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CRYAMYとわたし

前置き

今回はCRYAMYと私の出会いやCRYAMYに対する想いをお話ししたいと思う。かなり思想が強めの内容になる予感がするので、CRYAMYを聴きながら涙を流したことがないような人は読まないことをオススメする。Xで繋がった人でこの冒頭を読んでくれている人もいると思うが、本当にこれは読む人を選ぶnoteになるため、振りとかではなくブラウザバックをオススメする。Xは好きな音楽の好きな部分で繋がれる場にしたいからだ。棘のあることも述べるため、この記事を抜きにして音楽で繋がりたいと願うばかり。

まずなぜこの記事を書こうと思ったかについてだ。少し前にXで「音楽に救われるにも種類があると思っている」といった内容の投稿をした。それにはライブが終わったあとに抱く想いが「生きててよかった」か「まだ生きるのも悪くないな」の大きく2つある気がしていて、CRYAMYや時速36kmでは後者が圧倒的に大きかったという内容。今メンタルが底に近いほど落ちているということもあるとは思うが、お酒が入ると、最近のエモい恋愛ソングを聞いて共感しているだけで「音楽に救われてる〜🎶」と言っている人や激しいメロコアのフロアで暴れ回っている人に対して棘のある言葉が出てきてしまう。上に述べたように、Xは好きな音楽の好きな部分で繋がる場にしたいため、こういったことは吐かないようにしているのだが、酔っていると書き込んでしまうこともあり、我に返って投稿削除を繰り返している。これからもうそんなことが起きないように、ここにそういった想いを全て吐き出し尽くしてしまおうと、これがこの記事を書こうと思い立ったきっかけだ。また、その想いがもし誰かと共感などできるのならば、嬉しいことこの上ないと思っている。

別に音楽を聴く目的やライブに行く目的なんて人それぞれだし、それを否定するつもりは毛頭ない。それぞれの音楽にそれぞれの救い方があると思っている。ただ、CRYAMYの音楽に本当の救いを貰ってから、軽々しくこの言葉を発する人に対して、メンタルが落ちた時にだけ棘のある言葉が少し浮かぶというだけだ。本当の救いという言葉も薄っぺらいが、この記事をここまで読み進めてくれた人ならば分かってくれるのではないかなと思う。それでは本題へ。

出会い

CRYAMYと私の人生を語る上で外せない登場人物が2人いる。軽く紹介する。

①先輩Sさん(及び元カノYさん)
この人はサークルの先輩で今の自分を構成する音楽の殆どを教えてくれた大恩人である。この先輩の元カノYさんは先輩の同期とも仲が良く、数人でする飲み会には時々顔を出していた。Yさんもバンドがかなり好きで自分とも仲良しに。SさんとYさんは半同棲状態だった。

②同期C
サークルの同期の女の子。部活のマネージャーもしていたが、そこでの人間関係を含む云々や彼氏との揉め事等で精神的に落ちていた際、CRYAMYを勧めた。

本題へ移る。
CRYAMYとの出会いは2020年春、大学2年生の頭だった。上で述べたSさんとYさんに別れが訪れる。Yさんはかなりのメンヘラ気質で先輩から聞いた話では、別れ話を過去もしたことがあるそうなのだが、その次の日に家に帰ると薬とお酒が机に置いてあったり、首吊り未遂の跡があったりと、そんな感じだ。こんな2人だが、コロナ禍でお互いが実家に帰ることになり、自然消滅のような形で破局に至ったらしい。その際、YさんのインスタのストーリーにCRYAMYの物臭が上がったのだ。その時の私といえば、2019年に感じたtetoの衝動に身を任せ、「音楽なんて熱苦しくて速い方がいいし、そうでないならロックじゃない!」なんて思っていた頃だった。今思えば、上で述べたような今の私があまり良くは思わない人種だったのかもしれない。人って変わるもんで、見逃してください。

物臭を聞いて今までに出会った音楽には無かった居心地の良さのようなものを感じた。私はもともと自己肯定感が低いタイプで、周りのことを見すぎたり考えすぎたりしてしまう性格であるため、他者比較をして自己嫌悪に陥ることも多かった。また、努力が実ってきた人生とは到底言えず、なんとなく生きていても人生上手くいっている人に対して嫉妬や羨望の想いも少なからず根底にはずっとあったように思う。そんな時に出会ったCRYAMYは今までの自分の人生を肯定してくれるような優しさを感じた。そこから世界やディスタンスを聞き、CRYAMYは自分の一部としてどんどん馴染んでいった。

そのあとすぐSさんと飲んだ際にバンドの話になり、最近聞いているCRYAMYを持ち出した。すると流石のSさん既にCDを持っており、「俺はこの先輩より先に見つける音楽はあるのか?悔しい、、」と思いながら、CDを貸してもらった。もしかしてYさんに教えたのはSさんなのかとか思ったけど、まあどうでもいい。この際におまけでこれも聞いてみって渡されたのがPK shampooだった。今ではPKも愛してやまないバンドだ、ほんともうこの人はすごい。

この時貸してもらったのがcrybaby、#3、GUIDEの3枚。廃盤も中にはあったような気がする。携帯に落としてすぐさま聞き始めた。

正直この時期は他の音楽にはない優しさや居心地の良さを感じ、自分の負の感情に寄り添ってくれる音楽という程度だったような気がする。私にとってのCRYAMYが特別な存在になったのは翌年、2021年の春頃だったように思う。

理系大学生だったが、特に専攻学科の内容でやりたいことが見つからず、大学3年生の頃ぼんやりと学部で就職しようかなあと考えていた。そう思っていると気づいたら夏インターンの申し込みが始まる時期に。何か始めないとと思う反面、何からやればいいかがまず分からず、その状況が苦しかった。今思えば情けないが、個人的に、明確なやるべきことができていないというのはまだマシな状態だと思う。何をすべきかも分からないが、その何かをやらなければいけないのは確かで、何もできていない自分への自己嫌悪が無限に続くことは地獄だ。且つその感情は日に日に増していくばかり、その何かを調べないとと思いはするが体が動かない、その時点でかなり自分の精神はすり減っていた。気の許せる大学の友人はほとんどが理系だったため学部就活をしている人はほとんどおらず、相談もできない始末、誰もが乗り越えている就活なんかで病んでるなんて言えなかった、しかも始める前の段階だなんてもっとだ。当時の彼女は学科の同級生で、数少ない就活をしている身近な人だった。当時、自分も就活をしようと思っていると話したところ、周りに就活してる人いないから一緒に頑張れる人がいるのは嬉しいと返ってきた。その言葉も自分を苦しめていたように思う。彼女に何からやればいいのかすら分からないとも聞けず、遂には「口だけで何もしてないやん」と言われる始末、もうメンタルはダメになっていた。当時調べたが、抑うつの症状がビビるくらい当てはまっていたことを覚えている。大学の友人とも会う気分にあまりなれず、就活とか何も関係の無い地元の友達に会いたいと思い、お盆頃帰省をしたいと親に連絡をした。ところが当時はコロナ禍真っ只中、私の地元三重県はコロナウイルスがそこまで蔓延していなかったのに対して、今住んでいる福岡はコロナウイルスが蔓延していた。当時コロナウイルスに対する風当たりは世間的にも非常に強く、親は福岡にいる私をウイルスかのような言い方をし、「今じゃなくてもいいんじゃない?友達にはいつでも会えるし、、」と言い放った。就活の話やメンタルの話は何もしていなかったが、もう何も言う気が無くなり、「わかったそうする」とだけいって電話を切った。家族すらもその対応なのかと、コロナ禍だった故しょうがないとも思うが、当時の自分にとっては大きな傷だった。もう私を救う手段は無くなったように思えた。もう生きていることすらしんどかったし、何もできない毎日が続いていくことも自分を締め付けた。そんな時に自分を救ったのがCRYAMYだった。その頃音楽を聴く気力もなくなり、ライブに行くのもめんどくさいと思うようになっていた。今となっては考えられないが、大好きなSIX LOUNGEのライブ中に早く帰って寝たいと考える程だった。しかし、不思議とCRYAMYの音楽だけは聞いていられた、むしろ常に流していたいと思っていたように記憶している。この頃の自分すらも肯定、ではないかもしれないが、それでも生きていて欲しいと言われているような気がした。ただ生きる理由をくれていた。就活は今年はせずに院進をしてからすることを決め、就活のことは全て忘れることにし、メンタルは少しずつ回復に向かった。そんなこんなでなんとか元の日常に戻ることができた。CRYAMYの音楽がなかったら、とっくにへばっていた気がしている。自分にとって、その間の延命措置のような救済だった。

そんなとき同期のCから相談があった。部活の人間関係で鬱気味であるのに加え、彼氏からのそれに対する対応の仕方も火に油を注いでいるような状況だと。ただお互い彼氏彼女がいながら異性とサシで飲むのは無しという価値観は一致していたため、そこで共通の仲が良かったSさんと3人で飲むことが決まった。色々と話を聞き、自分と同じような性格であると感じたことから、CRYAMYの音楽を勧めてみた。CDを借りて帰り、後日「泣きながら聞いた、ロックバンドとかほぼ聞かないけど教えてくれてありがとう」とLINEがきた。これを聞いて思った、CRYAMYはロックバンドという範疇に留まらないのだと、また音楽という範疇にも留まらないのかもしれない。音楽を聴く人聴かない人問わず、人を救うことができるモノなのだと強く感じた。Cは愛想満点で誰とでも仲良くなれるタイプ、周りをよく見ていて気配りや場の雰囲気作りもできる優しい人だ。ただ属するコミュニティが悪かっただけだ。勝手に持論だが、CRYAMYの音楽が刺さる人は本当に優しい人なのだと思う。周りを考えすぎて傷ついて、でもそれを口に出せず、自分の感情よりも周りを優先させてしまうような、そんな人なのだろうと、Cを見ていて強く思った。自分で言うことでもないが、当時の彼女から振られた理由が「優しすぎる」だった、自分も該当するのかもしれない。そういう人が損をする世界が許せないと思うと同時に、そういう人だったからこそCRYAMYの音楽を素敵だと思えたのかなとも思う。よくバンドマンがMCで言う「ここにいる皆さんそれぞれの人生があって〜」的な言葉、確かにこのライブに来てる目的とか音楽に求めることは人それぞれだよな〜って思うけど、CRYAMYのフロアにいる人たちは、大まか人生のベクトルというか、内面の根底にあるものは同じなんじゃないかなっていうような、同志のような感覚があって好きだった。

その飲み会をきっかけに3人でよく飲むようになり、初めてのライブに行くことが決まる。redのリリースツアーだ。

ライブ


2021年9月20日、今でも忘れない初めてのCRYAMY。まさかの1993と日程が被っていたが、問答無用でCRYAMYを選ぶくらい当時の自分はCRYAMYを神格化していたように思う。対バンのw.o.d.も初めて生で見たがかっこよ過ぎた。が、CRYAMY以外アイドルしかほぼ聴かないCは「ボーカル顔ちっちゃ、かっこいいし結構タイプかも、、」とか言っていた、おいおいとなったような。そのあと死ぬほど見た世界のLIVE VIDEOに居たカワノさんがステージに登場した。もう神だった。正直セトリはいまいち覚えていない、ただ感情が50回転くらいしたのは覚えている。redをはじめとして1曲1曲に対して自分の過去や気持ちが重なり、気づけば全ての曲が宝物のようになっていた。ライブ終わり3人で飲み、結局Sさん宅で朝まで飲んだ。こんな素晴らしい夜があるなら、まだ生きるのも悪くないな、そう心の底から思った。

そこからは常に自分が転落しそうな時に引っ張ってくれるというか、背中を摩ってくれる音楽として居続けてくれた。ライブは2022年の売上総取と2024年の人、々、々、々ツアーを合わせて全3本しか見れていない。だが数え切れないくらい救ってくれた。万能ではないかもしれないが自分にとって確実に神だった。こんな強すぎる想いをCRYAMYに対して持ってしまっているため、2024年のツアーにいたCのバイト先の友人Tにもイライラしてしまった。「マリア聞いてメロディーいいなと思って来たんだよね、軽音サークル入ってるから機材とかも見たくて」とか言って、なんじゃこいつと思ってしまった。そもそもこのTは、Cが上で述べた彼氏と別れて傷ついている頃にCに近づき、適当に告白したのち、同時に告白していた別の子と付き合ったからと言って、ごめん告白なしにしてとかゆった奴だ。その話を聞いていたから元々嫌いだった。最近別れたのかまたCに連絡してきたらしく、会うための口実としてCRYAMYのライブに来たのだろう。俺がいて悪かったなガッハッハ。だがそんな手段としてCRYAMYを使うな、許せない。

そのあと、就活もやはり死ぬほど努力はしたつもりだったが第1志望には届かなかった。いつものことだ。その際も当時以降で1番メンタルが荒んだが、横にはCRYAMYがいた。今回は一緒に就活を奮闘した友人もいたため、本当に助けてもらった。無理に干渉しすぎず常に待っていてくれた、感謝しかない。またCRYAMYを福岡で見れる日を楽しみにしていたら、カワノさん脱退の報道。心の整理がつかなかった。ただ、本当に今までのすべてに感謝しかない、多分これからも死ぬほど頼りにさせてもらうと思う。

1曲毎への愛を綴ろうかと考えたが、字数がべらぼうに増える気しかしないので今回は割愛。

最後に


最後に言うことでも無いかもしれないが、CRYAMYだけしか音楽で人を救う手段がないと言っている訳では無い。実際にCRYAMYに出会う前はハルカミライ、THE FOREVER YOUNG、HERO COMPLEXあたりに生きる活力を貰っていた。ただ背中を押すだけではなくて、横にいてくれる音楽。頑張れ〜みたいな所謂邦ロックみたいな浅い雰囲気じゃなくて、心の奥底を掴まれる音楽、今でも自分の支えになっているし、ライブにも通っている。ただCRYAMYに出会って以降、こういった系統のバンドに新しくハマることは無くなったように思う。このバンド達は当時の自分を支えてくれていた記憶も重なり、今も聞いているような気がしている。Brown Basketとかプッシュプルポットは当時出会っていればハマっていたのかなあとかしみじみ。それ以降に出会ったバンドだと時速36km、BAN’S ENCOUNTERあたりがありのままの自分を肯定してくれているような気がして好きになった。

CRYAMYにまだ出会っていない人にも今後あの素敵な曲達が届き、生きる理由をくれるのだろうなあと思う。アーティストが音楽を退いたとしても、作り上げた音楽は色褪せることは無い。音楽の素晴らしいところだと思う。

なんか自分の過去の話をベラベラと述べただけになってしまったかもしれない。ただその中にあるCRYAMYへの愛と想いが伝わっていれば嬉しく思う。CRYAMYに対してかなり強い思想を持っていること、痛ファンであることは重々自覚しているが、これに関しては曲げるつもりは無い。自分を間際から救ってくれた音楽を自分が肯定しない理由は無い。ただ大衆に対する皮肉のようなものを多く含むためここで供養させていただく。もうXではCRYAMYと比較しての毒は二度と吐かない。

また、ここまで読んでくださった人の中には、本当に高層ビルから飛び降りる寸前にCRYAMYに引き止められたような人もいるのかなと思う。そういった人から見れば、私の生きるのがしんどいとか上でベラベラ述べたことすらも浅く、お前こそ音楽に救われたとか言うなと思ったかもしれない。それは間違いないし、あなたの言う通りだと思う。

ただCRYAMYが居なければ今まともに生きていなかったかもしれない、その点では同じではないかなと烏滸がましいが思う。今後CRYAMYが復活するかどうかは分からないが、どちらにせよこれからの人生もCRYAMYがそばに居てくれる気がする。また、Xを始めて、自分以外にもこんなにもCRYAMYを愛する人がいるのかと勝手に嬉しくなった。皆さんといつかCRYAMYについて語りたいなあとか思ったり。カワノさんが何かの気まぐれでまた音楽に携わってくれるなんてことがあれば嬉しいことこの上ない。ただひたすらにゆっくり休んで欲しいとも思う。

本当に最後に、野音に行けなかった勢なのでいち早く映像化を期待している。皆さんの感想を読む度にその思いは増している。

CRYAMY及びカワノさん、音楽をしてくれて本当にありがとう。またどこかで。

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