けた。
「お前をめちゃくちゃ怖がらせるようなやつとか」
「なんで怖がらせようとするんだ」
そういえば、とふいに思った。こいつはHornfelsから発射コードを勝手に盗み出して宇宙に出たことになってるんじゃないだろうか。
そのことをひよっ子本人に聞いてみると、
「そうだと思うんだけど、Slateは見て見ぬふりしてて、Gossanはたぶん気づいてなくて、Hornfelsはあの彫像に夢中になりすぎてて何も言ってこない。なんなら探査艇から管制局に連絡してもぜんぜん応答してくれない」
なるほど、私が死にそうになってた時にあいつが無線でだんまりだったのも、そいつのせいか……。
まあ、うん、私が持ち込んだものだから文句は言えない。
呼びかければいつもそこにいて、話したことを覚えている。次の報告を待ち望んでいる。そういう存在が宇宙飛行士には必要だ。宇宙飛行士だけじゃない、たぶん、誰にでも。
「何か面白いものを見つけたら、いつでも知らせてほしい。私の居場所は知ってるだろ?」
耳になじんだスラスター音を響かせて、ひよっ子はまた宇宙へ飛び立つ。
ハンモックに揺られながら、私はときどきそれに軽く手を振る。この星を離れていく探査艇は、ヘッドライトをちかちか明滅させて応える。永遠の薄曇りの中、それはさして眩しい光でもないのだけど、そのたびになんとなく目を細めた。
[流動閉鎖領域■了]