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どちらかの男性で悩んでいるときは、どちらのことも好きではないんだよ

「どちらかの男性で悩んでいるときはね、どちらのことも好きではないんだよ。」

昔、恋愛の師匠と呼んでいた親友のRちゃんが言ってたこと。

 Rちゃんは9個上のデザイナーで、自他共に認める超恋愛体質で、波乱万丈の女だった。若気の至り的な早い結婚、不倫、離婚ののち、何度もどうしようもない恋愛をしていた。オフィスラブで泥沼の不倫をしていて、別れてボロボロになっていた夏、20代前半だった私と知り合った。

 真夏、ある島で一人旅をしていた私たちは、さびれた民宿でたまたま知り合い意気投合した。歳は離れていたけれど、ふたりとも美術と音楽と美味しい食べ物とお酒を愛して、旅行後もよく彼女の家でお泊まりでよく飲みよく食べた。彼女の料理は格別で、特にお手製の餃子は最高だった。
 彼女は今、二度めの結婚で年上のバーテンダーと結ばれ、1匹の猫としあわせに暮らしている。子供は居ない。彼との結婚生活を経て、彼女は本当に変わった。心も身も丸くなり、おだやかになり、色んな欲望がなくなった。「わたしにとって彼が最後の答えだ」そのくらいのことを言ってのけるほど、運命の男性だったようだ。
 その後ある意見のくい違いで、今ではすっかり疎遠になってしまったけれど、時々懐かしく思い出す素敵な、そして強烈な女性である。

 あの頃の私はなかなか彼氏が出来ず、いつも雷に打たれたように突然人を好きになる彼女を見ては羨ましいと思っていた。反面、その間の激しい恋愛事情を聞かされてきたし、恋が終わるころに受けた酷い態度や口論の様子も聞いた。「なんだかまるで猪みたいに…」全力で突撃しては、最後には傷つく彼女を不思議に眺めていた。

 今35になった私と、あの頃の私が出会ったら、私がRちゃんに思ってたこととさほど変わらないことを感じるんじゃないかと思う。自分の想像するよりもずっと、30以降のわたしは、どうしようもない恋を繰り返してきた。そしていつでも真剣だった。つい最近の彼のように一瞬で終わることはあっても……。

 恋のはじまり・その瞬間。
 そこだけのポイントで過去をふりかえってみると、確かにだれかとだれかで迷ったことはない。
「今だ、いけ……」
そのゴーサインはでているのである。ただ、それが続く恋愛ではなかっただけで、好きになるというきもち自体に1mmの嘘はなかったように思う。

「だから、わたし自身の気持ちには嘘をついていなかったのだ。」

 でも同時に、いつも相手の状況や真剣さにひとつまみ以上の不安要素はあったなということも思う。
(わたしにもっと、経験値やオトコをみる目と自分への自信があったら、きっと違ったのだろう……)

 そうして考えると、今目の前にさしだされる「いいね」と言われる男性の中で、白目を向きながら無理して返信をしている人がいることに気づく。
 目的がただ結婚するため、子供を産むためであれば「ちょっときになることはあっても、安定しているから」とか、「見た目じゃなくて人柄だから」と割り切って間口を広げることはできる。年齢も市場価値もわきまえているつもりではいる。だから妥協点はもちろん探したい。

 でも。会ったこともなければ何の進展もなく、何ターンも繰り返される、たのしくない・心踊らない会話をし続けることに何の意味があるというのかしら…と思ったりする。
・自分の話を日記のように送りつけるナルシストおじさん。
・もじもじと、迂回するように、いつまでたっても真ん中に投げてこない変な会話たち。
そんな男性が多すぎて、麻痺してくる「ひとを好きになる」という感覚。

「どちらかで迷っているときは、どちらも好きではないんだよ」

 Rちゃんが言ってくれたその言葉を、今は信じてみたい。そう思って何人かとダラダラと続けていた男性に、ごめんなさいと言ってみた。ついでに、別れた彼のLINEトークルームも消した(少しだけ未練があった模様)。あぁなんとなく、少しだけ、晴れ晴れとした気持ち。

 恋愛なんて所詮、相手がしっかりと決まるまでは自分ひとりだけの問題。(だから、都度つど苦しくなって、大切な友人を巻き込んでしまうのは本当に申し訳ないという気持ちが、今は大きい。)
そして、「恋する気持ち」はとても貴重な、素敵なものなのです。多分人間は、結局ひとりのひととしか向き合うことしか多分できない。

 そんな気の遠くなるようなネット婚活でも、今ひとり、気になっているひとがいる。奇遇にも、イニシャルはRである。
 彼とのメールだけは毎回開くことを楽しみに思えているのでそれを信じてみようと思う。休みが合わず、なかなか会えないけれど。やはりわたしは、正直で、感性が豊かなひとが好きだ。

 ネット婚活の出会いは無限。自分の中に「迷う気持ち」を見つけたら、即削除、そんなスタンスで行ってみましょう。
 そして、Rちゃんのようにいつか、納得のいく最後のこたえを見出す日がくる日を信じたい。あと、彼女が今も幸せで、元気であってくれたら、わたしはうれしいなと思う。