癌の治療
母親がデイサービスに通いだしてまもなく、父も抗がん剤治療が始まった。母親と違い意識もはっきりしていたので、自分の車を運転し病院に行って治療を行いながらも、仕事も続けていた。
そんな父とも夕食の際に色々と会話をする。
元々食べる事もお酒を吞む事も大好きだった父だ
癌が発覚してからは一度もお酒を飲まなくなった。
「少しでも長く生きるために」
と断酒したのだ。
そんな父が治療の副作用でご飯の味がしないんだよ。とボヤいていた。
味がしない為なのか日に日にご飯の量が減っていっていた。
最終的に飲み物しか取らなくなったので、おかしいと思い聞いてみたら
「口の中の皮がすべて剝けてしまった。
食べようにも喋ろうにも痛くて何もできない。
足も手も皮がすべて剥けてしまっていて、歩くのもつらい。
ただこれを乗り越えなければ…」
と言われたが、乗り越える前にどう考えても脱水、餓死で死ぬだろう。と
急いで病院に電話して事情を話した。
日曜ということもあり、主治医もいなかったが症状を話した所
救急車使用しても、送迎でも良いから今すぐ連れてきてくれと言われた。
病院に行ってもいいと言われた安心から父に伝えたのだが、頑なに拒否をされた。
私は父が頑固な昭和じじいなのを忘れていたのだ。
この副作用を乗り越えねばと馬鹿な事を考えているのだ。
頑固なくそじじいを説得する事は出来ない。私が娘であるからだ。
父は娘の言う事は基本的には聞かない。
父にとって娘は何歳になっても庇護対象であるからだ。自分が世話になるわけにはいかない。そう考える阿呆なのだ。
途方に暮れて、兄弟、叔父に連絡をした。
全員から言われても首を縦に振ってはくれなかった。
困った私は父の旧友の奥様に連絡を取った。
旦那様である父の旧友も癌で亡くなっていたからだ。
申し訳ないと思ったが、こちらも父の命が掛かっていると思っていたので
なりふり構っていられなかった。
連絡したら自宅まで飛んできてくれた。
そして父に病院に行く。ちゃんと娘の言う事も聞くと言わせてくれた。
今でもこの日、奥様が説得してくれなかったら
父は私にお願いをするなんてことはなかったと思う。
今でも本当に感謝をしています。
ありがとう。
結果的に病院に行ったら極度の脱水症状が出ていると言われた。
あの日あの時電話せずに父の言う事を信じ放置していたら
癌の治療するどころか、それこそ自宅で亡くなっていたと医師から告げられた。
緊急入院という形で父は病院に残った。
真夏の暑い日の出来事だった。
この日から父は入退院を繰り返すようになった。
父は抗がん剤治療があまり効かないくせに副作用が強く出てしまうそうだ。
効果よりも副作用の方が強くなってしまうので、薬を弱めるしかない。
体が悲鳴をあげていても、父が我慢してしまうので
結果的に治療にも良くないからそうするしかない。
そう言われた。
治療すればよくなる、と思っていたが
癌の治療は実際はそうではないと
改めて思い知らされた日でもあった。