地元に根を下ろすことで得られた、「つくって生きていく」覚悟と手応え/神輝哉さん(UNTAPPED HOSTEL)
「地元に帰って、やりたい仕事をする」
それが頭の中で思い描いているほど簡単じゃないことは、すでに多くの地方出身者が感じているはずだ。
経験上、地方から都市に出ていくのは、そんなに難しいことではない。特に若い頃は、都会の眩しさに憧れ、後先考えず衝動的に飛び出していけたりもする。
しかし、地方に戻るという判断は、そう単純ではない。都市と比べて仕事の選択肢は少なく、賃金も安い。商売相手となるお客さんの数も、地方のほうがずっと少ないため、どうしても頭を悩ませることが増えてしまう。
だから、「地元に帰って、やりたい仕事をする」には、効率や合理性を超えた覚悟が必要だ。それは「住みたい土地」と「やりたい仕事」の、両方を諦めないための闘いとも言えるだろう。
頭の中で思い描いた暮らしを、自分の力でつくっていく闘い。
そんな闘いを愚直に続けている人に話を伺いたくて、札幌で『UNTAPPED HOSTEL』というゲストハウスを営む神 輝哉さんを訪ねた。
「UNTAPPED(=未開発の・まだ見つかっていない)な北海道を満喫する始点/終点として、活きた情報が交わされる宿」というコンセプトを掲げる同ゲストハウスは、今年でオープンから6年目。
東京の出版社を辞め、故郷・札幌でゲストハウスを立ち上げた神さんは、コロナ禍で宿泊業が苦境に立たされるなかでも、柔軟にかたちを変えながら〝人が集う場〟をつくり続けている。
土地に根を下ろすことは暮らしにどのような影響を与えるのか、納得のいく仕事だけをやっていくためにはどんな判断基準が必要か、そして、コロナ禍で見えてきた〝場〟が持つ新たな可能性とは?
札幌で暮らすことにこだわり、場をつくることで生きている神さんに話を伺った。
(聞き手/阿部光平)
物足りなさを感じていた札幌を離れ、19歳で東京へ
ー神さんは生まれも育ちも札幌ですか?
神:生まれは札幌で、予備校時代も含めて19歳までは地元にいたんだ。それから、大学進学で東京に出たんだよね。
ー大学では何の勉強をされていたのでしょうか?
神:文学部で、英米文学を専修してた。そこで詩の勉強をやってたんだわ。卒論はちょっと社会学寄りで、「暴力とはいったい何か?」をテーマに書いたんだけど。
ー札幌にも大学はたくさんありますが、地元を離れた理由は何だったんですか? どうしても行きたい学校が東京にあったとか?
神:いや、そんな殊勝な考えではなくて、当時はまだ札幌のこともよくわかってなかったんだけど、「自分が狭い世界にいる」って感じてたんだよね。俺は音楽とかアートが好きだったんだけど、高校にはそういう文化的な趣味を共有できる友達が少なかったのもあって。
あとは、親元から離れたいって気持ちもあった。とにかく、広い世界に出たいと思ってたんだ。
ーそれなら、東京だろうと。
神:そうだね。「東京に行ってみたい!」と「1回くらい地元を出なきゃ」って気持ちの両方があったと思う。
ー実際に移り住んでみて、東京での暮らしはどうでした?
神:めっちゃくちゃ楽しかった。
ー(笑)
神:もう最高の思い出ばっかりだね。いい友達もいっぱいできたし、いろんな経験もできたし。
ー東京で暮らすなかで、「いつかは地元に戻ろう」という想いはあったんですか?
神:それはあった。自然と「帰るもんなんだろうな」って思ってたかな。札幌に物足りなさを感じて出ていったのに、「いつかは帰る」って気持ちはずっとあったね。
ただ、大学卒業のタイミングで札幌に帰るって気持ちには不思議とならなくて、東京で『主婦の友社』っていう出版社に就職したの。そこに出版営業の社員として、4年半くらいいたのかな。
ー暴力をテーマに卒論を書いた人が、『主婦の友社』に入るってギャップはすごいですね(笑)。
神:確かに(笑)。でも、やっぱり本が好きだったから、出版業界に行きたいって気持ちはあったんだよね。実用書に関わる仕事をしたいなと思って。
ー実用書ですか?
神:うん。俺、『暮しの手帖』っていう生活雑誌が好きでさ。大学の頃、花森安治さん(『暮しの手帖』の創刊者)の考え方とか姿勢に惹かれてたんだ。俺が新卒のときは残念ながら社員の募集をしてなかったんだけど、『暮しの手帖』と同じように実用書に関わる仕事がしたいなと思ってて。
それで『主婦の友社』を受けたんだよね。最初は書店営業として北陸・甲信越エリアを回ってて、途中からは取次営業として本の部数を決めてくる仕事をしてたんだわ。
人が集まる宿をつくろうと思った3つの理由
ーそういう想いで入社した出版社を4年半で辞めたのは、どういう理由だったのでしょう?
神:えっとね、ちょうどその頃に東京で結婚したんだよね。で、奥さんが札幌の人だったから、結婚を機に北海道へ帰ろうと思ったの。
ー奥さんも「いつかは札幌に」という気持ちがあったんですか?
神:たぶんあったんじゃないかな。そんなに強く「札幌に帰りたい」とは言ってなかったけど、地元も一緒だから「いつかは帰ろうね」みたいな感じで。
それで、30歳になる年に仕事を辞めて、札幌に帰ってきたんだよね。それが2010年。
ーそのときには、札幌に戻って何をするのかは決めていたんですか?
神:もう、宿をやっていくって決めてた。会社に辞表を出したときも、部長に「宿をやります」って伝えてたから。まぁ、ぽかんとしてたけどね。「どういうこと?」みたいな(笑)。
だけど、それはもう決めてたからさ。宿をやるっていうのは、20代前半の頃からずっと言ってたんだよね。
ー神さんが宿をやろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
神:自分なりに分析してみると、3つの要因があると思ってて。ひとつは、旅をしてたという体験だね。世界一周したとか、そういうかっこいいエピソードはないんだけど、大学1年のときにアメリカに行ったのさ。
俺さ、大学に6年いたんだけど、最初の1年は1回も学校に行かなかったんだよね。
ーえぇー(笑)! 何やってたんですか?
神:ずっとバイトをしてた。そこで貯めたお金で、まずアメリカに行ったの。それが人生初の一人旅で、すごくおもしろかったんだよ。アメリカはユースホステルが多くて、そういうところに泊まりながら旅をしてさ。そのときの体験が、宿をやろうと思ったきっかけのひとつになってるんだよね。
ただ、これは宿をやろうと思った理由の2割程度かな。
ー残り2つの理由も聞かせてください。
神:2つ目は、実家の環境にあったと思う。俺は、親父がけっこう歳をとってからの子どもなんだよね。で、うちの親父は札幌で建築業の社長をやってたんだけど、俺が物心ついた頃には、取引先と飲むのがススキノじゃなくて自宅になってたんだわ。要は、自宅接待をよくやってたのさ。
ーなるほど。飲み屋ではなく、自宅で取引先の人と会っていたと。
神:そう。歳を重ねてススキノに出るのが億劫になってたのかもしれないけど、よくお客さんを家に招いてたわけ。だから、実家に取引先とか業者の人が来て、そこになぜか町内会の人も参加して、なおかつ親父がお世話をしてた中国人留学生も来て、一緒に餃子をつくったりしててさ。もう家の中がカオスだったのよ(笑)。でも、それがすごく賑やかで楽しかったんだよね。
親父は、人を立場で分けない人間だから、とにかくいろんな人が家に来てたんだわ。そういう空間に自分もいたという原体験が、〝人が集まる場としての宿〟をやろうって動機と結びついてると思うんだ。
ーいろんな人が出入りする、賑やかな場が楽しかったという体験が。
神:そうそう。そういう家族の光景が好きだったのさ。ちょっと特殊な家庭環境だったけど、幸せだったんだよ。その影響は大きいと思う。
神:もうひとつの理由は街遊びから受けた影響だね。昔からクラブとかバーとか、古着屋で遊ぶのが好きだったんだけど、そういう場所をやってるのはちょっと恐い先輩だったりしたわけ。
そういう先輩たちとの付き合いってちょっと煩わしかったりもするんだけど、すごく輝いて見えたりもしてさ。「自分の場を持ってる人ってかっこいいなぁ」みたいな。そんな人たちを見て、「いつか自分も店を持ちたい」って思ってたんだよね。
ーあぁ、わかります。お店をやってる人たちのかっこよさと、少しの近寄り難さ(笑)。
神:あるよね、そういうの(笑)。札幌も昔は、なまら恐い古着屋のお兄さんとかいたからさ。でも、そういう人って、かっこよくて惹かれちゃうんだよ。
だから、昔から自分で店をやるアイディアはたくさんあったの。ソウルがかかってる居酒屋をやろうとか、そういう適当なアイディアはよく言ってたんだわ(笑)。でも、バックパックを背負って一人旅をしたり、家庭の環境や街遊びから受けた影響があったりして、その上で自分ができることを棚卸ししたときに、「宿だったらできそうだな」と思ったんだよね。
ー当時、世の中には、すでにゲストハウスという形態の宿が出てきてたんですか?
神:俺が宿をやりたいって思いはじめた頃は、まだほとんどなかったね。だから、会社員をやってた頃に札幌で『Time Peace Apartment』ができたり、東京で『Nui』がオープンしたのは、ちょっと悔しい想いをしながら見てた。自分はまだ宿業をできるタイミングじゃなかったからさ。「先にやられたなー」って。
宿をやるために「人が集まってる地元のヤバイところ」で働いた4年間
ー2010年に札幌へ戻ってきてから、『UNTAPPED HOSTEL』がオープンするまでには、どれくらいの期間があったんですか?
神:オープンまでには4年かかったね。
ー4年。その4年間は、どのような時間だったのでしょう?
神:俺、19歳で札幌を出ちゃってたから、戻ってきたときに友達がほとんどいなかったの。高校で仲がよかった友達も、みんな外に出て行っちゃってたし。もともと、札幌には音楽とかアートの話ができる友達がいなかったからさ、とにかく戻ってきたばかりの頃は飲みに行きまくってたね。「友達をつくるため」ってわけじゃないんだけど、結果的にはそういう期間になってたなぁと思う。
仕事でいえば、帰ってきて最初に拾ってくれたのは『Naturalbicycle』っていう札幌のローカルアパレルブランドだったんだわ。今は大きい会社になったけど、当時は狸小路2丁目にあった飲食店の一角で服を売っててさ。そこで営業の仕事をやってたのが予備校の友達で、「今度パルコで催事やることになったから、札幌に帰ってくるなら半年間くらい働かない?」って拾ってくれたの。
—出版業界からアパレル業界へ。
神:そう。その店が当時、札幌のパワースポットみたいな場所になってて、社長以下全員が同い年で、DJとか、クラブの店長とか、絵描きとか、いろんな人が集まってる場所だったのさ。そこの中に入れてもらったお陰で、一気にワーッと友達が増えていったんだよね。
神:そこで働いてるときに長男が生まれたんだわ。まだ何者でもない上に、半年後には仕事もなくなるって状態で(笑)。
—それはプレッシャーがかかりますね(笑)。
神:だから、すぐに豊平峡温泉で仕事を見つけて、フロントの業務とかをやってたんだ。
ーそれは自分で宿業をやることを見越してですか?
神:そうだね。宿をやるための修行も兼ねて。とにかく当時は、「人が集まってる地元のヤバイところで働こう」と思っててさ。
豊平峡温泉も変わったところなんだ。定山渓の一番奥にある温泉で、先代が掘り当てた温泉なんだけど、国立公園の中にあるの。けっこう周りの友達でもファンが多かったから、おもしろそうだなと思って。
—国立公園の中にある温泉…。気になるなぁ。
神:そこで1年働かせてもらった後は小さなバイトで食いつなぎつつ、冬はニセコで働いてた。居酒屋のカウンターを2mくらいレンタルして、そこでクラフトビールとピザを売ってたんだ。知り合いから声をかけてもらってさ。
そこは外国のお客さんも、日本人のお客さんもいっぱいいて、働いてる人も最高で、友達がいっぱいできたね。今も繋がってる友達もたくさんいる。
ーその期間って、自分で宿をはじめるために必要な経験を積もうって意識だったんですか? それとも物件を探したり、お金を貯めるための期間だったんですか?
神:両方かなぁ。まぁ、お金が貯まる感じではなかったんだけど、ニセコの仕事も経験を買ってた感じだね。
物件も並行して探してたんだけど、なかなか自分がやりたい規模感の物件がなくて。「宿泊+@」の宿をやりたかったからさ。当初はバーを併設することを想定してたんだけど。
それと、当時は一緒にやってる仲間もいたから、人を雇うことを考えてもそれなりの規模感が必要だったんだよね。そういう条件に合う物件がなかなか見つからなくてさ。
自分の店をつくるのに、自分が手を動かすのは当然のこと
ー今の物件とは、どういった経緯で出会ったんですか?
神:それも人の紹介なんだけど、『Roots Records』っていうレコードショップで知り合った不動産屋の友達がいて、彼が「こんな物件あるけど、宿やるのにどう?」って出してくれたんだよね。
もともと、この建物は1階から3階までがうなぎ屋で、4、5階がご主人の住居だったの。紹介してもらったときは、もうお店はやってなかったんだけど、縦長だし、エレベーターもないっていうクセの強い建物だったから、ずっと買い手がつかなかったみたいで。でも、宿だったらできるかもなって思ったんだよね。立地もいいし。それで、ここにしようって決めたの。
ーじゃあ、『UNTAPPED HOSTEL』って、いきなり5階建ての物件を買うところからはじまったんですか?
神:そう。そこからフルリノベーションしてね。けっこうガッツリいったよね、しょっぱなにしては(笑)。
ー最初から相当お金がかかるスタートですよね。
神:かかった、かかった。めっちゃ借金もしたし。でも、「ここでやる」って気持ちになったからさ。
ーリノベーションをするにあたって、内装のイメージは固まってたんですか?
神:内装をお願いする人は決めてた。さっき話した『Naturalbicycle』が入ってたお店の内装をやってたのが、小学校からの友達なんだけど、そいつにずいぶん前から「俺が宿やるときには、内装頼むね」って言ってたんだ。
『RISING SUN ROCK FESTIVAL』でレイントープってスペースをつくったり、『飛生芸術祭』で根曲がり竹のトンネルをつくったりしてる古い友達なんだけど。
ーその方に内装をお願いして、神さんも一緒に現場作業をしてた感じですか?
神:やってたねー。毎日いたよ。雑務しかできないから、普通に考えたらいなくてもいいのにさ(笑)。でも、そういうものだと思ってたから。自分の店をつくるっていうのは。
ー関わり方として。
神:うん。やっぱり自分で手を動かして、つくるっていうさ。今はそれだけじゃないってわかるんだけど、当時はそういうものだと思ってたから。
人の力を借りてるからDIYって言い切れるかはわからないけど、でも自分たちが手を入れなきゃいけないっていうか、手を入れるもんだっていうのは疑いもせずに思ってたね。金を払ってるからといって、施主と元請けって関係ではないというかさ。それはもう自然な感じだったよ。
ー自分の店をつくるんだから、自分が手を動かすのは当然だと。
神:そうだね。だから、内装を頼んだ友達が、仲間の大工さんとか、設備屋さんとか、電気屋さんとかに声をかけて、『UNTAPPED HOSTEL』をつくるためのチームを組んでくれて。俺も、そこで初めましての人もいっぱいいたんだけど、一緒にやらせてもらった感じだったね。まぁー、大変だったけど(笑)。
神:結局、内装工事は半年近くかかったんじゃないかな。しかも、予期せぬこともいっぱいあってさ。例えば、うちは2階が吹き抜けになってるんだけど、あそこにはもともと床があって、それを自分たちで抜いたの。
だけど、吹き抜けの向こう側にある壁紙を剥がすのを忘れたまま床を抜いちゃってさ。「手、届かないべや」ってなって、仕方ないから足場を組むみたいな(笑)。そういうアホなことは、けっこうあったね。
ー(笑)
神:ベッドを上の階に運ぶときもさ、「ダブルベッドは階段通らねぇべや」ってなって、外からロープで吊って引き上げたんだよ。だけど、3人くらいで引っ張っても持ち上がらないから、その辺を歩いてた高校生に「バイト代やるから手伝って」とか言ってお願いしたりね。
ーすごいなぁ(笑)。すべて現場で試行錯誤しながら進めてたんですね。
神:マジでめちゃくちゃだったよ(笑)。
ーそうやって苦労した末に迎えたオープンの瞬間は、どんな心境でしたか?
神:いや、オープンしたときに感動なんてなかったよね。
ーえー!? そうなんですか?
神:もう、クッタクタだったもん(笑)。
「宿であること」よりも「場をつくりたい」
ー『UNTAPPED HOSTEL』は、宿でありながらイベントもやられてるじゃないですか。そういうのも最初からイメージとしてあったんですか?
神:あった。俺がやってるのは宿屋なんだけど、さっきも話したように、つくりたかったのは〝場〟だったんだよ。その場には何があってもいいと思ってるから、宿屋だけど1階は飲食店だし、トークイベントとか音楽イベントとか、そういうのも絶対にやろうと思ってた。
ー実家の風景と、街で遊んできたなかで見つけたものを、宿屋という場所で再現するみたいな。
神:そうだね。だから、「実家の風景」と「街遊び」っていう2つの存在は本当に大きいんだ。もちろん宿屋としてのポリシーはあるんだけど、もうちょっと柔軟に考えてるというかさ。「宿であること」よりも「場をつくりたい」って気持ちのほうが、やっぱり大きいから。
ー宿の一角で、印刷所をはじめる計画もあるんですよね?
神:それもね、印刷の仕事を請け負うわけじゃなくて、印刷物をつくりたい人に来てもらって、一緒に刷る場所としてスタートする予定だから。あくまで、場づくりって感覚なんだよね。
ーそうやって「場をつくりたい」と思っている背景には、「自分自身がそういう場にいて楽しい」という気持ちがあるんですかね?
神:まずは、それだよね。最初は「古着屋のお兄さんかっけーな」とか、「バーテンダーやってる先輩かっこいい」っていう憧れからスタートしてて、自分もプレイヤー側に回りたいって気持ちがあったわけさ。自己実現としてね。
で、いざ自分で宿をはじめてみたら、場をつくることのおもしろさとか、そこに自分がいることの楽しさっていうのをプレイヤーの立場から実感するようになったんだよね。
ーなんというか、宿業は仕事だけど、それを通じて理想の暮らしをつくってるみたいな感覚なんですかね。神さんにとっての宿は、「こういう暮らしをしたい」と思ってることを実現するための場というか。
神:完全にそう。自分がしたい暮らしを実現するために、この生き方をチョイスしてる。
それはきっと、親父の背中を見てきたからっていうのもあるんだろうけどね。身近なサンプルが、それしかなかったからさ。だから、幼い頃から「いずれは自分でやる」って気持ちはあったんだと思う。
ーその話って、親父さんにされたことありますか?
神:いやぁ、親父がもう歳なんだよね。今年で93歳だから。そういう話をしたいって気持ちはあるんだ。お互いに想いはあるんだけど、なかなか腰を据えて話すってことはできなくて。親父も、もう酒飲めなくなっちゃったしさ。一緒に肩を並べて酒を飲んで、男同士の話をするみたいなのは、ついぞ実現できなかったんだよね。
まだ生きてるし、一緒に住んでもいるけど、親父はもう、その年齢は超えちゃったから。それだけがちょっとね…、心残りではあるんだけど。だから、今は言葉を介さないコミュニケーションをしてる感じだね。
神:親父も本当にいろいろあった人なんだわ。自分がやってた会社が倒産したりして。だから、俺の商売のことを気にかけて、「大丈夫か、仕事。お客さん入ってるのか?」って毎日なのさ。それはそれで、俺的にはストレスもあるんだけど、親父の気持ちもわかるからね。最後は安心させてあげたいなと思ってる。
それが目標ってわけじゃないけど、俺は親父からひとつのバトンを受け取ったと思ってるから。そのことを、たぶん言葉じゃなくて、魂みたいなものだと思うんだけど、何かのかたちで表して、一瞬でもいいからわかり合える瞬間が死ぬまでにくればいいなって願いはあるかな。
—あぁ…、その瞬間は本当に訪れてくれるといいですね。きっと、親父さんにとっても。
神:俺が「場をつくりたい」って思うようになった背景には、間違いなく親父や街の先輩たちから受けた影響があるからさ。別にああしろこうしろって言われたわけじゃないんだけど、暮らしや遊びのなかで学んだマナーだったり、姿勢だったりってものを受け取ったから、そういうものを次の世代に渡していかなきゃなって想いは、最近強くなってきてるんだよね。
ーそれって、自分が次の世代にバトンを渡す年齢とか、立場になってきた実感が湧いてきたってことですか?
神:うーん、なんだろうなぁ。…でも、気づけば遊びに行っても「さん付け」で呼ばれることが増えてたり、年齢的にも中堅になってきてるなっていうのは、ところどころで感じるよね。街っていう大きな枠で見たら、まだ若手だろうけど、カルチャーをつくったり、おもしろいことをはじめる人って、常に若い人だと思うからさ。
それに、最近は「今、ここで時代が変わりそうだな」って実感もあるんだよね。っていうか、きっと変わるだろうから、新しい感覚を持ってる人たちが、次をつくっていったほうがいいんじゃないかなって思ってる。そのために自分ができることとして、橋渡し的な役割があるのかなって。
ー時代の節目に立ってる実感から、自分の新しい役割が見えてきたってことですか。
神:そうだね。まだ上の世代の人たちに可愛がってもらえる要素もあるだろうし、でもそれを反面教師として、「絶対に、こうはならないでおこう」っていうのもあるじゃん。同時に下の世代の人たちが考えてることも、すべては理解できなくても、わかるところもあるだろうし。少なくともわかろうとはしてるからさ。そこの間を割と自在に動けるポジションだと思うんだよ、俺たちの世代は。そう考えると、各世代の間に立つことのほうが大事な役割かもなって思うんだよね。
そもそも宿屋っていうのも、そういう橋渡し的な仕事だからさ。外の人を受け入れて、街との間に立つ翻訳者というか。だから、その役割をちょっとずつ自覚しはじめてるっていうのがあるのかもしれない。
歴史が紡がれている瞬間に立ち会っていることを実感できる土地
ー自分が今まで経験してきたことをバトンとして引き継いで、橋渡し役を担おうって気持ちは、どのくらいの範囲までを見据えていますか? 札幌の中? それとも、もっと広い範囲までですか?
神:んーと、札幌はもちろんなんだけど、やっぱり北海道っていう範囲までは実感を持って考えていきたいな。
北海道って独自の時間軸があると思うんだよ。まだ神話の濁流の中にいるっていうかさ。今ってまだ、海ができて、大地に木が生えてみたいな状況だと思うんだよね。
ー創成期のような。
神:そうそう。俺らの先祖をさかのぼってみても、北海道に来たのって、せいぜい4、5代前の世代でしょ。もちろん、その前からそれぞれの家系は続いてるんだけど、多くの人は北海道に来たところで1回切り離されてると思うんだよ。そこから、また新たな歴史がはじまってるっていうかさ。
それと同時に、俺らの祖先である和人は、もともとこの地に住んでいたアイヌの人たちのエリアに入り込んできたという事実もあるから、考えなきゃならないことも多いよね。そうやって歴史が浅いからこその悩みもあるし、同時にやりがいもあると思うんだよ、北海道には。
—だから、今まさに土地の歴史がつくられている真っ只中に自分がいる感覚があると。
神:そうなんだよ。だから、俺としては、北海道ってそういうところなんだっていうのを、中の人にも外の人にも感じてもらいたいんだよね。
一般的にイメージされる北海道って、大自然、海鮮、野菜、ラーメン、ジンギスカンみたいな感じじゃん。それはもう全部最高なんだけど、もっと深いからって。宿屋のオヤジとしては、そういうことも伝えていきたいな。
神:あとは、北海道って死が近い土地柄でもあると思うんだよね。北海道を開拓するにあたって、たくさんの方が亡くなってるでしょ。そういう記憶がまだ近い距離にあるんだよ。4、5世代前のことだからさ。
だから、そういう人たちに対する敬意にちゃんと実感が伴ってるし、それを引き継いでいる北海道の人たちには〝この地で生きる力〟が今も強く根付いているんじゃないかなって思うんだよね。
ーだからこそ神さんは、北海道で何かしようとしている若い世代にバトンを渡していきたいと。つまり、自分もこの土地の歴史を引き継いでいく一員だという意識があるんですかね。
神:ある。そういうことをさ、まだ40歳くらいで言うのはおこがましいかもしれないけど、本当に思ってるんだよ。
ー年齢や経験を積み重ねてきたからこそ、次の世代に渡せるものがあると気づいたってことですか?
神:んーとね、「渡さなきゃいけないものが、たぶんあるんだろうな」って感じかな。
ーそれは、例えばどんなものなんでしょう?
神:めちゃめちゃシンプルなことなんだけど、いざってときに相手の目を見ながら話せる人間であるとか、いきなりお金の話をしないとか、そういうストリートワイズみたいなのってあるじゃん。
ー街で学んだ礼儀とか、人との付き合い方とか。
神:そうそう。そういう言葉以外のコミュニケーションって存在すると思うんだよ。愛とか魂みたいなさ。
それって、学校ではなく、親や街の友達、先輩たちから教わったものだから、自分が次の世代に渡さないと失われてしまうかもなって思うんだよね。
ーなるほど。それもきっと土地が育んできた文化ですもんね。
神:そうだと思う。愛とか魂とかって抽象的な話になっちゃうけど、俺の周りには、そういうものを扱ってる人たちが多いんだよ。音楽やアートを通じてさ。
自分もその力を感じてるから、言葉以外のコミュニケーションで、次の世代に引き渡していけるものがあるんじゃないかと思ってるんだ。
判断基準は「それをやっている自分を好きでいられるかどうか」
ー次の世代にバトンを受け渡すことを意識しているのと同時に、これからも宿業は続いてくし、新たに印刷所もスタートするわけじゃないですか。神さん自身としては、これからも「ここでつくって生きていく」という気持ちですか?
神:そうだね。そうやって生きていくんだろうなって思う。
ー会社員だったときって、「自分でつくって生きてる」という感覚はありました?
神:それがなかったから辞めちゃったのかもね。もうちょっと長く会社にいて、自分の裁量で仕事を進められていたら、そういう実感も湧いてきたのかもしれないけど。当時はまだ若すぎて、仕事ってものが何なのかもわからないまま辞めちゃったところがあったと思う。
なんか、違うストレスがあったんだよ。「自分のやりたいことができない」みたいなストレスが。すごくいい会社だったけど、やっぱり自分で何かをやりたかったんだよね。
ー「ここでつくって生きる」ことで、「こういう暮らしをしたい」を実現するという一方で、神さんは経営者であり、父親でもあるわけじゃないですか。そうするとやっぱり「自分で稼がなきゃならない」というキツさを感じることもあります? 「給料をもらってたほうが楽だった」みたいな。
神:うん、あるよ。シンドイ道をチョイスしたなって実感はすごくある。ガキの頃は何となく「30歳くらいになったら、悩みなんかなくなるべ」なんて思ってたけど、全然そんなことないからさ(笑)。それどころか、悩みはどんどん深くなるし、大きくなる一方じゃん。
でも、経験を積んだ分、人間としての器が少しずつ大きくなっていくというか、悩みにも耐性ができてくるっていうのはあるかもなぁ。感情の処理もしやすくなってるし、そういう点ではちょっとずつ大人にはなってるのかもしれない。
神:稼ぐってことでいえば、「家族や従業員のために稼がなきゃ」みたいな焦りはけっこうあるよ。俺自身はさ、「まぁ、生きてりゃいいや」っていう楽観的なところもあるんだけど、奥さんとか、子どもとか、従業員の人たちのことを考えると、稼がなきゃ生活が回っていかないからね。だから、「稼ぐために何をやるか」は常に考えてる。
ー「こういう暮らしをしたい」と「稼がなきゃ」って気持ちは、同じくらいの比重ですか?
神:あー、だんだん近づいてきたかな。昔は「こういう暮らしをしたい」が上で、「稼がなきゃ」は下だったけどね。「こういう暮らしをしたい」の重要度が落ちてるわけじゃなくて、「稼がなきゃ」が年々近づいてきてる感じ。
で、今は割と一致してるなぁ。昔は金を稼ぐことが罪深いみたいな気持ちを持ってたタイプなんだけど、そういうのもなくなったし。
ー「楽しくないけど、稼ぎのためにやる」みたいな選択をすることはあります?
神:えっとねー、幸せなことに、今のところ俺は自分が腹落ちすることしかやってないかな。例えば、コロナ以降にはじめたことで生活困窮者の受け入れ事業っていうのがあってさ。宿の利用者が減ってるので、空いてる別館をホームレスの人たちに使ってもらってるんだ。
これって、人によっては敬遠するような事業かもしれないけど、俺はすごく納得してやれてるんだよね。その上で、ちゃんとお金を稼ぐことにも繋がってるし、すごくラッキーだなと思ってる。
ーそうやって腹落ちする仕事だけをやっていくために、意識してることってありますか?
神:んー、なんだろうな。まず自分の能力的に、いろんなことを並行して走らせることができないんだよね。一気にいっぱい球がきたら、「わー!」ってテンパっちゃうからさ(笑)。だから、一球ごとによく見るってことは意識してるかな。
その上で、判断基準としては、「それをやっている自分を好きでいられるか?」ってことだと思う。それは、やることを選ぶ上でけっこう重要なポイントかもね。「これをやったら、自分で自分のことをあんまり好きじゃいられないかもな」ってことは、見送るようにしてる。
—なるほど。その仕事自体を見て良し悪しを判断するのではなく、それをやってる自分がどうかってことを判断基準にしてるんですね。
神:そうだね。今はコロナ禍でやれることを考えて、オンライン宿泊をやってるゲストハウスも多いけど、俺はやらなかったんだ。これは、やってる人を悪く言うわけではまったくないし、それぞれの判断が全部正解だと思うんだけど、俺は向いてないと思ったんだよね。
—それをやってる自分がイメージできなかった。
神:そうそう。絶対に下手くそじゃん。zoomで「いらっしゃいませ~! こんにちは~!」みたいなことをするのは。
ー(笑)
神:だから、腹落ちする仕事だけをやっていくために必要なのは、自分をよく知ることだと思う。
神:あとは、危なそうなところには近づかないことだよね。そういう雰囲気って、なんとなくわかるじゃん。近づいたら火傷しそうだなって感じとか。そういうのに出くわしたら、アウトボクシングをするに限るよね(笑)。
ー適度な距離をとって接する(笑)。
神:それも街遊びでついた知恵だと思うな。クラブとかでもそうじゃん。初対面でいきなり「イベントやろうよ!」って言ってくる人とかさ、ちょっと怪しいでしょ(笑)。
ー確かに、そういう嗅覚は街遊びで養われるものかもしれないですね(笑)。
神:だから、街遊びでの経験が血肉になってる感覚は、はっきりとある。「人を見る目」ってほどのものじゃないかもしれないけどさ。
そうやって自分を知って、危ないものから距離をとりつつ、あとは常にアンテナを張ってることが大事だよね。「いい球が来たらいくぞ!」って。
ーチャンスがあればいつでもバットを振れるように。
神:ただ、そこで焦って、ガツガツしはじめると、だいたい間違うんだよ。経験上、ワケのわかんない方向にいっちゃうことが多い。
だから、何事も焦らずに球を見極めて、自分で納得しながら進めるのがいいんじゃないかな。自分の気持ちに嘘はつけないから。
与えられた仕事より、自分でつくって生きている実感が欲しかった
ー仕事を通じて「こういう暮らしをしたい」を実現しようとしたときに、やっぱり住む場所の選択肢は札幌しかなかったなと思いますか?
神:うーん、まぁ…俺の場合は札幌しかなかったと思うなぁ。やっぱり生まれ育った街で、親もいて、根っこはこの街にあるからね。
仮に東京で宿業をはじめてたとしても、商売的には上手くいったかもしれないけど、自分がその街に根を下ろしていることを実感できたかというと、あんまり自信がないなぁ。
—やっぱり気持ちは札幌にあったってことなんですね。
神:東京でも商売をするイメージはできたけど、家庭を築いて、子育てをする未来は思い描けなかったんだよね。子育てって、根を張る作業じゃん。だから、安心できる場所を求めてたんだと思う。
それができなかったのは、会社員だったからっていうのもあるかもしれないね。会社にぶら下がっていて、なおかつ地元じゃないところで、自分は家庭を築いていけるんだろうかって不安はあった。
ー会社員だから不安だったというのはおもしろいですね。やっぱり自分で事業をやっているほうが、地に足が着いている感覚があります?
神:あるある。だからこそ、ちゃんと根を下ろせる場所にいたかったんだ。
ー地域に根を下ろすことで、どういうことが変わるんですかね?
神:木と同じだと思うんだけど、根を下ろすと真っ直ぐに幹が伸びて、それがだんだん太くなって、枝分かれして、葉が生い茂って、実がなって、種が落ちて、また新しい芽が出るってサイクルが生まれるじゃない。それと同じことが人生にも言えるんじゃないかなって。
もちろん、運もあるとは思うよ。日当たりが悪かったら根を下ろしても大きくはなれないだろうし、環境とか、どういう人と出会うかによって、受ける影響も変わるだろうから。だけど、少なくとも根を下ろしていれば、自分の人生をサイクルで捉えられると思うんだ。
ーあぁ、なるほど。街に根を下ろして、そういうサイクルを回すというのは、次の世代にバトンを渡すって話と一緒なのかもしれませんね。
神:そうそう。だから、親父のことも、街のことも全部繋がっててさ、壮大な歴史の話になると思うんだよ。北海道叙事詩みたいなさ(笑)。
ーいや、そうだなと思いました。尺度が違うだけで、人の一生と、木の一生と、北海道の一生みたいな話が全部重なっていくのかなって。
神:そうそうそう。俺らはそのサイクルがすごく見えやすい場所にいると思うんだ。それも北海道って土地の特徴じゃないかな。
コロナ禍で見えてきた〝場〟が持つ新たな可能性
ーこれからも札幌で「つくって生きていく」上で、この先に思い描いているビジョンがあれば教えてください。
神:まずコロナの影響で、宿業がどうなるかわからないっていうのが正直なところだね。宿泊業自体は残っていくと思うんだけど、移動できる人が少なくなると、航空会社やバス会社でも廃業せざるを得ないところも出てきて、ますます旅行に行きにくくなる可能性はあるだろうなと。
だから、宿業のほうは縮小する方向性もあると思うけど、さっきも話したように、自分のベースは「場をつくりたい」ってところにあるからさ。宿とは何なのかってことを解体して考えると、「人を受け入れる場」じゃない。そこまで掘り下げてみると、まだまだやれることはあるなって思うんだよね。
ーそれが新たにはじめる印刷所であり、生活困窮者の受け入れ事業ってことなんですね。
神:そうだね。俺もまさか生活困窮者の受け入れ事業をやるとは思ってなかったんだけど、今はこの仕事にすごくやりがいを感じてるんだよね。札幌市と契約をしてるから、図らずも公的な仕事に足を踏み入れたこともあってさ。もしかしたら、自分としてはそっちのほうに体を向けていくことになるかもなと思ってる。
ー生活困窮者の方の受け入れ事業って、どういう経緯でスタートしたんですか?
神:3月末くらいに、大学の頃の友達がSNSで「東京でネットカフェ難民が増えてる」ってニュースをシェアしてたんだよね。それを見て俺も「日本全国の都市圏は、どこもこうなるかもしれない。札幌にとっても他人事じゃない」みたいな感じでシェアしたの。
だけどその後に、「シェアしただけで、やったつもりになるのはちょっと違うな」と思って。そのまま「札幌 支援団体 ホームレス」って検索して、いくつか出てきたなかのひとつに連絡したの。「コロナの影響で宿が空いてるから、何かサポートできることがあったら声をかけてください」って。
—部屋を空けっぱなしにしておくのはもったいないから。
神:そうそう。そしたら、「札幌市のほうもベッドの拡充を考えてるみたいなので、もしそれが本当に動き出すようだったら、神さんのご提案があったことを伝えておきますね」って返信がきたの。で、2週間後くらいに、今度は札幌市から連絡があって、自立支援課の方たちが視察に来てくれたんだよね。それでトントン拍子で話が進んで、5月から契約がスタートしたんだわ。
生活困窮者の受け入れの事業はさ、実際にはじめてみて、自分がやりたかったことの本質に近いと思ってるんだ。
—やりたかったことの本質?
神:そう。ライフワークとライスワークっていう寒い言い方は好きじゃないんだけど、それが一致してるなって。もしかしたら、これは自分にとっての生きがいになるかもしれない予感がちょっとしてるんだよね。
だから、今は大学院に行って、臨床心理士とか公認心理士の資格を取って、ちゃんと寄り添えるようになりたいってことも考えてる。この場所を使って、或いは別の場所でもいいけど、そういうことをやっていきたいビジョンもあるんだよね。
ー神さんって新しいものを取りに行くためには、持っているものを簡単に手放せる人ですか?
神:いや、そんなことないと思う。去る者を追うタイプ(笑)。
ー(笑)。いや、今のお話を聞いてて、積み上げてきたものを手放して、次に向かえる人なのかなと思って。
神:手放すというか、軸足を置きつつ別のところに踏み込むっていうのはあるかもね。〝場〟ってものを軸足にして、宿業以外のこともやってみるみたいな。
もちろん、宿は宿として、できる限りは続けていこうと思ってるよ。ちゃんとコロナの対策をした上で。だけど、こればっかりは世の中の状況もあるから、ダメだと思ったら経営者としては見切りつけないといけないだろうし。
—そうですよね。
神:粘るよ。粘りまくるつもりではいる。受け入れ事業だって、宿として粘るためにはじめたわけだから。
でも、そうやってはじめた新しい事業が、もしかしたらライフワークになるかもしれないっていう不思議な縁というか、運というか、そういうのがあってさ。だから、自分の人生がどういうふうに導かれていくかって、本当にわからないなって思うんだよね。だったら俺は、あまり流れに抗わず、それを受け入れていこうかなって。その流れのなかで手放す必要性が生じたときは、思いきって手放すけど。
ーそうやって長く宿業を続けていながらも、柔軟に考えるという姿勢は、若い世代の人たちにもポジティブな影響を与えてくれる気がします。「ここでつくって生きていく」ってことに対する気持ちを軽くしてくれるというか。
神:そうなってくれたらいいけどね。自分で事業をやりたい人っていうのは、いつの時代にも一定数いると思うんだよ。昔はひとつの事業で一生やっていくこともできたかもしれないけどさ、今はなかなか難しいじゃん。
これからは、小さい事業をいくつか立ち上げて、ちょっとずつ利益を上げて、そのトータルで食ってくみたいな暮らし方が普通になるかもしれないなって。俺も宿業1本でやってきたけど、そのリスクを今回のコロナで感じたからさ。
ーそうですよね。
神:だいたいさ、何をやるにしても1回で自分にとって理想のかたちなんて見つからないと思うんだよ。最初は誰だって、想いを持ってはじめるじゃん。でも、それが自分に適してるかどうかなんて、そんな簡単にはわからないんじゃないかなって。
やってみて、転んで、またやってみてを何回も繰り返して、「あ、ここだ」って落ち着くところに至るというかさ。そこに辿り着くまでの旅の途中みたいな感覚は、俺も未だにあるもん。
ーそういう神さんの姿勢自体が、次の世代へのバトンになるんじゃないかなと思いました。
神:ちょっとでもそうなれたらいいなって、マジで思うようになったよ。だからさ、お互い頑張ろうね(笑)。
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取材・文章/阿部光平
編集/菊池百合子
写真・動画/タニショーゴ
アイキャッチデザイン/鈴木美里
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