米津玄師『駄菓子屋商売』感想

 今回はvocanoteではないです。

 今回私が紹介するのは、米津玄師のアルバム『diorama』に収録されている『駄菓子屋商売』です。私は曲単体でいうと、米津玄師の曲の中では『花に嵐』が一番好きなのですが、一番好きな曲で書くのは逆に難しいと思ったことと、アルバムだと『diorama』が一番好きなことと、『花に嵐』は人気の曲なので他に書いている人がいるだろうなと思ったので、駄菓子屋商売を選びました。
 
 初めて駄菓子屋商売を聴いたとき、私は「何この気持ちいい気持ち悪さのある音楽!」と思ったのですが、それは一旦置いておいて個人的な感想というか歌詞解釈をします。

 前ある知り合いに米津玄師の曲を聴かせて、どう思う? と尋ねたら、「あなたとか君とかが歌詞の中で多い」と言っていました。歌って割とそういう歌詞が多いと思うのですが、確かに米津玄師の曲もあなたとか君とかが多いと思います。

 しかし、駄菓子屋商売にはあなたとか君という歌詞は出てきません。それどころか、「僕」さえも
「進めショッピングカート僕を乗せ」というところしか出てきません。他に人の存在を感じさせるところといえば、「ああ、街ではおばけの呼吸が沸き散れば」というところですが、おばけは人でも生き物でもありません。この曲には、「僕」以外の生き物が出てきません。

 ところで、前に私はこんなツイートを見かけました。
「駄菓子屋商売のチューイングガムチューチューのところがうるさい」
 原文はもう少し違う感じだったのですが、大体こういう趣旨の文でした。意訳が間違っていたらごめんなさい。
 私はこの文を見て、確かに、と思いました。うるさいです。なぜうるさいんだろう、と考えてみました。
 
 そしてこう思いました、この曲の主人公はなんだか精神的に幼い。だからうるさいのではないか。

 そもそも駄菓子屋に三億年もいる時点でそうだし、ショッピングカートに乗ったり、しかもイエイとか言いながら乗るし、チューイングガムとかブーイングコールとか連呼しているところが幼い。投げ出し方が「いらね」っていうところも幼い。

 一言でいうと子供だということです。でも、ただ子供としてしまうのも引っかかります。

「もう腐って死ぬ古キャンディ(チョコレート)」という歌詞があるということは、元々生きていたということです。商品として新しい状態で売られていたということです。
「遂に落っこちたエレベーター(アドバルーン)」という歌詞があるということは、元々客=人が来る前提の施設だということです。多分来ていたこともあるのでしょう。

 もう腐って死ぬとか、遂に落っこちたという歌詞があるということは、この曲の主人公(僕)が、そうでない状態、まだ人が来ていたときの状態を知っているということです。

 そうすると、主人公が心身ともに子供だというのは、当てはまらない気がします。

 だから私は、主人公は体は大人で、心が子供の、もっというと、心が子供のまま大人になってしまい、周りの人が離れていってしまった状態の人なのではないかと思いました。

 どうしてこの人がこの状態になっているのか私は分かりません。これは、どうして心が子供のままなのかは分からない、という意味です。主人公の育ってきた環境になんらかの辛いことがあったのかなとは思いますが、はっきりとは書いていません。

 ただ、どうして周りの人が離れていってしまったかは、それを読み取れる箇所があります。
「ああ、街ではおばけの呼吸が沸き散れば ブーイングコール 蒸気みたいに揺らめいてなくなった」

 この場合、おばけとは生き物ではないので、主人公の過去の記憶のことだと思います。おそらく、まだ人が来ていた頃の、心身とも子供だった頃の、楽しい思い出です。それに対して「ブーイングコール」をし、つまり否定し、おばけはいなくなってしまったのです。
 
 おそらく、さっき書いたツイートをしている人のように、「うるさい」と言って、おばけはいなくなってしまったのだと思います。このツイートをしていた人は直感的にこの物語の(私にとっての)核心を突いていたのです。
 
 そもそも、「とうに廃れた知識なんてほら全部全部全部置いて行け」という歌詞で、主人公は過去を否定してしまっています。だから周りの人も主人公から離れたのだと思います。それでまた主人公は卑屈になり、どっちが鶏か卵かはわかりませんが、無限ループを三億年も続けることになったのです。

「這う這うで逃げ出して」という歌詞から、主人公もブーイングコールが攻撃ではなく逃げになってしまっていることは分かっていると思うのですが、自分をショッピングカートに乗せてラッピングし、「嫌になるほど御得な商品さ」と拗ねている(ように私には見えます。開き直っているのかもしれませんが、自分で「嫌になる」と言っているのでどちらにせよ主人公はあまり現状に納得がいっていないのだと思います)ので、まだまだ先は長そうです。

 ここまで主人公に対して偉そうに色々言ってきた私ですが、あまり人の事は言えません。実際ここまで解釈している途中でも「なんか身に覚えがあって痛いなー」と思いました。
 
 私にとってこの曲は「半分自業自得の、果てのない、他人事でない孤独」を感じさせます。

 こう言うとなんだか暗いですし、実際暗い曲だと思うのですが、前に書いた通り「気持ちいい気持ち悪さ」があり、つい何度も聴いてしまいます。多分「他人事でないように感じる」というところが大きいのだと思います。

 さて、ここまで書いてきたことは全て私個人の感想と解釈です。人それぞれの『駄菓子屋商売』があっていいと思いますし、私は色んな人の『駄菓子屋商売』が見たいです。この曲を作られた米津玄師さんと先のツイートをしてくださった方に敬意をこめて、このnoteを閉じさせていただきます。

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