三浦雅士――人間の遠い彼方へ その1、その2
三浦雅士――人間の遠い彼方へ その1
鳥の事務所
三浦雅士――人間の遠い彼方へ
鳥の事務所
第Ⅰ部 批評家としての三浦雅士
α篇
三浦雅士
――批評的散文詩の発明
そもそものはじめに
本稿は以前、突発的に、前の会社を辞めて、次の仕事が全く見つからなかったときに、半年ほどかけて書いた、一種の殴り書きです。テーマとなっている三浦さんには全く申し訳ないが、自らの能力的な問題で、全く的外れな文章のようなものになってしまいました。
ただ、ほっておいても仕方がないので、ここに徐々にアップしていこうと思います。その過程でなにか修正すべきことも、自分で気づくのではないかと思います。
という訳で、宜しくお願いします。
2024年5月7日
鳥の事務所
はじめに
本書は文芸評論家・三浦雅士氏を扱ったもので全3部作のうち、第1部の最初の部分を切り分けたものである。
全体を示すと以下の通りである。
三浦雅士――人間の遠い彼方へ
第Ⅰ部 批評家としての三浦雅士
α篇「三浦雅士――批評的散文詩の発明」
β篇「三浦雅士――凝視と放心の発見」
γ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」
第Ⅱ部 三浦雅士全著作解題
第Ⅲ部 編集者としての三浦雅士
このうちの「第Ⅰ部 批評家としての三浦雅士」現7章のところ、第1章から第5章までを、α篇「三浦雅士――批評的散文詩の発明」とした。
また第6章、および第7章をβ篇「三浦雅士――凝視と放心の発見」と題した。
また第8章以降はγ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」(仮題)となる予定である。
さて、それでは、簡単にα篇「三浦雅士――批評的散文詩の発明」が成立するに至る経緯から簡単に概観してみよう。
文芸評論家・三浦雅士氏は若年の頃、詩と批評誌『ユリイカ』と思想誌『現代思想』の編集長を務め、伝説の誌面づくりと、その編集後記で、その名を今現在まで轟かせている。
今後の日本の文学史、批評史、思想史には、恐らく、三浦氏の名は「『現代思想』の編集長で、1980年代初頭のニュー・アカデミズム・ブームの下準備をしたこと」で記憶されるに違いない。
これはこれで大切なことであって、そもそも、その『現代思想』、あるいは『ユリイカ』がどのように編集されていて、一旦どんなことが書かれていて、同時代的に、また、後世にいかなる影響を与えたのか、といった詳細な研究はまだないはずである。今後入念な準備のもとにこの企画は達成されねばならない(→「第Ⅲ部 編集者としての三浦雅士」へ)。
しかしながら、三浦氏の真の実力は、果たして、そこに留まるものだろうか。
後年、三浦氏は舞踊評論家として、また『DANCE MAGAZINE』の編集長として、日本では比較的馴染みが薄い舞踊、ダンス、バレエといった分野の啓蒙にも尽力してきた。この分野においては、三浦氏の「考える身体」などに代表される、独特の身体論の再検討、再評価とともに、音楽、舞踊、絵画といった、いわゆる「非言語の芸術」をいかに言語で批評するのか、といった問題も口を開けて待っている。
これは単に「芸術批評」の問題にとどまらず、そもそも人間が動物とその存在を分かったという次元の文明的な考察をも要求している。なんとなれば、「舞踊こそ芸術の根源である」というのは三浦氏の言葉であるが、恐らくその場合の「根源」とは人間が動物の世界から身を起こしたところに潜んでいるに違いないからである。
これらの問題を問うことは、三浦氏の存在を一人の「文明批評家」として再発見することに他ならない(→「第Ⅰ部・γ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」」へ)。
恐らく三浦氏の特異な点、どうしても論じておかねばならない点が以上の2点なのだが、恐らくこれらのことごとに、後世、埋没してしまうのでは、と恐れているのが、文芸批評家としての三浦雅士氏の姿なのである。
というよりも、そもそも文芸批評家などという職業は21世紀も後半になれば、絶えてなくなるかもしれないのである。それは一つの時代の審判であろうから、やむをえないとも思うが、小説を読んで、ただ、面白いか面白くないか、という短絡的な判断だけではなく、なぜ、この作品は面白いのか、何が読者をして感動させるのかを、その作品にはいかなる背景があるのか、こういったことを読者に伝え、ご理解いただくことも、単に小説を読むだけでは味わえない喜びではないかとわたしは考える。
その意味で、三浦氏の文芸批評の妙味とでもいうべきものの万分の一でも伝えることができればと思った次第である。
三浦氏の批評は、端的に短文において、その力を発揮する。鋭利な剃刀のように切れ味を見せる。それは、恐らく、三浦氏が若年の頃から実際に多くの詩人たちと接し、その詩情とでもいうべきものを養うことができたということ、さらには、『ユリイカ』、『現代思想』における、あたかも散文詩を思わせる、「編集後記」ならざる「編集後記」の執筆によっても養成されたと言える。さらには書評とは思えない濃密度の気圏の中で書かれた初期の書評群、恐らくこれらを通じて、三浦氏は「批評的散文詩」、あるいは「思想的散文詩」とでもいうべきものを発見、「発明」したと言っても過言ではない(本書第4章)。
残念ながら、本稿では、その具体的な状況については可能な限り明らかにしたつもりではあるが、わたしの至らなさ故、理論的な考察、他の詩人や批評家との具体的な比較までは及ばなかったことをお断りする次第である。
まずは、三浦氏の諭跡を確認する意味で中期の2著を紹介する(本書第2章・第3章)。
さらに、その「批評的散文詩」の具体的な表れとして、「文芸」という側面から2篇(本書稿第5章第1節)、「思想」という面から2篇(本書稿第5章第2節)紹介している。
さて、中期以降、とりわけ三浦氏が長篇三部作に取り組む中で、従来の短篇型の論述の型が、いささかならず宙に浮いているのでは思う。
三浦氏自身は果たして気付いているかどうか定かではないが、そこの一つのバラスト、錘になるような技が、資料を同時代的に読み解いていくものである。これは、「白川静問題」でまず姿を現し、次いで『青春の終焉』の前半部分、そして、何よりも、未だ刊行されざる「孤独の発明」の前半部分で無類の力を発揮している。
結局は資料を徹底的に読み込むということに尽きるわけだが、よくもまあ、こんな資料まで探し出してきたな、よくぞ、そこまで筆者の意図、意図せざる意図まで読み込むものだという驚嘆の技が開陳される。まさにこれこそ文芸批評の勝利と言わずに何を勝利とすればよいのか。
本稿では、このうち「資料」問題の好例として「白川静問題」を取り上げる(第5章第4節)。
『青春の終焉』及び「孤独の発明」本篇については、別稿β篇にて取り上げる。
最後に、総タイトル「人間の遠い彼方へ」の意味についてと本稿の文体について、説明しておきたい。
前者についてはいろいろな含みがあるのだが、一旦は、『群像』連載「言語の政治学」が単行本『孤独の発明 または言語の政治学』としてまとめられる際に、何故か、改稿されたため、収録されることがなくなった、連載最終回「見ることの恐怖」だが、実は、書き直され収録されたものより、各段に素晴らしいのだ。主として舞踊が論じられているため主旨にそぐわないということかとは思うが、そんなことはないと思う。γ篇「三浦雅士――幽霊と考える身体の再発見」はここから書き始めようと構想しているが、そこに述べられらた次の言葉は、今までの三浦氏の仕事と、これからのそれを全て包含する含みを持っていると考えている。
自己とは自己からの隔たり以外のではないとすれば、人間とは人間からの隔たり以外ではない。人間から隔たり続けることが人間なのである。
(中略)
人間は人間でないという縁まで、人間を運んだということである。(三浦「言語の政治学」最終回/『群像』2017年8月号・p.226)
もう一つ、本稿の文体である。
わたしの認識では普通のことをやっていては文芸批評は滅亡すると思う。
そのささやかなる抵抗として、まずもって若い読者に手に取ってもらい、笑ってもらいながら、文学や、批評や思想のことも考えてもらいたいと思った。とにかく読んでもらわなければ意味がないからだ。
それゆえ、高校生から大学の1・2年生を、仮に対象とする架空講義の体で書いていった。
多くの授業や講義が、その本題ではなく、雑談によって記憶されるように、できるだけ、砕け(過ぎた)た話し方と、雑談、余談、難解と思われる語の説明なども、全く十分とは言えないが書き込むようにした。
文体についての考え方は本文中に示した(第2章第6節)。
ただ、言い訳になってしまうが、わたしにとっては、余りの長文だったため、論旨の整理、全体の統一や、語註の漏れなどのチェックが不十分の段階で時間切れとなってしまった。心苦しく思う次第である。
以上、宜しくお願いする次第である。
2021年8月29日
2024年5月3日改稿
鳥の事務所
目 次
5 た だ の ブ ッ クガ イ ド で は な い... 34
4 補講 その①――ソクラテスとプロタゴラスの間で――相対主義を巡って... 38
2 『この本がいい』の「あとがき」の文体――「読者の召喚性」... 42
4 『漱石』の独特過ぎる文体――あの世とこの世の往還運動... 46
1 「自分が死ぬということ」――中島敦「狼疾記」... 75
2 〈私〉意識の解体――『限りなく透明に近いブルー』文庫解説... 77
~「風景」は「発見」されたか?――柄谷行人小論~... 137
2 柄谷行人の場合――批評家から「哲学者」? へ... 196
2 「人の知らない資料をふりまわすのは、学問でない」... 209
4 「孤独の発明」本論、及び『孤独の発明 または言語の政治学』の迷走... 243
7 自意識、自己言及のパラドクス、自分が死ぬこと... 272
10 ベルクソン論「感想」はなぜ中断されたのか?... 321
4 「偽物の再認」=「デジャ・ヴュ」=「既視感」... 327
5 ベルクソン論「感想」はなぜ中断されたのか?... 330
2 「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ」... 336
12 大江健三郎-ブリス・パラン-カヴァイエス-ゲーデル... 343
3 ジャン・カヴァイエス、あるいはクルト・ゲーデル... 347
1 カントールの「実無限」、及びポワンカレ『科学と方法』... 356
11 一旦の結語 「凝視と放心」の意味することとは?... 370
【巻末資料2 三浦雅士『自分が死ぬということ』掲載書評一覧】. 376
① 本の面白さは「世界が違って見えてくる」ことにある... 379
『DANCE MAGAZINE』2021年8月号 0‑1. 16
三浦雅士――人間の遠い彼方へ その2
鳥の事務所
第1章 三浦雅士の方へ
1 三浦雅士って?
皆さん、こんにちは。
これから何回かに渡って三浦雅士さんについてお話ししていこうと思います。
三浦さんは、もちろん文芸評論家という肩書で通されているようですが、普通の意味での評論家とは違います。たいていの評論家と呼ばれている人たちは、ほとんどの場合大学の先生をしているか、かつてしていた人達です。そちらで生計を立てて、その上で評論活動をしている訳ですから、言葉は良くないですが、本職に対しての副職と言ったらいいのか、プラス・アルファの活動なんですね。
唯一の、と言っても有名な人に限りますが、例外は吉本隆明です。吉本ばなな/よしもとばななのお父さんですね。吉本さんは、あ、お父さんの方ね、晩年に母校の東京工業大学で、ヴィデオ出演のみとのことですが(詳細は不明)数回授業、というか講演*ですね、というのをされましたが、それ以外はずーーっと大学などの定職を持たず、評論家だけで活動されてました。これのケイスはほんとにマレですね。マレビトです。
*この講演は『日本語のゆくえ』(2008年・光文社)としてまとまっています。ちなみに、全くの余談ですが、その「まえがき」に「お世話をかけた」(同書・p.3)として言及されている「田中理恵子さん」は、この当時東工大・世界文明センターのフェロウ(研究員?)をしていた社会学者・詩人の水(み)無田(なした)気流(きりう)さんのことです。
というぐらい、評論を書くだけで食べていくのは、恐らく至難の業ですから、これは仕方無いことです。
実際、評論に限らず、小説家でも、大学の先生をしてる人もいます。奥泉光さん(近畿大学教授)とか、島田雅彦さん(法政大学教授)とか。ま、それぐらい大変なんだ、ということです。
ところが三浦さんはほんの一時的に大学で教えていたこともありましたが*、基本的には大学の先生ではありませんでした。つまり、何らかの専門分野を持つ、いわゆる学者ではないということです。
*2004年より2008年まで(?)立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻特任教授。
ちなみにこれも日本の評論家では恐らく他に類例を見ない、全く以て稀有のケイスだと思いますが、三浦さんは大学に進まれていません。青森県の名門校・弘前高校が最終学歴です。無論、大学に行けなかったのではなく、自らの意志で「行かなかった」のです。詳しくはご本人に尋くしかないのですが、そういう選択を自ら選んだわけですね。
それにしても、その後、一体どうしていたのでしょうか?
2 舞踊評論家
もしかしたら、皆さんのうちでバレエとかダンスをしている人はいらっしゃいますか?
あ、いますよね。そうするとご存じかもしれませんが、『DANCE MAGAZINE』(新書館)という月刊誌があります。「ダンス」と言いながら、どちらかと言うと、バレエの内容が多いかもしれませんが、その雑誌でよくバレリーナやコリオグラファー、というのは振付師ですが、そういう人たちにインタヴューしているのが、この三浦さんです。
『DANCE MAGAZINE』2021年8月号 0‑1
これですね。
最新号だとバレリーナの小倉佐知子さんにインタヴューされています。とか言って、実はバレエとか舞踊(ぶよう)のことは、わたしはほとんど分かりません。小倉佐知子、誰? (大変失礼!)とかそういうレヴェルです。ほんとそこはすいません。ハハ。。。
――そうすると、三浦さんはバレエ評論家ではないか、ということになりますが、それはそれで間違いではありません。実際、三浦さんは舞踊学会という学術団体の理事をされていて、そこでは「舞踊評論家」となっています*。
*舞踊学会ホウムペイジによる。任期は2019年4月~2022年3月。
じゃあ、最初から三浦さんは舞踊評論家だったのか、というとそうでもなくて、基本は編集者だったのです。この『DANCE MAGAZINE』ももともとあったものを、ご自分で月刊誌にして編集長として采配を揮っていたのです。
3 『ユリイカ』編集長
更にその前が、いわゆる伝説の時代になりますが、今でも書店で目にすることもあると思いますが、『ユリイカ』(青土社)という文学なのかポップカルチャーなのかよく分からないぐらいいろんなものを対象とした雑誌があります。ほんとは「詩と批評」というサブタイトルが付いていますが、もともとのもともとは詩の雑誌です。
三浦さんは1972年、なんと弱冠26歳の時に、この『ユリイカ』の編集長になります。凄いですね。実際には社員がほとんどいなかった(最初はたった二人だったらしい)ということもあったようですが、社長の清水茂雄さんが、この青年に任せちゃったのは、それなりの実績があったからですが、そもそもこれは第二次『ユリイカ』で、そもそも最初の『ユリイカ』という伝説の詩の雑誌があって、それをなんとか復刊したものを引き継いだわけですから、やっぱり凄いですね。そもそもこの出版状況の中で、今でも『ユリイカ』は残っている訳ですから、そこも凄いところです。
4 『現代思想』編集長
ところが、恐らく今後書かれる日本文学史とか日本思想史とかの本には、三浦さんは舞踊評論家でも文芸評論家でも何でもなくて、「『現代思想』の編集長だった」という、この一点で書きこまれるのだと思います。
三浦さん、29歳の時に、同じ青土社から出されていた『現代思想』という、これも今でも、ちゃんと残ってますが、こちらの編集長に転じます。これが1975年のことです。
コラム ☕tea for one
~リゾーム・スキゾ~
「リゾーム」も「スキゾ」も浅田彰さんの著書で紹介されている言葉です。
「リゾーム」は「地下茎」、ま、要するにぐちゃぐちゃにこんがらがった様子ですね。どっちかと言うと会社の事務所の机の下の電話線とかパソコンの配線のぐちゃぐちゃ状態を想起してしまいますが。ドゥルーズ・ガタリの共著『千のプラトー』(1980年/宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳・1994年・河出書房新社)の中の言葉です。伝統的な西洋の哲学知が「ツリー」、つまり「樹形図」的に体系的なのに対抗して、この言葉を置いたんですけどね。
「スキゾ」というのは、「スキゾフレニア」、昔の「精神分裂病」、今は「統合失調症」と言ってますが、そのことです。え? なにそれ? って感じがしますが、従来、つーか今でも普通はこっちでしょうが、或る社会が持つ特定の価値観、立場、見方に固執する「パラノイア(偏執狂)型」を否定して、物事に固執しない「スキゾフレニア(統合失調症)型」へと「逃走」しようという訳です。『逃走論』(1984年・筑摩書房/1986年・ちくま文庫)という本で「スキゾ・キッズの冒険」という副題がついていました。 📓
これがどんだけ凄いのかというと、まー凄いんですが、丁度80年代にニュー・アカデミズム・ブームと言うのが始まって、やたらと難しい本、ドゥルーズ+ガタリの『アンチ・オイディプス』(1972年/市倉宏祐訳・1986年・河出書房新社。『アンチ・オイディプス――資本主義と分裂症』上下・2006年・宇野邦一訳・河出文庫)やら、フーコーの『監獄の誕生』(1975年/田村俶訳・1977年・新潮社)とか、デリダの『エクリチュールと差異』(1967年/上下・若桑毅訳・1977年・叢書ウニベルシタス(法政大学出版局)/合田正人訳・谷口博史訳・2013年・叢書ウニベルシタス) とか、もう聞いただけで訳わからん、みたいな本をどういう訳か、みんながこぞって読み始めて、分かったかどうか分かりませんが、一応、読んでなくても、なんか、それっポイことを話していたんです。「やっぱ、リゾームだよね」とか「俺、スキゾ!」とかなんとか言っちゃってね。ま、多分ほとんどの人は、ま、わたし自身も含めてさっぱり分かってなかったと思います。
で、その、ことの発端が当時・京都大学の助手、今は助教って言いますが、助手だった浅田彰というやはり弱冠26歳の青年が書いた『構造と力』(1983年・勁草書房) という、構造主義からポスト構造主義への流れを説いた解説書がベストセラーになった。これがことのはじまりで、しばらくこのブームが続くのですが、その下地というか、その受け入れ土台を作ったのが、三浦さんの『現代思想』だった、とこうなる訳です。その意味において三浦さんは賞賛されるのです。
『ユリイカ』と『現代思想』は、今でも古書店やネットでそれ相応の価格で取引されてます。
で、多分、本当のことを言うと、三浦雅士についてきちんと語る、ということになれば、この「編集者としての三浦雅士のやった仕事」を正確に調べなければなりません。つまり、三浦さんが編集者として世に送り出した雑誌、書物を全て点検しなければならないし、その時のことも、出来得る限り当事者の皆さんのお話も聞かなければなりません。そして、更に他の著名な、著名じゃなくてもいいんですけど、力のある編集者との比較ということもしなければならない訳です。もちろん、その場合、諸外国の編集者をも視野に入れるべきなのですが、そんなことをしていたら、そもそも時間とお金がなんぼあっても足らへんがな。日本、近代日本、いや戦後日本に限定しても驚異的な調査量が予想されます( ノД`)シクシク…。
コラム ☕tea for one
~著名な編集者~
批評家・劇作家の山崎正和は三浦さんとの対談で「戦後のある時期から(中略)文壇・論壇の時代から編集者の時代に移った」と述べた上で「大編集者」として次の4人を挙げています。坂本一亀(かずき)(『文藝』編集長)、斎藤十一(じゅいち)(『新潮』編集長)、大久保房男(ふさお)(『群像』編集長)、嶋中鵬二(ほうじ)(『中央公論』編集長、中央公論社社長)の4人です(山崎・三浦「丸谷才一を偲ぶ」/『アステイオン』078(2013年5月・CCCメディアハウス)p.p.244-245)。
他にも個人的に気になっているのはスイッチ・パブリッシングの新井敏記氏、中央公論社の今は亡き文芸誌『海』、その後、ファッション雑誌を大幅に逸脱した『 Marie Claire 』の安原顕なんが浮かぶが。
新書館のハンドブック・シリーズから寺田博編で『時代を創った編集者101』(新書館・2003年)というのが出ていて、三浦さんは編者の寺田さんと対談をし、「小林秀雄」の項目を執筆しています。
📓
ま、そんなわけで、それは今の段階ではちょっと無理なので、今後の課題と言うことになりますが、「編集者としての三浦雅士」という研究がなされなければなりません。わたしには、いろいろな事情から難しいかもしれません。一応この点については遺言のようなものです。
で、その伝説の『ユリイカ』、『現代思想』時代ですが、どういう訳か、三浦さんは1982年、36歳のときに青土社を辞めてしまい、しばらくフリーの文芸評論家という形で活躍する、というよりも、恐らく三浦さんは勉強がしたかったのでしょうね。でも実際は、文芸評論家としての本はたくさん出ています。84年には出世作『メランコリーの水脈』でサントリー学芸賞を受賞して、一躍その名を知られるようになりました。
83年にニューヨークに行きます。
さらに翌84年もニューヨークのコロンビア大学の客員研究員として滞在中にモダン・ダンスのピナ・バウシュの舞台を見て衝撃を受け、ここから「舞踊こそ芸術の根源」と思い至るものの、あまりにもその社会的認知度が低いことに「義侠心を感じ」、舞踊の伝道に走るようになったようです。
しばらくフリーが続きますが90年、三浦さん44歳の時に新書館という出版社の編集主幹として入社して、『DANCE MAGAZINE』の月刊化、人文科学誌『大航海』、芸術誌『Art Express』の創刊という具合に、編集者として再び活躍することになります。
つまり、三浦雅士とは一体何か、と言うのを一応並べてみると、
①編集者である、
②文芸評論家である、
③舞踊評論家である、と、まー、以上述べたような感じになりますが、もちろん、派生的な側面としては④音楽評論家であったり、⑤美術評論家であったりするのは、日本のほとんどの評論家と呼ばれる人たちが、人間、あるいは言葉に関わることなら、ほとんど、ありとあらゆることを論ずるということからすると、さほどおかしくありません。
5 文明批評家
が、そうなのか、ほんとにそうなのか、というのは検討の余地があります。
というのは、これは第2章で触れることになりますが、もう亡くなりましたが、美術家の荒川修作さんが三浦さんのことを「文明批評家」と呼んでいるのです*。
*荒川修作「建築、哲学そしてダンス」三浦雅士によるインタヴュー/『Art EXPRESS』No.1・1993年12月・新書館。
お、これは大きく出たな、という感じがしますね。対談での発言ですから、お世辞半分、というところもあるのかもしれませんが、これは、なんというか常識人ならざる、真剣勝負に本音で生きる荒川修作ですから、本当にそうなって欲しい、マジで三浦さんに文明批評家として大成して欲しい、そう思っていたに違いないのです。
多分、文明批評家というのは冒頭の発言とは相反しますが、たいていは大学の先生で、で、たいていは社会科学系が専門の人が多いでしょう。
でも、そういう元々の専門に縛られることなく、ひとつの事象に拘泥することなく、全体を自由自在に展望を持って論ずることができる、そういう文明批評家が求められている、と荒川さんは言いたかったのではないでしょうか。
文明批評家と言えば、ひと頃有名だったのが、――と言うことは今となってはすっかり忘れ去られて、誰も論じようともしませんが、『技術と文明』(1934年/生田勉訳・1972年・美術出版社) とか『機械の神話』(1966年/樋口清訳・1971年・河出書房) などで知られた、アメリカの文明批評家の嚆矢とすべきルイス・マンフォードという人がいました。三浦さんは、或る著書で、このマンフォードの著作に言及しつつ、こう述べています。
スペシャリストは起源論になど取り組まない。ジェネラリストが取り組むのだ。そして、スペシャリストの仕事を意味づけることができるのは、ただジェネラリストだけなのだ。そして、スペシャリストの仕事を意味づけることができるのは、ただジェネラリストだけなのだ。 マンフォードの文献解題の口調を借りていえば、彼の著作は「自分自身の専門の知識に束縛されることも、それに束縛された人々の権威を尊敬しすぎることもない精神による注目すべき」仕事である。(三浦『身体の零度』p.270)
「スペシャリスト」は「専門家」のこと。「ジェネラリスト」は、適当な和訳がありませんが、会社の現場で言えば「総合的な仕事?」とか「プロデューサー」のこと、全体を見渡して、業務の進捗を進める役割です。だから、「専門家」に対して「総合家」と言ってもいいですが、そんな日本語はありませんが、まさに、これこそ、文学や思想や社会や芸術や、はたまた科学技術のことまでも視野に入れて論評できる「文明批評家」と言うべきではないでしょうか。だから、三浦さんはありとあらゆることに間口を広げていきます。
実は、それを言ったら、もともと日本の文芸批評の伝統が、まさにそれでした。日本の文芸批評家は文学に拘ることなく、まさに哲学から映画から、あるいはサブカルチャーから憲法の問題に至るまで縦横無尽に語ってきました。
その中でも、ことさらに文明批評家と言うのであれば、世界的な視野と歴史的な考察を可能にする力が要求されるわけです。
先ほどのマンフォードなんかがそうですし、あるいはアメリカの社会学者のダニエル・ベル(1919年~2011年)とか、イギリスの歴史家のトインビーなんかが想起されます。
日本だと、文芸評論家の加藤周一、人類学者の梅棹忠夫や、歴史小説家の司馬遼太郎などにそういう面影があります。
では、この問題を考えるに当たって、三浦さんの今までの著作の流れを簡単に振り替えてみましょう。
6 著作一覧
一旦、共著、編著の類は外して、単著のみ、つまり三浦さんが単独の筆者となっている書物を対象にして仮に3期に、と言っても実際は4期のようなものですが、分けてみます。より詳細な書誌情報は巻末の著作一覧を参照してください。
《前期》……やはりこの時期は文芸評論が中心ですね。で、なおかつ雑誌などに発表した短篇評論をまとめたものが大半です。
① 『私という現象――同時代を読む』1981年。……記念すべきデビュー作。
②『幻のもうひとり――現代芸術ノート』1982年。……この②と、次の③は双子のような論著のセット。ほぼ同時に出ました。
③ 『主体の変容――現代文学ノート』1982年。
④ 『夢の明るい鏡――三浦雅士編集後記集1970.7〜1981.12』1984年。……伝説の編集後記集です。後で触れます。
⑤『メランコリーの水脈』1984年。……出世作。第6回サントリー学芸賞を受賞しました。
⑥『自分が死ぬということ――読書ノート1978〜1984』1985年。……恐ろしい密度の書評集です。
⑦『寺山修司――鏡のなかの言葉』1987年。
⑧『死の視線――'80年代文学の断面』1988年。……福武書店、今のベネッセですが、昔は文学書などの一般の書籍も作ってたんですが、その今は亡き文芸誌『海燕』に連載された文芸時評集。冒頭に収録された「批評の基準について」はとりわけ重要です。
《中期》……この辺りから文明史的視点と独自の身体論を伴った舞踊論がテーマとして躍り出てきます。
⑨ 『疑問の網状組織へ』1988年。……広告、メディア、イメージ、現代美術、写真、舞踊、演劇、歴史、科学、ありとあらゆるテーマが俎上に上げられます。まさに文明批評家の萌芽と言ってもいいでしょう。
ここから3年ほど単著の刊行が途絶えます。実際には、のちに『この本がいい』という大冊にまとめられることになる「対談によるブックガイド」の連載が講談社のPR誌『本』で連載をしていますが、どうもこの時期はダンス、バレエ、オペラなど舞台芸術に憑依とりつかれたように諸外国の状況の視察に飛び回っています。結局それは、1990年の新書館編集主幹就任という形になり、翌年、例の『DANCE MAGAZINE』の月刊化に着手するという訳です。それは舞踊が文明史的に見ても芸術の、あるいは人間の根源にあることの理論的な探究ということだったのだと思います。
⑩ 『小説という植民地』1991年。……純粋な文芸評論も収録されているが、とりわけ、植民地という視点で小説を考えた、表題作「小説という植民地」、アメリカ文学を階級という観点で考察した「文学と階級」、そして音楽の起源に打楽器を見る「思想としての打楽器」。いずれも従来の文芸評論とは異なり、文明史的視点から考えられている作品ですね。
⑪ 『身体の零度――何が近代を成立させたか』1994年。……書き下ろしということもありますが、単著としては最も体系的な書物。第2章で触れます。第47回讀賣文学賞受賞。
⑫ 『バレエの現代』1995年。……現代バレエの啓蒙書。
⑬ 『考える身体』1999年。 ……⑪と合わせて独自の身体論を展開しています。とりわけ、2021年に文庫化された際に増補された100枚近い新稿「人間、この地平線的存在――ベジャール、テラヤマ、ピナ・バウシュ」が重要です。後に出てくる「幽霊」の問題と、この「身体」の問題を合わせ鏡のようにして、どのように考えることができるかがポイントかと思います。
⑭ 『バレエ入門』2000年。……こちらは、まさにバレエの基礎の基礎から説き起こしたものです。
2001年以降のおよそ20年間を、一旦、「後期」としました。それは長篇評論三部作『青春の終焉』、『出生の秘密』、『孤独の発明』、これら三作をひと連なりのものとして考えるべきだからです。
《後期1》……⑯から論述の形態が従来の短篇型から長篇型に変わります。その嚆矢が⑮の表題作、迫真の吉本隆明論「批評という鬱」(200枚余りの中篇)です。つまり、一旦、⑭までの中期の段階で、身体論は消えてしまった感があります。この期は⑯⑱㉒という長篇評論、文明史的視点はなくはないけれども、やはり文芸評論と言ってよいでしょう。
⑮ 『批評という鬱』2001年。……学術的な体裁の論文が多いでしょうか。
⑯ 『青春の終焉』2001年。……長篇評論第一作。「青春」をキーワードに縦横無尽に語り尽くします。芸術選奨文部科学大臣賞、第13回伊藤整文学賞受賞。
⑰ 『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』2003年。……今を時めく翻訳家の柴田元幸へのインタヴューがもとに村上についても再検討してみた、というところですが、期せずしてか、後の「孤独の発明」本篇に登場する「幽霊」問題への言及があります。
⑱ 『出生の秘密』2005年。……長篇評論第2作。迫真の漱石論。
⑲ 『漱石――母に愛されなかった子』2008年。……前作⑱の抽出版。三浦さん初の新書、それも岩波でしたが、残念と言うべきなのか、文体が「です・ます調」と「だ・である調」が余りにも混在し過ぎて、読みづらいのが難点。
《後期2》……この期の前半、2010年から11年にかけて『群像』(講談社)に連載されていた「孤独の発明」本篇が「謎」の未刊行のままです。他にも2017年から2020年にオピニオン誌『アステイオン』(サントリー文化財団)に連載されていた「世界史の変容・序説」が未刊行で残されています。こちらは推敲中でしょうか。
⑳ 『人生という作品』2010年。……迫真の白川静論を収めます。これは後で触れます。
㉑『魂の場所――セゾン現代美術館へのひとつの導入』2013年。……これは、展覧会時に配布されたもの(?)で非売品なのですが、とても重要な作品です。言うなれば辻井喬論と言ってよいでしょう。
㉒ 『孤独の発明 または言語の政治学』2018年。……未刊行の「孤独の発明」本篇の収拾のために「孤独の発明 完結篇」として書かれたものですが、残念ながら本篇そのものに余りにも力があり過ぎて、収集にも完結にもなってないものです。
㉓ 『石坂洋次郎の逆襲』2020年。……「青春の終焉」と言えば、まさにそれを象徴するのが、石坂洋次郎の完全忘却でしょう。家族論、ジェンダー論を基軸に読み解きますが、石坂の場合、そのほとんどが映画化されていますが、単に小説作品のみではなく、映画作品としても掘り下げる余地があったかもしれません。
㉔『スタジオジブリの想像力――地平線とは何か』2021年。……なんとアニメイション映画を論じています。ポイントは人類が「地平線」の感覚を発見したということです。
さて、こうしてみると、なんだ、ただ10年毎に区切っただけではないかと嘲笑されそうですが、まさに人は10年単位で変貌するものだな、との感慨も湧いてくるというものです。 それぞれの詳細は別途論ずることとします。
7 本書の意図
さて、――さてが多いですが、という訳で、およそ三浦さんの仕事の状況はお分かり頂けたかと思います。
で、何故、皆さんに三浦さんの話をしているかと言うと、つまりは何故、この本を書こうかと思ったかと言うと、先ほども申し上げたように、このままだと、本当に単に「『現代思想』の編集長だった」という形でしか、三浦さんは後世に残らないのではと危惧するからです。もちろん、その『現代思想』での業績は素晴らしいという言葉を越えて賞賛に値するとは思いますが、しかしながら、それに何倍かする批評活動や、舞踊の知的領域での啓蒙などはもっと光が当たってもよさそうなものです。
したがって、本書では、まずもって、特異な地歩を歩んだ、「批評家としての三浦雅士」の再検討と、更には再評価を迫ります。それも今まで、あまり文芸評論など読んだことがない皆さんや、三浦さんの著書に接する機会のなかった皆さんに少しでも分かり易くお伝えしたいと思っています。したがって、従来であれば、当たり前だと思うような言葉もかみ砕いたりとか、語註やコラムなどを入れて、皆さんの読解の便を図りたいと思います。
要は、もっと三浦さんの著書を読んでくれろ! ということに尽きます。
もう一つあります。それは先ほどご紹介した未刊行となっている「孤独の発明」本篇の「救済」にあります。いかなる事情で未刊行となっているかは余人の知るところではありませんが、大変優れた、場合によっては、三浦さんの、今まで営々と書かれてきた数多の文芸批評の中でも最も優れたものではないかと、わたしは思いますが、仮に今後刊行されないことがあっても、――、ま、わたしごときが何を言っても、焼け石に水というか、太平洋にひび割れたビー玉を投げ込むようなものですが、一人でも多くの方々の記憶の片隅に刻み付けておきたい、とまーそんな風に考えています。いかがでしょうか。
で、この件は大変重要なので、再度繰り返します。――、ハイ、シツコイとか言わない。
【本書の意図】
① 「批評家としての三浦雅士」の再評価
② 未刊行「孤独の発明」の「救済」
となります。
それでは、皆様。ぜひ、最後までのお付き合いのほど、どうかよろしくお願いいたします。
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