インディーズから推していたバンドが売れることについて
こんにちは。
初めての投稿になります。タと申します。
私は今大学院修士1年生のただのロックバンドが好きな男で、それ以外には特に何もない。
最近のエモい恋愛を歌えば売れるようなロックの音楽界に嫌気がさしている捻くれ者である。私と同じような気持ちの人もいるのではないかと思い、その想いを共有できる場があればと始めてみた。
ここでは日々のライブの感想や、最近の音楽について、また私の音楽観についてお話ししていきたいなと思っている。
最初の投稿内容について迷ったが、バンド好きが昔から、インディーズの頃から推していたバンドがメジャーデビューし、大衆受けしていくことについて話したいなと思う。
私にとってそんなバンドとして一番印象深いのはSUPER BEAVERだ。
中学生の頃、フェス好きの姉の影響で、姉が借りてきたCDを落として聴き始めた。メロディーだけを聞いてきた今までの音楽とは全く違い、歌詞がすんなりと自分の中に入ってきた。上手く生きれない自分の人生を歌っているような、自分のためにあるような音楽のような気がした。
そんな時、「真ん中のこと-EP」がリリースされ、ツアーが発表された。姉にライブに行ってみたいという話をすると、なら行ってみる?と言われ、初めてのライブハウスに行くことが決まった。ライブハウスに対して、最初は怖いようなイメージを抱いていたが、SUPER BEAVERを生で見たい気持ちが勝っていた。初めてのライブハウスは名古屋のダイヤモンドホール、今でも覚えている。SUPER BEAVERを好きな人だけの空間、大好きな音楽、胸の高まりを抑えきれなかった。「それくらいのこと」の前のMCで号泣し、曲を聴きながらまた号泣した。私にとって確実に人生の転機だった。
フロアに何人いても、1体1で対話してくれる、そんなライブだったと今でも覚えている。このバンドは自分を助けるためにあるんだと、そして自分と同じように日々に苦しんでいる人や、この音楽に救いを求めているような人が今日この日にライブハウスに集まっているんだと、この場にいる人が自分の同志のように感じた。この音楽が好きであることは当然であるが、このバンド、そしてフロアにいる周りの人も含めて、なんとも言い難い一体感を覚えた。
SUPER BEAVERが売れることはもちろん嬉しかった、自分が救われた音楽がより多くの人々に届くのだから。しかし、なにかモヤモヤする気持ちが拭えなかった。それは上に書いたような一体感を失ったような気がしたからではないかと感じた。
ただライブが好きな人、フェスでワイワイするのが好きな人、「邦ロック」が好きな人、そういう人に対する大衆受けの音楽になってしまった気がしたのかもしれない。
本当にロックバンドを、このバンドの歌詞を、MCの言葉を、求める人が果たして今どれくらいいるのだろうか。人気アニメのOPになるなどして、今やこのバンドの名前を聞いた事のない人はいないだろう。中学生の頃、このバンドの話をしても知らんぷりをされたあの頃とは違う。しかし、話が通じる嬉しさよりも悲しいものがある。それは自分のスーパーヒーローでは無くなってしまった感覚なのかなと思う。
今でもSUPER BEAVERは好きだ。だが、あの頃と同じ気持ちでは聞けなくなってしまった。好きなバンドが売れる悲しさとはこうゆうことなのではないかと思う。バンドの歌詞を、ライブハウスという場を愛する人ならば分かってくれるのではないかと思う。上手く言葉にできていないが、伝わっていれば嬉しい。
今の自分にとってそういうバンドはさよならポエジーやCRYAMY、時速36km、PK shampoo、ハルカミライ、Age Factoryなどだ。好きなバンドは増えまくっている。
このバンドたちがただ消費される大衆バンドにならず、各々のスーパーヒーローであることを願うばかりである。なんかいろいろ変なことを言ったが、あの頃と変わらないのは私はロックバンドの音楽を愛しているということだ。