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「君たちはどう生きるか」を観て、どう生きるか、生きたいかを考えたおはなし
7/27に宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」を鑑賞してまいりました。
鑑賞した帰りのカフェで手帳に書き綴った私の感想にいろいろ書き加えて、ここに記録しようと思います。
序盤のサイレンの音で、戦争ものか、内容重そうだなと思ったが、物語が進むにつれ、ジブリワールドが広がっていき、楽しく、そして考えさせられながら観ることができた。
鑑賞した直後、思ったことは、「え、もう一回観ないと理解しきれない」だった。この映画を観た多くの人がそう思ったのではないだろうか。
そんなまだこの映画の表面しかわかっていない自分だが、観て思ったことをここに綴ろうと思う。
この物語の中心はなんといってもあの宇宙から降ってきたという塔だろう。あれはいわゆる「メタバース」、つまり仮想空間のようなものだと思う。大叔父さんは本を読んで、思いふけるのが好きだったのだろう。そして、ある日、思考を極めすぎた大叔父さんはついに身体を捨てて、思考の中に入り込んでしまったのだと思う。宇宙の飛来物のパワーのようなもので。メタバースもそのような仕組みだろう。現実世界を飛び越え、インターネット上の仮想空間で自分の分身を作り、活動していく。その分身は自由自在につくれる。よって、必要なものは自身の思考のみだ。メタバースの仕組みに関して、知識がないので、詳しいことはわからないが、認識としては合っていると思う。
そんな塔の中世界は、ワラワラやしゃべるインコなど、ファンタジーかつカラフルな世界だった。でてくる雑貨や風景がなんとなく、今までのジブリ作品に出てきたものたちに似ていて、「ジブリ」が詰め込まれている作品だと思った。宮崎駿監督もこの作品に特に思いを詰め込んだのだろうか。
物語に出てきたインコたちにはどうやら階級があるみたいだった。王様がいたし。それを「塔の中、メタバース説」に当てはめてみると、きっと仮想空間であるメタバースでも、いずれ現実世界のように階級ができ、格差が生まれていくのではないだろうか、という疑問のなげかけのように思える。大勢のインコたちはきっと「周りが言っているから」「みんなやってるから」と流されて生きている人たちの比喩なのではないだろうかとも思った。インコは教えた、言った言葉を繰り返すから。
物語のラストに大叔父さんが真人くんに石の管理を任せようとするシーン。あれはメタバースのプログラムの管理を任せるみたいな感じなのだろうか。自分の思いのままの世界を作れる、死んでしまった人にも会える、そんな素晴らしい世界を作り、管理することを任せた。しかし、真人くんはそれを断った。大好きなお母さんと一緒に暮らしていけるのに。激化していくであろう戦争があり、お母さんもいない厳しい現実を選び、生きていくと決めたのである。ここで、わたしたちは「どう生きるか」を投げかけられたのだ。なにもかも思い通りになる石のなかで生きるか、厳しくもしんどい現実で生きていくかを。私たちはどう生きるか、どう生きていきたいか、それらをすごく考えさせられた。
ここまでが、私が「君たちはどう生きるか」を観て思った感想である。感想を書き綴って、思ったことは、「もう一度観たい!」である。物語に込められている思い、それを観るのも大事だし、好きだが、あの怪しくも、色とりどりでキラキラした世界をもう一度観たい!アオサギの美しさと不気味さ、真人くんの美少年ぶりなど、魅力がいっぱい詰まった作品である。パンフレットも発売されたみたいだし、それを買いに、映画館へ足を運び、もう一度あの塔の中へ入ってこようと思う。