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SNSは”ファッション化”を助長した
前置き
自分を構成する趣味として「音楽」があまりにも大きなウェイトを占めているが、同じくらい好きなものに「洋服」と「美術」がある。
これらに共通することは何なのかと考えてみると、「受け手の感性によって解釈が変わるもの」ではないかなと思った。自分がすこぶるいいと感じたものでも、他人は全く刺さらないことも多い、音楽だと特に感じる。洋服においてもストリートや綺麗目、モードなど様々なジャンルがあり、どれを良いと思うかは人それぞれだろう。美術は特に抽象画において、その絵の意味することの解釈は受け手に委ねられる。私はこういった受け手によって想像や解釈の幅が生まれるものが好きなのかなと思うと共に、それについて他者の解釈や気づきを知るのも好きだとXを始めて更に思った。洋服については解釈ではないかもしれないが、その人なりの表現を見るのは非常に好きで、FASHION SNAPのインスタグラムを眺めては自己表現の素敵さに感嘆している。
ふと少し前、こんな言葉をXで目にした。
“最近の人はファッションをファッションとして好きなのではないか”
私の言いたかったことが全てこの言葉に詰まっていて驚いた。これは最近の洋服にまつわる諸々について思っていたことでもあるし、音楽や美術についてもびっくりするくらい当てはまると感じている、所謂「ファッション化」とここからは呼ぶことにする。これからそれぞれについて触れていく。前提として、ファッション化している人達を否定している訳ではないことは念頭に置いておいて欲しい。
洋服
最近インスタグラムやYouTubeで下のような言葉を多く目にする気がする。
“これをマスターすれば女子受けバッチリ!”
“この7つの法則で誰でもお洒落に!”
ちょっと皮肉めいた言い方になっているかもしれないが、大袈裟に書くとこんな感じだと思う。こういった洋服に関する発信については否定的なものは全くなく、むしろ肯定派である。プチプラブランドをはじめてとして洋服に興味を持つきっかけの提供にもなると思うからだ。実際に自分も洋服に興味を持った入口はこういった発信であったし、知っているブランドもSNSを通じて広がっていった。しかし、この受け手側に疑問を持つことがある。入口としてSNSの発信は素晴らしい手段だと思うが、それ通りに服を選ぶことが自分にとっての「好きな洋服」になっているような気がどこかしてしまう。そして棘のある言い方をすると「自称服好き」が自分の好きな洋服もないまま、大衆受けする洋服の発信をするインフルエンサーになっている節も感じる。本当に服が好きならプチプラの同じような服を10種類買って紹介するより、その金でドメブラの服1着でも買った方が幸福度高くない?とか思ってしまう。もちろんそこから自分の好きな系統やブランドを見つけ、巣立って行く人もいるとは思うが、インフルエンサーのように洋服を発信している人の多くは上で述べたような人になっているのではないだろうか。インスタで見る投稿の殆どは「綺麗目」「プチプラ」が多いような気がする。逆に洋服を自己表現の手段として考えていそうな人は、自分のファッションを載せて、気になった人だけフォローして下さいのスタンスに感じる。偏見も混じっているため、気分を害していたら申し訳ない。
良くも悪くもSNSが普及した今、大衆が好きな服装があまりにもマスに広まってしまった。自分の好きな洋服があっても、周りの目を気にして着られない人も多いと思うが、それはSNSがその風潮を助長していると考えている。そのため、その大衆受けする洋服の発信は需要があることも分かる。だが、自己表現の阻害とも取れるような気がする。こういった考えをふんわりと持っていた時に、「ファッションをファッションとして好き」というパワーワードが飛び込んできた。恐らく上で皮肉めいて表現した人達は大衆受けするファッション、特定の人に刺さるでしょこのファッションを身に纏うことが好きなのだろう。このブランドが売れているから買う、人気になるって言ってたから今買って感度が高いことをアピールする。それはファッション、洋服を好きなこととは異なるのではないかと自分も感じていた。捻くれている考えだとは思うが、洋服に関してはこんなところ。
音楽
音楽のファッション化としてやはり大きいのは最近のフェス文化だろう。芝生やモニュメントの前でタオルを広げて写真を撮ることや、ラバーバンドを写して写真を撮ること、そしてその映えた写真をSNSに載せることがフェスの醍醐味のようになっている人達も多い気がする。特にインスタグラムで感じる。実際、フェスで撮った写真やフェスに関連する写真全てSNSへの掲載禁止みたいなことにしたら動員数はどれくらい減るのか気になってくる。とかとかは置いといて。
やはり音楽もSNSの普及により段違いに発信力が変わったように思う。TikTokに音源として使われてバズればバンド名も売れるなんてことも最近は少ない話ではないだろう。これに関して、良い音楽がより多くの人に届くきっかけの提供という意味では、洋服と同じく肯定派である。ただ、音楽がただの手段として使われていると感じる私の感覚を加速させたのも、今のこの流れであることは間違いないと思う。こういったのをきっかけに新しい音楽に出会えることは嬉しいが、自分が元々好きな音楽がキャピキャピ踊るだけのBGMとして消費され、そんな人達ばかりがライブのチケットを買い、自分が落選なんてしたら正直むかつくところはある。私はTikTokを1回もインストールしたことがないので、上で述べたことは全部想像論です、そんなことない!という意見も受け付けます。しかし、自分はそんな出会い方はそもそもしたくないという想いもあって、TikTokを入れていない。あとは何となくあのアプリが受け付けないのも少し。いい音楽にはいい出会い方をしたい、それはライブの対バンでも、同じ音楽の趣味の人に教えてもらうでも、ひたすら掘って見つけるでも。音楽は音楽として出会いたいということで、なんか上手く伝えられないけどそんな感じ。
なんか脱線した気もするが、音楽に関しては「この音楽を好きな自分をSNSに載せることが好き」という意味でのファッション化かなと。あるいは「フェスに行ってる自分が好き」とかもそうかもしれない。別に構わないし、好きなバンドがそういった人たちのお陰でより美味い飯を食うことができて、より良い曲を作ることに繋がるならば嬉しい限り。ただバンドの顔に泥を塗ることだけはしないで欲しい、それだけ。最近のフェスでの大人数での集合写真もそうだろう。音楽は手段か目的か、そこだけはっきりしてくれれば、音楽のファッション化は構わない。んや小箱で見続けたい気持ちも少し、んや売れてくれた方が嬉しい。
美術
美術に関しては音楽とほぼ同じであるため、新しく述べることはほぼ無い。ただ美術館や展覧会で目に入る人の層でいうと、音楽よりも酷いのかもしれない。フェスは少なからず、来ている人はアーティストを見てノッたり飛んだりしている。ただ美術を手段として使っている人は見るに堪えない。作品の前でポーズを決めて、もう1人がそれを撮る。撮り終わったら入れ替わって、また撮る。その後ろにはただ作品を見たい人の列ができている、なんてことは日常茶飯事。小さな展覧会であればほぼ居ないが、最近で言うとモネ展のように、没入型といったインスタ映えがするような展覧会はそういった層が多いように思う。一部撮影許可のような展覧会では、許可されている作品の前に群がっている。これを見ていると美術のファッション化を強く感じざるを得ない。勝手にしてくれて構わないが、周りにもう少し目を配って欲しいと思う限り。
最後に
別にファッション化を否定はしていない。そういう人たちによって経済は回っていると思うし、好きなバンドマンも好きな音楽をできることに繋がっていると思う。ただ一つ思うのは、それ自体を好きな人達が気分を害するようなことは辞めて欲しいなということぐらい。自分の感じたことという程度で、別にこうあって欲しいとかではないので悪しからず。では。