誠実な軽さが心地いい
台風がまたまたやってきましたね。
でも、台風の目の中が無風で驚いた経験、ありません?
■ 人は見た目が9割
竹内一郎『人は見た目が9割』新潮社 が発売されたのは13年前の2005年、100万部超売れたベストセラー本で、当時そのタイトルのキャッチーさに驚いたのを覚えている。内容の「ノンバーバル(非言語)・コミュニケーションの伝達能力の高さとそれが人生を左右していることについて」を簡潔にした恐れしらずなタイトル!……結構すき。
しかし、タイトルの一人歩き感も半端なくて、メディアなどによって作られる概念による判断の危うさが前提になっているにも関わらず、やはり「言葉より見た目は雄弁である」という分かりやすさには敵わなかったらしい。
しかしそれならば、見た目を操作できる人ってスキル高っ!ってなりませんか。
■ 「人は見た目で判断してはいけません」⁉ 言葉より見栄えが左右する
小さいころ、口酸っぱく言われていた「人を見た目で判断してはいけない」は、この歳になると、見た目こそ一次判断の材料であり時に自分に返ってくる厄介なシロモノだとしたうえで、極まれに「見た目にとらわれない意外な人」というのが現れるという認識で間違いない、と思っていたのだけれど。「見た目が定まらない人」というカテゴリが存在するのを初めて認識したのが、
●【MV】PERFECT HUMAN / RADIO FISH - YouTube
● チームしゃちほこ×RADIO FISH / Team Syachihoko × RADIO FISH - 「BURNING FESTIVAL」 [OFFICIAL VIDEO] - YouTube
オリエンタルラジオの藤森慎吾さんである。
ぜひ、動画で見ていただきたい。受ける印象の違いに驚くはず。
芸能人だから与えられた役で違うのではとお思いでしょうが、出演しているTVやトークライブなどみても、いつも「?」が浮かんでくるのである。
きれいな羽衣を全身に纏っているかのような感覚。つかんだら本体は逃げちゃったってなるなきっと、という感覚。
では、発する言葉で判断しようと思うと「チャラ男」キャラである。
まぁ攻略し難いことこのうえない。
くるくる変わる見た目に判断を保留しているうちに惹きつけられてしまう。
コミュニケーション能力が高いと言われる彼の作戦なのか⁉
■ 才能とは努力の習慣化である
見た目がくるくる変わると、信頼できない感じが増すものだが「藤森慎吾」にはそれを感じない。
「どことなく胡散臭い」と「なんとなく掴みどころがない」は似ているようで全く違う。その違いは彼の努力からくるものだろう。
相方から日記をつけることを進められれば10年続けるし、マラソンを始めればコツコツと走り続ける。習慣化するのが非常にうまい方である。
自分をある方向に位置付けるには努力が必要だと思われるが、努力を努力(=苦労)にしないためのコツは習慣化することが近道であることを知っていて、それを軽やかに行うものだから嫌味がない。
語られない努力が彼の魅力を増幅していて、あの独特の誠実な軽さが出せるのではないかと思うのだ。
言葉によらない彼がコミュニケーションの達人であるのは、彼のもつ非言語的な部分に魅力があるからだろうと思う。
そんな藤森慎吾さんに会ってみたくなりません?
■ 45歳から楽しむライブ
ライブは、上半身を動かすだけで楽しめる振り付けが多く、しかも初見でもできるように丁寧に誘導してくれます。
そして何より、笑えるかっこいいライブ なんてめったに出会えるもんじゃない。
気づいてみれば、高音の藤森さんの声にも魅了されていて、何かよくわからないけれど次も行きたいという気持ちになっています。
今あなたが暴風雨のような中でがんばって踏ん張っているなら、思い切ってその中心に行ってみるとぽっかりと風のない地帯が現れる。
その時、次に向かって突き進めるための歌は世間にあふれてる40代向けのものじゃ物足りないはず。
笑えるから。
そして見た目のカッコよさにもドキドキできるから。
だって、好みなんて千差万別。
ぐるぐる考えないで軽薄に「カッコイイ」ってつぶやいて楽しんだらいい。
見た目にグラグラ揺れちゃう、意外な自分を発見して笑っちゃたらいい。
全部味わいたいあなたの知らない世界がまだあります。
(2018.8.25 再掲一部変更)
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