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名人芸レベルの笑いに秘められた革新『ハッピークソライフ』

・はじめに

 優れたギャグ漫画は面白いだけでなく、ときとして鋭い示唆を兼ね備えている。そう確信したときに真っ先に思い浮かんだのは、はらだの『ハッピークソライフ』(以下『ハピクソ』)だった。 


・ラブストーリーの森の中

 いつだってラブストーリーは盤石である。それは、映画や漫画といったフィクションに限らず、ゴシップや犯行動機といった”現実”の出来事を理解する枠組みとしても、強い訴求力をもっている。漫画家・よしながふみは、対談集のなかで「日本とアメリカにおいては最大の宗教は恋愛だから、この宗教に入れないクリエイターというのはそれなりの苦労を覚悟しなきゃいけないでしょうね」と述べているが、よしながが活動の中心としてきた、ボーイズラブというジャンルにおいても、ラブストーリーを根幹とした作品が大多数を占めていることは至極当たり前であろう。こういった情勢のなか、メインキャラクター双方ともにとにかくアナルで快楽をえたいという即物的な関係のまま既巻5巻まで続いている『ハピクソ』は異例の作品と言える。 

・ハイパーモダン江戸空間という反逆

 『ハピクソ』の世界はとかくプライバシーが希薄である。自宅が隣り合っている主人公二名は双方の家を断りもなく出入りし、近くに住んでいる顔見知りは大した用もなしに遊びにやってくる。その生活はさながら落語の長屋住まいのようである。戸を開けたらうっかり情事の最中だったという展開が『ハピクソ』には頻出するのだが、「またやっとる…」という温度感でスルーする感覚はどことなく春画の視点を彷彿とさせる。近所の小料理屋の常連面子と連れ立って温泉旅行に出たりする様子は江戸文学のようであり、全体的に『ハピクソ』は江戸町人習俗に通ずるところが多い。現代フィクションでは他に類を見ない江戸的感覚を絶妙なリアリティラインで現代劇に溶け込ませた作品世界は、ハイパーモダン江戸空間とでも呼びたくなる。
 この世界観は、「恋愛」という観念が有している絶対性を揺るがす力を秘めている。柳父章によると、「恋愛」という概念は「love」の訳語として明治維新以降に作られたものであり、「色」や「情」といった在来の概念を差別化するかたちで「深く魂から愛する」という旨の意味合いを与えられ、やがて道徳的規範となったという(柳父,1982)。そして従来は「まぐわい」「交はり」といった語で指し示されていた行為は「セックス」となり、「恋愛」の価値基準のもと、その善悪を裁定される対象となった。こういった時系列から捉えると、『ハピクソ』は、現代に江戸町人習俗をリブートさせることで「恋愛」というコードを脱構築しているともいえる。そして、ギャグ漫画というリアリティラインの水面下に、その革新性を巧妙に隠蔽している。恐ろしく手練れである。

・ありがたいユーモア

 『ハピクソ』はギャグ漫画であるが、ギャグ演出を抜きにして見れば、作中いたるところに僻地・貧困・暴力といったトピックが顔を出しており、彼らを取り巻く世界はなかなかにハードである。作者はらだが描いた他作品『やたもも』『にいちゃん』『ワンルームエンジェル』といった作品を読んでみれば、世間から弾かれた者への眼差しにごまかしは一切ないことが分かるだろう。『ハピクソ』も同様に、人が受ける痛みや恐怖といった反応自体は捨象せず描写される。おれの人生もう終わりだな、というときの描写もわたしには真に迫って感じられる。それでも、この作品を読めば必ず笑ってしまう。かつていとうせいこうは「ギャグは時間に関係し、ユーモアは人生に関係する」と表現したが、『ハピクソ』はギャグ漫画であると同時に、その全体にはユーモアが通底している。たとえ何もかもだめになっても「まぁとりあえず酒でも飲まんか」とお猪口をわたしてくる、その存在はどれほどありがたいだろう。わたしにとって『ハピクソ』はそんな作品である。

[参考文献]

いとうせいこう・奥泉光・渡辺直己,2012,河出書房新社『小説の聖典―漫談で読む文学入門』(p.153-154)

柳父章,1982,岩波書店『翻訳語成立事情』(p.89-91)

よしながふみ他,2013,白泉社『よしながふみ対談集 あの人とここだけのおしゃべり』(p.99)


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