【Outer Wilds二次創作】最果てに日を臨む
やらかした。ジェットも切れた。今回はもうここまでだ。ため息をついて目を閉じかけたとき、呼び声が飛んできた。
「おい、聞こえるか!? 私だ、Chertだ!」
思わずあたりを見回したけど、それは宇宙服に内蔵された無線機の音声通話だった。砂まみれのうんざりする風景の中に声の主はおらず、かわりに1台のリトル・スカウトが、身動きのできない私を峡谷の隙間から見つめていた。
「こっちからはお前が見えてる。心配するな、すこしだけ待ってろ、いま助けてやるからな!」
小さな偵察機の姿に、さまよえる旅人を迎えに来たホワイトホールステーションを見たような気がした。もちろんこの砂の中じゃあ宇宙空間を泳いで近づくみたいな真似はできないけど、状況の変化を逃すまいとしてカメラを連射する音が私の耳に届いた。
ほどなくジェットパックの噴射音も聞こえてきた。たぶん救助者のほうからは、リトルスカウトと宇宙飛行士のヘルメットがふたつ仲良く並んで砂の上に落ちてるように見えたことだろう。ちょっと恥ずかしい。
「いた!」
無線からChertの声。周りの砂がジェットの噴射で巻き上がる。金色の斜光シールドで全面を覆ったヘルメット姿の小柄な宇宙飛行士が、私のそばへとやってきた。
「ジタバタするなよ、かえって砂に飲み込まれる。テザーを掛けて引きずり上げるから、なるべく力を抜くんだ」
砂を少し掘って私の肩まわりを出し、体に巻き付けていたロープを見つける。引っ張っても外れたり首が締まったりしないことを確認して、テザーのフックを掛ける。そのすべてをChertは冷静にすませた。
「ここの崖の上にパワーウインチを固定してある。遠隔で操作できるように私が改良した特別製さ。Riebeckふたり分ぐらいまでなら持ち上げられる。天才だろ?」
そう得意げに語るのは、生死の境にある私を安心させようとしてのことだろう。私のほうも落ち着いていることを伝えたくて、適当なジョークを投げた。
「へルメットの所に繋いだら? ちょうどいい取手があるよ」
「まあ、ここの重力ならヘルメットごと頭が引きちぎられたりもせず、お前の頚椎が3センチばかり伸びる程度かもな。けどそういう実験はまたの機会にしよう」
「これ以上私の背が伸びたら、あなたも面白くないだろうからね」
Chertは笑い声をたてた。
「まったくだ。ひょろ長いのが何人もいたらじゃまくさくてしかたない」
軌道を一周してきた灰の双子星が地平に現れた。砂の滝がざあざあと音を立てて近づいてくる。
軽く身体が引っ張られた。Chertが手元の遠隔操作スイッチでウインチの動作を確認したようだった。「よし」と声がした。
少し引き上げられたおかげで右腕が自由になった。Chertはそれを引っ張って自分の腰近くを掴ませた。
「一気に引っ張るからな。ちゃんと私に掴まってろよ」
「掴まるところが少ないなあ」
「お前、本当にいい性格をしてるな」
素早いカウントダウンのあと、ウインチが作動して体に繋がったテザーを巻き上げた。崖の途中まで引き上げられたところでChertはウインチを停止し、そこからは私を抱えたままジェットパックを噴射した。釣り竿で景気よく揚げられた魚みたいに、巻き残しのテザーといっしょに体が宙を舞った。その私たちのすぐ背後を、砂の滝を降らしながら灰の双子星が通り過ぎる。私がいた場所は、ほとんど入れ違いみたいにして完全に埋没した。
Chertはジェットの噴射の方向と速度をたくみに調整して、ゆっくりと崖上に降りた。きっちり爪先から着地したChertに対して、私は両膝からいった。
「いったぁ……」
「悪い悪い。身長差を考えてなかった」
なんにも悪びれずにChertが笑う。私はすぐ立ち上がり、宇宙服の砂をほろいながら言った。
「大丈夫、前は頭からだったしね」
「ん? 何だって?」
とにかく、また助かった。思いがけず。
Chertは私の装備に破損がないか念入りに確認した。空気漏れもなく、バイタルも問題はなかった。ただジェットパックは燃料切れだったので、燃え盛る双子星の北極にあるキャンプまで抱えて運んでくれた。すこし横になって休むように言われた。
「間に合って何よりだ。新人の死体をスカウトで発見したなんて報告、管制に伝えるのはごめんだからな。それにしても、お前がずいぶん落ち着いててよかった。まるでこんなこと慣れっこみたいだったな」
私はつい曖昧な笑顔になった。この燃え盛る双子星に来た回数は、もうとっくに2桁台だ。Chertのキャンプに来るのも1度や2度じゃない。
ちょっと横着して崖を迂回せずに飛び越えようとして失敗して落ちる、というのを2ループ前にもやって、ほぼほぼ同じようにChertに助けられた。などなどの事情を説明するのは非常に困難だ。まあお互いに遮光性の高いシールドをつけたまま話してるから、相手の表情なんてほとんど見えない。気まずい顔をしててもとくに問題はなかっただろう。
「ま、お前はたしかに訓練生の頃からそんな感じだったもんな。謎に自信家で向こう見ずで、あんなんじゃ初飛行で探査艇を大破させるに決まってるって、Gossanが胃を痛めてたものさ。でも墜落もせずにこの星まで来られるだけでじゅうぶん大したもんだ」
問題はなかったようだ。別の意味で少々後ろめたいけども。
ちなみにじっさい探査艇は無事だよ、今回は。
たまたま似たようなことが続いたものの、こういう風に誰かに助けてもらえるというのは滅多にない。ループに気づいていない皆は、私が干渉しないかぎり同じ行動を繰り返すから。
「このキャンプから見える範囲は観測を終えてるんだ。さっきは谷間に光るものがちらっと見えて、何かと思ってスカウトを飛ばしてみたらお前が写ってたもんだからびっくりしたよ」
つまりこれは私がここに来て、かつChertの観測範囲に入るかどうかで分岐する事柄ということだ。この次に同じ場所を探索する時は、先にChertのキャンプに寄って目的地をひとこと告げておくのがいいかもしれない。死なずにすむ確率が上がる。
いまのところ、助けるのが間に合わなくて無駄につらい思いをさせた……なんてことはやってないと思う、たぶんChertに対しては。なにしろ向こうは忘れてしまうので、私の観測外でのできごとについては確かめようがない。
唯一、確かめるすべのあるGabbroに対しては、聞かないほうがいい気がして聞いていない。死んだら死んだで次があるしという考えが当たり前になってきたとはいえ、さすがに私にも分別というものがある。逆の立場で「お前、私が太陽の爆発以外で死ぬところ見たことある?」なんて聞かれるのはぜったいにいやだ。ちなみに幸いにしてまだ一度もない。ハンモックは無敵の砦だ。
さておき、Chertは気さくな調子で続けた。
「久々に生身のHearthianに会えて嬉しいよ。ゆっくりしていくといい。Feldsparの冒険譚にはとても敵わないが、私だって面白い話のひとつくらいしてやれるぞ」
「うん……。そうだね。そうさせてもらう」
「ああ、そうだ、わかってると思うがここでヘルメットの遮光シールドを全開にするなよ。一発で目をやられるぞ。やったことはないけど」
私はやったことあるのでわかってる。いやさすがに予想しなかったわけではなく、こことは別の焚き火で、マシュマロ休憩をやろうとしてバイザーをちょっとだけ上げるつもりが力加減をまちがえて上げすぎた。その失敗と反省と改善案については心のノートに記してあるので、航行記録には書かない。
Chertは、すごくしっかりものだ。いや他の先輩たちが頼りないとか当てにならないって言いたいんじゃないんだけど、Chertはとにかく宇宙飛行士の模範ってやつだという気がする。むやみに危険を冒したりせず、なおかつ必要な時には果敢に行動できる。
感情にまかせて怒鳴り散らすなんてことも、普段は、しない。
ただ、Gabbroに怒ってるのはときどき見かけたことがある。まあ、それは普通にGabbroがどやされるだけのことをしてるんだろう。
(Gabbroによる談話。「昔、Chertが3日かけて記録した天体観測データをうっかり上書きして消してしまったことがある。ちゃんと謝ったのにいまだに許してくれない。心が狭いと思う」
これに対する私の見解:二者間における『ちゃんと謝った』の定義の深刻な不一致)
「私もここに来たばかりの頃は、砂に埋もれて自分で自分を引っ張り出すのを何度かやったよ。思ったより楽しい作業じゃなかった」
こうやって、飾らない態度で元気づけたりもしてくれる。
見た目は村のいたずらっ子たちと変わらないくらい小さいのに、すごく大人で頼れる先輩だ。と率直に言うと怒られることは学習した。
そんなことを考えている間に、Chertは自分の調査結果を話してくれた。
「実は、この湖底から出たことないんだ。自慢じゃないけど、私はリトル・スカウトの扱いにはちょっと自信があってね」
だからこのキャンプ地にとどまったままであらゆるものの写真を撮っているんだ──Chertはいつもそう続ける。その台詞は、はじめて聞いた時にはただ得意げに聞こえてたのだけど、何度か聞くうちに気まずそうな調子も含んでいるように思えてきた。「せっかく他の星まで来たのに自分の目で見ずに観測装置だよりなのか」と私は前に聞いたことがある(もうちょっと言葉は選んだ)。まさかそのことを覚えてるわけじゃないだろうし、Chert本人も思うところがあるのかもしれない。
でも、無理もないと思う。ここは命ひとつで横断するのは危険すぎる星だ。Chertのような慎重さがあればこそ、何度もこの星を訪れながらもループが始まるまでいちども死なずにすんだのだと言える。まあ宇宙なんてどこもそうなんだけど。初見探索で22分間生き延びられた星なんて、私にはひとつもなかった。まったくこの点は先輩たちを敬わなければならない。みんなほんとにどうやってるんだ。
「さっきはわざわざ危険を冒して助けに来てくれたんだね。ありがとう」
いっさいの皮肉を抜きにして私は言った。このループに巻き込まれてから、私はこういうことを前よりずっと素直に伝えられるようになった。
Chertのほうはいくらか照れ臭そうだった。
「困ってたら助けるのは当然さ。私はちょっとばかりお前の先輩だからな」
「Feldsparが言いそうなことだ」
「いやいや、よしてくれよ。Gabbroがまだ新人の頃に事故を起こして死にかけたのをFeldsparがとんでもないスタントをやって救助した話、知ってるかい? あんな芸当は私にはとてもできない」
「なにそれ!? 知らない、聞きたい!」
雑談したりマシュマロを焼いたり、旅のできごとを互いに報告したりで、キャンプの時間は楽しく過ぎていった。
一人で旅をすることで、仲間がいたらできない無茶をやってられる。けれど時々、こういう時とかに、仲間と一緒に語り合うってやつはやっぱりいいなと思う。旅立つ前にはあまりそういうことは考えなかった。あの狭い村の中ではひとりの時間なんてほとんどなくて、誰かと一緒になにかをするのが当たり前だったから。
Chertはちょっと先輩風をふかしすぎるところもあるけど(じっさいChertとGabbroは宇宙プログラムの中でも創設メンバーに次ぐ古参で、大先輩だ)、今日はじめて宇宙に飛び立ったという設定の私を、ちゃんと1人前の宇宙飛行士として扱おうとしてくれている。少なくとも村のみんなみたいに私のことを「ひよっ子」とはもう呼ばない。この星系の物理的性質に詳しく、推測も論理的で、量子の月の挙動や闇のイバラのなりたちに関する考察もすごく参考になった。
「歴史はさ、Riebeckの専門だろ。私の専門は科学だ。でも私だってある意味ではだれよりもHearthianの歴史を調べているんだよ」
小さめの音量でドラムを叩きながら、Chertは語った。
「木の炉辺がどれくらい昔に誕生したのか、お前も知ってるよな?」
「それはもちろん。推定では──」と前置きしてから、私は既知の年数を答えた。
「『推定では』、その言い方はいいね。誰も見てきたわけじゃないからな。その通り。どうやってその年数を推定したかはわかるか?」
「木の炉辺で見つかった隕石の放射年代測定の結果だろう。アトルロックから採取された岩石の分析でもおなじような計算になったから、その頃に木の炉辺を含むこの太陽系の惑星が形成されたと推測されている」
「おっ。座学もまじめにやってたようだな、偉いぞ」
「宇宙飛行士をめざしてなくても、ちょっと興味があればこれくらいは知ってるよ」
「それじゃあ、なぜ惑星そのものを構成する岩石でなく、惑星に落ちた隕石から星系誕生の年代測定をするんだと思う?」
私は少し考えた。Chertは答え合わせを急かさず、私が口を開くまで待っている。視界の端を灰の双子星が通り過ぎ、それを見て答えを考えついた。
「惑星上に、誕生した当時の岩石が残っていないから? それに対して、宇宙を漂って隕石となって降ってきたものは昔の状態をとどめている」
正解、という風味でChertがドラムをぽんと叩いた。
「そう。地殻変動や水流、生命体の活動、そのほかいろいろな事象によって、たいていの惑星は生まれたままの姿ではなくなる。けれど星系内から飛んでくる隕石の中には、原始太陽系の状態を保持しているものがある。すべてではないけどね。そうした中でいちばん古い年代のものが、この星系のはじまりを記憶するかけらってわけだ」
Chertはすっかり上機嫌で、マシュマロ用の木の枝を使って地面に星図を描き出していた。太陽、砂時計の双子星、木の炉辺、脆い空洞、巨人の大海に闇のイバラ、それぞれの衛星に、急角度で割りこんでくる侵入者も。量子の月の置き場にちょっと迷って、どこの惑星の近くでもない ”第6の場所” を闇のイバラの軌道の外に設定し、丸を足した。
「でも、そう考えると」
私は疑問をひとつ提示した。
「この星系はもっと古い可能性も考えられるね。木の炉辺の引力に引き寄せられた隕石は、実はこの星系の中では生まれたての、新しい世代だったのかもしれない。たまたま私らの星で見つからないだけで、もっと古くにこの星系が生まれたことを示す痕跡が、どこかにある可能性だってあるんじゃないだろうか」
「実は、そうなんだよ」
Chertは枝を振り回した。
「推定っていうのはそういうことだ。観測できる事象から割り出したこと、そういうものでしかない。Nomaiの彫像のことだってそうだろう? Hornfelsはあれは数千年前のものだと言ってるけど、分析できた部分がたまたま数千年前にくっついただけのものかもしれないんだ。Riebeckは、Nomaiがこの星系に存在したのは私らHearthianが水生生物だった頃だという説を、Nomaiの壁画をもとに主張している。じゃあその時期はいつか? あんな魚だかなんだかよくわからないものがたった数千年で今の私たちになるとは考えにくい。数万、ことによると数十万年って時間が経過してる可能性も考えられる。ただRiebeckの説は、科学分析が根拠ではない点が弱いとは思う。
だから、探求しつづけることが必要なんだ。常識や、自分の考えばかりにとらわれずにね。知識の最大の敵は、無知じゃない、『もう知っている』という思い込みだ」
「すごくいい言葉だ」
「褒めてくれてありがとう。と言いたいところだが完全に受け売りだ。昔の偉大な科学者の名言だよ」
自分自身が褒められるよりも嬉しそうな声だった。よっぽど尊敬している科学者なんだろうか。
「おもしろいと思わないか? 宇宙からの便りを受け取ることで、私らは私らの起源に遡ることができる。星々のことを学ぶことは、歴史を学ぶこととつながっているんだよ」
宇宙を愛する仲間との、有意義な、楽しい、語らいの時間。それが長くは続かないことを、私は知っている。
焚き火の炎がゆらぎはじめる。巡る太陽の輪郭が、大きさを増してくる。私は予感を覚える。
Chertはいぶかしげな目を空に向ける。
「何か……おかしい」
ふらりと立ち上がり、さっきまでの熱がすっかり引けた様子でつぶやく。キャンプ内に設置した観測機器に向かい、私に背を向ける。
「いや、変なこと言って悪い。私はちょっと仕事するよ。寝ててくれ」
私を不安にさせないように、Chertは言う。私は、それを知っている。このあと起こることに立ち会いたくない気持ちと、仲間を見捨てたくない気持ちが、心のなかで入り混じる。
「なんだこのログは……こんなにたくさんの超新星爆発が、こんな短時間に……? ありえない。この宇宙がそんなに古いはずは……」
Chertが見ているのは、この星系からはるかに離れた星々の輝きを示すデータだ。でも、観測機器を通さなくとも、シグナルスコープのズームに頼らなくとも、もう肉眼で確認することができる。
この宇宙のたくさんの星が、みんな、滅びようとしている。
「次は、ここの太陽なんだね」
いくつかの会話のプロセスを飛ばし、私は静かにそう言って、Chertは振り返った。
赤く巨大な太陽は、熱を増してはいるけれど、光はむしろ暗くなっていく。私はヘルメットの斜光シールドを上げて素顔を見せた。私が、困惑はしているものの動転はしていないことに、Chertはおどろいたようだった。息をのんで、それからChertはつとめて冷静な声を出そうとした。
「そんなはず……そんなはずあるわけないだろ」
冷静であろうとして、けれど、既知のすべてを打ち砕こうとする事実を、否定しようとする。
「私はここで可能なかぎり観測を続ける」
背を向けて、観測機器をうごかす。激しい電磁波のせいで機器は耳障りな音を立てる。Chertは抗い続ける。アンテナの向きを変え、ダイヤルを回して各種パラメータを入れ直し、データの波形を追う。
「お前は逃げるんだ、ここから。探査艇に戻って……いや、私の船を使っていい。お前だけでも逃げろ。みんなに知らせてくれ」
「私はどこにも行かないよ、Chert」
私は動かなかった。Chertがふたたび私を見る。
「ここにいるよ。一緒に最後を見よう」
「……なんで?」
Chertはゆっくり首を左右に振った。グロテスクなまでに膨らんだ太陽が、その後ろを通り過ぎた。震えてゆがんだ声が続いた。
「なんで、なんでお前は、そんな平気な顔してられるんだよ」
それから、突然に激昂がはじまる。「わかってるのか? 死ぬんだ。私らみんな、太陽の爆発で死ぬ。あの星が私らを殺すんだよ! 私たちが命をかけてきた旅も、研究も、みんな、みんな無駄になるんだぞ!?」
私はたじろいだ。取り乱す演技をするべきだったのかもしれない。そうしていれば、混乱した新人飛行士の私をなだめるためにChertは自分を保てたかもしれない。でもきっとそんな演技、やろうとしたってうまくいかないに決まってる。現に私は、太陽がまた私たちの時間を差し止めることなんかより、今度もまた会話の選択を間違えてしまったと、そんなことを考えてる。
「平気じゃ……ないよ」
これはぎりぎり嘘じゃない。
「どうしてこんなことが起きてるのか、知りたい。知ることができないまま死ぬのはいやだ」
本当に死ぬのはまだ、いやだ。そういう意味だから、これも嘘じゃない。いや、私はなんでこんな時にまで、嘘かどうかとか気にしてるんだろうな。変な冗談ばっかり言う奴と話し込む時間が増えた反動だろうか。
「知りたい、だって? 太陽がどうして死ぬのか? 教えてやるよ、あれは寿命だ!」
Chertは虚空をなぐりつけるみたいにして太陽を指した。「恒星が燃料を使い果たそうとしている時の姿、あれがそうだ。そんなものはもっと先のこと、私たちがみんなすっかり年老いて死に絶えてからのことだと思ってた。私はそう推測した。でも、そうじゃなかった! ああそうさ、思い込み、私の思い込みだったんだ!」
悲痛な叫びを上げて、Chertはそのまま座り込む。
「……知ってどうするっていうんだ。今から? 宇宙が果てる時になって、ほんとうのことがわかって、それがいったい何になる? 私らは死ぬんだ。学んだこともすべて消えうせる。こんなふうに終わるのなら、学ぶ意味なんてなかった。私のライフワークなんて、星を見ることなんて、ぜんぶ無駄だった!」
ヘルメットを両手で覆う。赤い巨星の表面がごぼごぼと音を立て、Chertの慟哭がそれに重なる。
キャンプの焚き火のそばで、Chertが地面に描いた星図は、Chert自身に踏み荒らされてぐちゃぐちゃになっていた。何度も見てきた本物の宇宙の崩壊より、どうしてだかそれは心が痛んだ。まるで私自身の宝物を粉々にされてしまったみたいに。
私もこうなるのだろうか。何百回、何千回と死に戻り、この宇宙の隅々までを見尽くして、それでも何も変えることはできないという事実に辿り着いてしまったら。私もこうやって宇宙を呪いながら死んで、生きて、また死んでいくのだろうか。
耳を塞ぎたかったし、目を閉じてしまいたかった。愛してきたものになんの価値もなかったと、そう嘆きながら旅を終える姿を見るのがつらかった。でも、いまここを去るのはもっといやだ。
「気分が悪い。もう、一人にしてくれ……」
その言葉に従うべきだと思って、そうしたこともあったけれど。
隣にすわり、背に手を添えた。ゆっくり体をさすって、声をかけた。
「Chert、深呼吸して」
「……誰かみたいなこと言うんじゃないよ」
皮肉っぽい笑いが聞こえた。
金色の遮光シールドに遮られて、表情は見えない。でも声は少し柔らかくなった。
「ごめんよ。取り乱して、悪かった……」
凪いできた心をまた荒らしてしまうのが怖くて、私は黙って少し首を振るだけにした。
「……巨人の大海からは見えてないんだろうな。あんな水と曇り空ばかりの所に行きたいなんて、暇つぶしの天才ならではだよな、なんて言っちゃったことあるけど、今はGabbroが羨ましいよ。星に殺されることに気づかないでいられるのが」
私は沈黙を守っていた。本当のことを伝えてみる選択は、前にもう試した。Chertは、取り合わなかった。そんな妄想でこの事態を乗り切ろうとしているのかと最初は非難して、それから、それもいいなと虚ろに言った。この理知的な科学者が夢に逃げようとするのは、とても痛ましかった。
「星系マップを見て気づくかもね。特に使う用事がなくても、あれを眺めるのは好きだって、前に言ってた。気づいたら、きっとあなたを一番に心配するだろう」
本当のことのうちから、それだけを取り出した。
「パニックになってる私を見たら指さして笑うだろうさ」
Chertは少しだけ頭を上げた。
「……。Gabbroはいつもいいかげんで頭にきたけど、あいつを見てるうちに、宇宙でのミッションで緊張するのがばからしくなったもんだよ。それにあいつが言う ”深宇宙衛星はいつも私らが迷子にならないようにしてくれてる” って話は、嫌いじゃなかった」
末尾の声に少しの嗚咽が混じって乱れた。それを整えようとするみたいに、Chertは頭をふった。
「Riebeckはどうしてるかな。怖がってないといい。あいつはほんと怖がりでどうしようもないけど、宇宙は怖いものばっかりだって思ってほしくないって、私はずっとそう思って、一緒に宇宙を目指そうって言った。でも、でも、いま、もしもあいつがこれを見ていたら」
太陽からまた目を背けて、Chertは膝に顔をうずめた。
「ごめんよ。ごめんよRiebeck。こんな時に君を宇宙にひとりにした。私のせいだ。ごめんよ……」
「Riebeckは大丈夫だよ。それに、Chertはなにも悪くない」
私は言った。無意味なことはわかっている。太陽が今回の死をやりおえたあと、Chertは完全に自分を取り戻す。私がなにかをするまでもなく、死が無条件で救ってくれる。そしてまた22分後に絶望を与える。
「みんな最後は自分で選ぶんだ。どこに行くか、何をしたいか。私だってそうだ。Feldsparや、いろんな旅人たちがいて、その足跡を辿ってきたからいまここに来られたのは確かだけど、でも、たとえ、コックピットに縛りつけられて自動操縦で運ばれていったって、その先にちゃんと降り立つのは、自分でやらなくちゃできないんだ。Riebeckだってそうだ。誰だってきっとそうだ」
こんな言葉をかけるのも、ただの私の自己満足だ。
でも私が去ってしまえば、Chertはここでたったひとりだ。Hearthianの中で誰よりも星を愛するこの旅人は、太陽の死を誰よりも目の当たりにして、誰よりも恐怖に晒されながら、孤独に旅の終わりを迎える、何度でも。その繰り返しの中で、ときどきこうやって誰かが最後まで横にいたっていいじゃないか。それが正しいか正しくないか、決められる奴がいるっていうなら勝手に決めてくれていい。私自身は、もし、もしも、本当に旅の終わりを迎える時が来たら、そのときはどうか仲間たちがそばにいてくれますようにと、そう思っているのだから──。
「それにRiebeckはさ、どうせまたうっかりをやって、脆い空洞の地殻の中に転がり落ちてるよ。内側からだとあまり空が見えないから、きっと気づいてない」
「ひどいこと言うね、お前」
Chertはちょっと顔を上げた。
「でも……そうだな。はは。私もその推測に同意するよ」
「ちなみにGabbroのことはそこまで心配じゃない?」
「あいつなら、こんなことになったら死ぬまで寝て過ごすに決まってる」
この燃え盛る双子星と巨人の大海に横たわる距離をつらぬいて、Chertは長年の腐れ縁の宇宙飛行士の挙動を正確に観測していた。
それからChertはごく静かな様子で、最後の日の光に臨んだ。
「星は生まれて、死んでいく。私たちの一生と変わらない。そんなことは知ってる。けれどどうして、その終わりの時に私らが生まれなくちゃいけなかったんだろうな。もっともっとやりたいことがあったのに……」
両手をだらりと下げる、すべてを手放す準備のように。
「宇宙が終わるときに生まれるなんて、不運にも程があるよな」
私はまた、その言葉を聞く。そしてまた返す言葉を見つけられないまま、時間の砂が落ちきるときを迎える。そろそろだ、という声を聞く。
青い死の輝きが視界を満たしていく。
「ただ、それでも、それでも私は──」
そうChertが続けて、私は振り返った。その言葉はまだ聞いたことがなかった。続きは、世界が燃え尽きる音に遮られて私の耳には届かなかった。
* * * *
目覚めたあと、私は焚き火の前でぼうっとして、マシュマロを丹念に焦がすやつをやった。
死ぬたびに体の傷はリセットされるけど、精神的なものはそれなりに引き継がれる。寝起きにすぐ動く気力が沸かないときも、たまにはある。
炭化した塊を眺めながら、また巨人の大海で気分転換しようかと考える。考えはしたものの、あまり気乗りはしなかった。Chertのパニックをはじめて見た時、私はかなりの衝撃を受け、ループ後にGabbroのところに行ってちょっと泣いた。Gabbroは笑ったりしなかったけど、恥ずかしいからもうやりたくない。
「わりと昔からああなんだよ、Chertは。予定通りにことが運ばないと情緒不安定になる。自分たちはFeldsparのかわりに新人の手本にならなきゃいけないんだって無理してるところもあるし」
と、Chertとつきあいの長いGabbroはそのときそんな風に語っていた。
「普段がきっちりしすぎてるから変な時に反動が来る。もう少し肩の力を抜くべきだって私はよく助言したものだ」
「で、言うたびに怒られたんだ」
「なんでわかる?」
「肩に力どころか骨が入ってるかも怪しい相手からそんなこと言われたら、そうなるだろ」
だいたい反動もなにも、私だってループに気づいていない状態で太陽のあんな状態を見るはめになったら、人目もはばからず絶叫すると思う。じっさい私がはじめて探査艇をひとりで操縦して事故を起こして「死ぬ」と思った時、あれはループが始まるよりずっと前のことだったけど、私は泣き叫びながらコーチに助けを……
いや、やめよう。あの話は自分自身とだって語り合いたくない。
さておき何事にも動じない怠惰なハンモックを思い出したら、自分はちゃんと動こうという気になってきた。気分転換の旅行は今回は必要ないだろう。
太陽なき街のアンコウの化石をまだ調べられていない。私は星系マップを開き、目的地をふたたび燃え盛る双子星にセットした。
砂と岩にサンドイッチされた体験は、その次に目覚めたあとも幻覚に見るレベルのトラウマものだったけど、数ループを経るうちにすっかり薄れた。その数ループの間に、空の見える場所で首まで砂に浸かる慣らし療法を(不本意ながら)やったおかげだろう。もし現地で危なそうな兆候があれば、ちょっと場所を変えればいい。
そんな感じでなるべく気楽に構えて再挑戦したら、あっさり目的地に着いた。まず洞窟の隙間からアンコウの化石めがけてリトル・スカウトを先回りさせ、それからNomaiの記述にしたがって飛び石の洞窟からスカウトの位置信号を探す、これをやるだけでよかった。あの苦労はなんだったんだと思うくらい簡単だった。私はもうすこし先輩たちに倣って偵察機を活用すべきだと反省した。でもFeldsparがスカウトに頼ってたって話はぜんぜん聞いたことないんだよなあ。
化石のそばで、アンコウは目が見えないという情報を得た。これが偉大なるNomai族の研究の成果だ。
いや、それだけ?
つまり音を立てずにこっそりやるって以外に対策はないのかよあれ。もうちょっとこう、一時的に弱らせるだとか、飲み込まれてもべつの場所にワープできるとかそういうのを求めてたんだけど、それ以上どこをどう探しても追加情報は得られなかった。
かくれんぼのルールは、村の子どもたちに教えたら喜びそうだけども。
しかしながら1か所は調査を終えられた。ここは脱出ポッドから続く道から来るととても時間が足りないけど、重力砲の近くに通じている道も見つけられて、探索はぐっと楽になった。
高エネルギー研究所への道はまだ未踏破なので挑戦してみたかったけど、あきらかにだめそうな砂の積もり具合をしている。ここは何かのついでで来る場所じゃない。まあ光るケーブルを辿って行けばどこかに着きそうだから、ほかより苦労はしないだろう。
いったん酸素を補給するため樹木スポットに向かった。吸気バルブを開放して、酸素タンクをいっぱいにする。ここで吸入する空気は砂混じりで、長く吸い込むと宇宙服の呼吸装置や肺を痛めそうだけど、なにせ最長でも22分足らずなので深刻なことにはなりようがない。
ときどき思う。冒険者にとって最大の敵は、気力を失うことだ。けれどどんなに気力があったとしても、物理的要因ってやつで旅は容易に阻まれる。その時間にならなければ進めない道や、行ったら二度と帰ってこられない場所というものがいくつもあることを私は知っている。だから私はFeldsparでもできなかった冒険をやれている。あの英雄は死を恐れたりはしなかっただろうけれど、ささやかな発見と引き換えに冒険ができなくなるようなことは普通にいやがっただろう。私はというと、どこへ行くにもだいたい片道が前提だから「たいしたことじゃないかもしれないけど気になるもんな」と呟きながらどこにでも飛び込んでいる。22分の寿命を使いきれたことのほうが少ない。
そうやってもぎとってきた無数の小さな情報が、さながら無秩序に伸びて渦を巻くNomaiのテキストのように、ある起点から発生した大きな謎の断片であることに私は気づく。航行記録コンピュータの中で、いつしか繋がっていったこの星系の歴史。それは私にひとつの推測を与えている。
このループを止める方法は──ある。
Nomaiたちが灰の双子星プロジェクトと称した計画。そこに、私たちが滅びを繰り返す秘密が隠されている。どこかにその計画の中枢となる場所があることは間違いない、名前からしておそらく確実に、灰の双子星その場所に。どうやって行くのかさえ掴めれば、計画の全容を知ることができるだろう。
ただ、ループの秘密を掴み、時間の流れを正常に戻す方法がわかったとしても、私はまだこの繰り返しをやめたいとは思っていない。私の考えだけで決めるわけにはいかないとも思う。
「みんな最後は自分で選ぶんだ」。──私は、Chertを落ち着かせたくてそう言った。言いながら、ひどい詭弁だと胸がちくちく痛んでた。最後を正確に予測して、どう終えるかを本当に選ぶことができるのは、現状で私ともう一人しかいやしない。
そして少しの予感が、私にはある。ループを止める方法はきっとある。けれど太陽の超新星爆発のほうは、止められないのではないか。Chertが言うようにこれが星の寿命であるのだとしたら、そんなとほうもない自然の営みを、私というたった一人のHearthianがどうこうできるわけがない。
『太陽なき街』の名を冠した場所で、私はそんな感じに太陽にまつわる思索にふけっていた。でもそろそろ砂が溜まってくる。ジェットの残りも減ってきたし、早めに退却しよう。そう思ってショートカットの出入り口に戻ろうと跳びあがると、木々の陰に螺旋の光を見つけた。
あれはまだ読んでいないNomaiのテキストだ!
酸素休憩で何度も来てたのに、反対側の遺跡群に気を取られてて気づかなかった。つい興奮してジェットパックの噴射をやりすぎて、天井に頭をぶつけた。そこから着地で逆噴射をちょっと失敗した。痛い。まあ死ななければ無傷なので問題ない。
足をひきずってその場所まで行き、胸を踊らせつつ翻訳機を向けた。
カタカタという音を立てて、はるか古代の言葉が私たちの言葉に変換される。
[灰の双子星プロジェクトの動力源として、太陽ステーションを建設したほうがいいのでは?]
発言者の名前はない。その後に発言が枝分かれして続く。
[IDAEA:本気で言っているのか理解に苦しむ。太陽ステーションの目的が、我々が自らに課するあらゆる基準に、我々が種として信じるものに反している!]
私は上の両目と下の両目のあいだを寄せた。Nomaiは時に議論したり痛烈な皮肉を言ったりと、私たちHearthianとほとんど変わらない文化を持っている。それだから私は、いつ存在したかすら定かでないこの異種族に対して、まるで昔なじみの友達みたいな親しみを感じていた。
けれど、この文章はいつにもまして激しい主張だ。なにかすごく重要な決定に関するものだろう。私は続きを拾った。
偶然にもついさっき思索の種にしていた『灰の双子星プロジェクト』に関する内容。この計画を完遂するにはなにか大きなエネルギーが必要だったらしい。そのエネルギーを得るために太陽ステーションが必要だ、という意見。他にその規模のエネルギーを得る方法は? という問い。理論上はあるが自分たちが生きている間に発見されることはないだろうという推測。
太陽ステーションが倫理にもとるという最初の意見に、他のNomaiは同意しない。「私たちは新しいテクノロジーを推し進めている」。「それは私たちの種としての特性を定義するということ」。
この文章は、これだけを翻訳すると意味が掴みにくいけれど、他の場所で触れてきたNomaiの考え方と照らし合わせると、なんとなく理解できる。未知を解き明かすためにすべてを捧げる、それがNomaiの生き方。挑戦を続けることで、自分たちはこの宇宙における自分たちの存在意義を作り出すことができる──たぶん、そういう意味だ。私がNomaiに対して親しみを抱くのもこういうところにある。探求するという行為を捨てたら、私は私じゃなくなる。
が、太陽ステーションはどうやら本当に不穏をはらんだものらしい。もし失敗したら、この星系すべてが間違いなく破壊される。そんなに?
「リスクが大きすぎる。建設による知識がどれほどのものでも、太陽ステーションを作るべきではない」。かなり強めの反対意見。「失敗を恐れていては何もできない」。私が言いそうなことを言うNomai。「危険はないという確信が持てなければ私もステーションの活用は支持しない」という声明。ほんとかな。
現実に、太陽ステーションは存在する。つまり、議論は紛糾したけれど太陽ステーションを建造し、それを使って灰の双子星プロジェクトの動力を得るという意見で最終的に決着したということだ。あのステーションをどういう風に使えば莫大なエネルギーを得られるんだろう? 現状、あれは太陽のまわりを高速軌道でぐるぐる回ってるだけにしか見えないけれど……
途端、ひとつの考えが私の脳を突き抜けていった。
……超新星爆発のエネルギー。
Nomaiは、あのステーションを使って、彼らがやってきたこの星系の太陽を──つまり私たちの太陽を──爆発させようとした?
* * * *
ループが明けてから私はまた燃え盛る双子星に向かい、Chertのキャンプを訪れた。
お決まりの挨拶を済ませると、私は持ってきた疑問を切り出した。
「Chert。実は、科学者としてのあなたの意見を聞きたいことがある」
「なんだい改まって。私で役に立つならいくらでも聞いてくれよ」
ChertはすっかりいつものChertに戻っていて、私をほっとさせた。助言をもとめる新人飛行士にまんざらでもないふうだった。
私は言った。
「恒星を人工的に破壊するようなことって、できると思う?」
「…………はあ?」
まあそういう反応だろうとは思った。あいかわらず遮光シールドで顔は見えないが、4つの目をすべてまんまるくしていることだろう。
「何で? 何のために?」
「目的はおいといて、とりあえず可能かどうかを知りたい」
そう言ってから私は誤解のないよう言い足した。
「あ、べつに方法があるなら試してみたいって訳じゃないんだ。心配しないで」
「当たり前だ。できるかそんなこと」
あきれた口調できっぱり断じてから、Chertは態度をあらためた。
「まあ、できるわけないって結論にすぐ飛びつくのは科学者らしいありようじゃないな。いいよ、仮定してみよう。現在の私たちの技術でという前提でいいのかい」
「Nomaiの技術でと想定してほしい」
「それは無理だ。私たちはNomaiがなにを動力源にしてどんな船に乗っていたかすら正確にはわかってないんだぞ」
「あれを使うとしたら?」
私は太陽ステーションを指さした。
「あれを太陽にぶつけるという仮定か?」
Chertはそれを見やると、木の枝で地面に数式を書き始めた。推定される太陽ステーションの質量、周期から割り出した速度、太陽とそれを公転する惑星との関係から導き出される太陽の質量、そういうもろもろを記していく。
「仮に、あのステーションを侵入者の遠日点のあたりから発進させられたとしよう。初速は、そうだな……とりあえずあれを木の炉辺から宇宙空間に打ち上げるのに必要なだけの速度にするか……その後にかけ続けられる推力、これはどう仮定するか……」
Chertは式の続きを書いていったけど、みなまで見ずとも計算の材料が仮の数値ばかりになることは、さすがに察しがついた。それでもChertは最後まで数式を書いて、それから言った。
「……私の推測としてはこうだ。お前、虫に刺されて爆発したHearthianを見たことあるか?」
「……ないね」
「そういうことだ。Nomaiの技術はさまざまな点で私らの技術よりはるかに優れているが、太陽の持つ巨大質量と比べたらそんなもんだと思うよ」
そんなもんだよなあ。予想していた見解に同意しつつ、私はさらに可能性を探ってみた。
「たとえばだけど、虫に刺された傷がもとで死ぬことはあるよね。人為的な衝撃が、数千年以上の期間を経てその後の星の寿命を縮めるようなことは、ありえる?」
「……。なくはないとは思うが」
Chertはバイザー越しに口元近くに手を当て、ちょっと考えてから言った。
「ただ、星の一生ってやつは長いからな。表面に明らかな痕跡が観測できるようなレベルの衝撃を与えて、それでやっと星の寿命の数万分の1が縮まるかどうか、そんなものじゃないか。ほとんど誤差の範囲だ」
「誤差の範囲……」
「ああ。自然に隕石や彗星がぶつかった時のほうがよっぽど影響が出ると思うよ」
私は仮説を立てていた。
太陽の爆発には、Nomaiの計画が関わっている。
建造された太陽ステーションが太陽になんらかの衝撃を与え、それが超新星爆発を引き起こしている。その爆発のエネルギーを利用して何かをするのがNomaiの目的だった。
これに関して、まず現実的ではないだろうというのがChertの答えだった。ただ、その推測を完全なものにするには、現時点でまだ私たちはNomaiの技術の限界というものを知らない。
この仮説をさらに進めて、それはすでに過去に行われたものであるとしよう。
Nomaiが過去に行った実験が、太陽の活動に影響を与えた。遅効性の毒みたいに太陽を徐々にむしばんでいって、それが現代の私たちの時代に炸裂することになった。
これを完全に否定しうる材料はまだないと思う。ただできれば正しくないことを祈りたい。なぜなら、これが事実ならば私らにはなんの手立てもないからだ。22分プラス数千年だか数万年だかの時を遡り、そんなことはやめてくれとNomaiたちを説得する方法が見つからない限りは。あるいはタイムループの謎を掴めれば、光が見えてくるかもしれないが。
それからべつの仮説。Nomaiの計画とは無関係に、太陽は純粋に寿命を迎えている。
……この場合は。
私たちは、いったい、なにができる?
いずれにせよ、太陽ステーションに行く方法がわかればもっとはっきりしたことを掴めるかもしれない。あるいはNomaiが滅びた原因もそこにあるのだろうか?
「……うん。ありがとう。すごく参考になった。さすがHearthian随一の科学者だ」
Chertは、照れるかと思ったけど呆れ声のほうを返してきた。
「なんにも科学的じゃないぞ、こんな話」
「科学的じゃないという思い込みはよくないと思う。『もう知ってる』は知識の最大の敵なんだろ?」
「えっ!? お前それ知ってるのか!」
「うん。すごくいい言葉だよね」
「なんだよ、なんだよ。まあ座れよ。いまマシュマロを焼いてやる。偉大なる先人について私とゆっくり語り合おうじゃないか?」
私のためにいそいそとクッションを用意しだすChertに、おもわず苦笑いした。
「ごめん。申し訳ないけど今回はちょっと」
正直、あの状態のChertを毎回見守るのは私のメンタルが保ちそうにない。大好きな先輩のひとりで、大切な仲間だけど、無理せずにつきあえる範囲でつきあっていきたいと思う。
「また来るから。今度ぜひ、日が暮れるまで話そうよ」
これは、嘘にするつもりはなかった。
「はは、ここじゃ日が沈まないんだよ」
Chertは笑った。
「ここからは星系のすべての惑星が見渡せる。いつでも星が共にある。どの星が欠けてもこの太陽系は成り立たない。素晴らしいと思わないか? たがいの星の引力が影響を及ぼしあって、この美しい星系がつくられてるんだ」
両手を広げ、星空をその腕に抱くようにして見上げた。いつまでも、どうか旅の終わりの瞬間までもそう思っていてほしいと、そう願うのは私の勝手な押しつけなのはわかっていたけれど、そう願わずにはいられなかった。
「そういえば聞いたことがなかった。Chertはどうして星が好きなんだい?」
「どうしてって、そりゃ、いろいろあるけど」
知的で勇敢な先輩は、首元のバンダナを指でつまんで、少しの気恥ずかしさと愛しさをないまぜた調子で言った。
「星は、きれいだからさ。一生見てて飽きない。たとえ3日かけて調べた観測データが無駄になったって、また星々を眺める時間ができたと思えば、それでいい」
「あれ、じゃあGabbroがむかしあなたのレコーダーを台無しにしたことは、ほんとはもう怒ってないんだ?」
「……ああ。あれか? べつに私は上書きされたことに怒ったわけじゃないんだよ。わざとじゃなかったのは知ってるからさ。名前も書かずに置きっぱなしにした私がそもそも悪かったと思うし」
意外な情報に私はおどろいて、しかし、その後のChertの表情にふるえあがった。小柄な宇宙飛行士から、煮えたぎる太陽の熱気みたいな怒りが、いままさに許されざるものを目にしているかのごとく沸き立っていた。
「私がな、腹が立ったのはな、あいつが記録した内容がな、私の好きな格言をへたくそにもじった、なんっっっにもうまくないジョークだったからだ」
どんなジョークだったのか教えてという言葉を、奥歯のあたりで食い止めた。それを口に出したら確実に、私までめちゃめちゃ怒られるっていうのが、太陽がこのあと爆発することよりも明らかであろうから。
後日、Gabbroに事情の報告と合わせてジョークの内容について聞いてみたら、「ウケなかったネタを披露させられる以上に恥ずかしいことがこの世にあると思うか?」と拒否されてしまった。
それから、もうひとつ明らかになった事実。
Chertが教えてくれた名言は、どうやらChertの言う「科学者」の言葉ではないらしい。脆い空洞でRiebeckのキャンプに立ち寄った時に教えてもらった。
「Chertにはずっと言えてないんだけど、あれ、勘違いされてるんだ。本当は、その科学者よりもっと昔にいた歴史家の発言なんだよ……」
語尾がすっかり尻すぼみになったその説明に、私はちょっと頭を抱えた。なるほど、『知っているという思い込み』ってやつは本当によくない……。しかしなにもそんな皮肉な形で見本を示してくれなくても。
「あ、で、でも、ちょっと近い感じのその科学者の名言があるんだよ!」
と、Riebeckは慌ててフォローを入れてくれた。いわく──
『ほんとうの知性とは、変化を受け入れる能力のことだ』
未知を恐れるな。自分の信じたものがくつがえされることを、世界が変わってしまうことを恐れるな。
過去の探求者が、時間と場所を超えてそんなふうに私の背中を叩いてくれた気がして、全身に熱いものがみなぎった。
「すごく、すごくいい言葉だ」
けれどRiebeckはこう続けた。
「……でも、これも出典がいまいちよくわからなくて、本当にその科学者の言葉なのかどうか、私には判断できないんだよね……」
もういちど頭を抱えなおした。
ただ、まあ、私が思うに、科学者とか宇宙飛行士とかってやつの仕事は未知の探求なのであって、後世にまで伝わるかっこいいセリフをこしらえることじゃない。
うなだれた私の気をまぎらわせようとするみたいに、Riebeckはバンジョーを奏でだした。
そういえば、旅人たちの音色はみんな一見したイメージとは違うかもしれない。臆病で控えめなRiebeckのバンジョーは、他の旅人の奏でるどの楽器よりも雄弁に宇宙に響き、焚き火みたいな安心を私にくれる。マイペースで冗談ばかり言って人を振り回すGabbroのフルートは、ただ静かに息を吹き込むように、他の旅人たちの音を下からそっと支えてる。冷静沈着で論理的なChertは、情熱のままに自由に叩くだけでそれらしい演奏になりそうな、ドラムという楽器を選んだ。
月で寂しい思いをしているEskerは、その想いとは裏腹に、一人気ままな夜を満喫するように口笛を吹く。
恐れ知らずの冒険家のFeldsparのハーモニカは、誇り高くて澄んだ強さで、それでもどこか寂しくて、はるかな宇宙を眺めやるより来た道を思い返したくなるような、そんな気持ちになる。
何度も言葉を交わした相手、あるいはその物語をいくつも聞いてきた相手のことすらも、私は本当にはわかってないのかもしれない。とはいえこれは楽器を持たされるレベルにまだ至っていない、音楽家未満の私の、つたない感性なのだけれども。
Nomaiたちの記録にしばしば現れる『宇宙の眼』。それが彼らの種族にとって、見過ごすわけにはいかない宇宙の秘密だったということは、おぼろげながら見えてきた。彼らはそれを探し出すために宇宙の彼方から来たのだ。
この星系を吹き飛ばしてでも見つけ出したいと、彼らが考えるほどの存在とは、いったいなんなのだろう。
恐ろしいと思う。私たちHearthianの祖先のために木の炉辺をほとんど手つかずで置いておいてくれたNomaiが、たとえどんな知識と引き換えであっても、この星系に不可逆の破壊をもたらすことを考えて実行するだろうか。彼らは探求心旺盛で、でも仲間想いで、はるかな未来を見通せる賢明な先人たち──そんなふうに私が考えていたのは、ただの思い込みだったのかもしれない。
けれど私は、先人たちの言葉を確認できる。彼らが確かにこう言っていたと、その根拠をこの目で見いだすことができる。書かれたものが彼らの考えのすべてではなかったとしても。
だからこれは仮説だ──Nomaiはなにか『とりかえしのつく方法』で超新星爆発を引き起こして、その力を未知の解明に利用しようとした。
普通なら、こんなことは論評に値しない、ばかげた仮説だ。けど現状はどうだ? 太陽の爆発は、なかったことになってるじゃないか。たった22分の間だけであっても。
仮説を証明するために、あるいは仮説の誤りを証明するために、私は私のできることをやろう。絶望するとかパニックになるとか何かを恨むとか、そういうことをやってみるのは、ほかにやることがなくなったあとでいい。
宇宙はまだ、解くべき謎を用意してくれているのだから。
[了]