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”主体的に考える”という事

自主性と主体性の違い


いつも読んで頂き、ありがとうございます。
毎週のようにクライミング活動を継続しているはずなのに
何故か毎回筋肉痛に襲われるとらよしです。おはようございます。
#日頃の運動不足にも程がある

今回もまた少し心理的なお話になりそうな予感がしますね。
ただ、なるべく「予算=借金」とならない為に自らできる工夫は
継続的に進めていくべきだと思い、ここに共有させて頂いて
ますのでその辺りをご理解頂ければ幸いです。


本編に入る前にお知らせです。
ここに書かれるブログ記事はボクのサロンで1年前に書かれた
内容をリニューアルして転載していますので、若干扱う情報が
古い時がありますがご容赦下さい。

リアルタイム配信は現在でもFacebookのグループ配信にて行っております。

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逆算戦略アカデミー逆算戦略アカデミーは、逆算思考から物事を考えビジネスを活性化させる事で個人事業であれ副業であれ、ナゼ失敗するのか、ナゼ上手くいくのかをオーナーである”とらよし”自らの体験から学ぶビジネスアカデミーです。

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とらよし


教育は受動的


以前から何度も出てきていますが、そもそも学校教育は
受動的な活動です。子供たちは特に何の理由も説明されず
”学校に行って学ぶ”という事を親なり周囲なり「外部」からの
影響を受けて通います。

これは子供達にとっての「主体性を失う原因」にも繋がりますが
ただ、そうは言ってもまだまだ精神的にも経験的にも未発達な
子供たちが「自分で物事を考えで自ら推進する」のにも
無理がある事も確かです。

近年の時代の流れるスピードもさることながら、情報量の多さからくる
「知識の偏り」はこれからもっと顕著になっていくでしょうし、末端の
枝の本数は今ですら数え切れません。ただ、そんな中でも「人の根幹」
という部分は今も昔も変わる事なくって「人間が生きている」
という真理は
変わる事はありません。

もし、この部分を親や家族が子供達に自ら教える事ができれば
子供たちは必要な知識を学校へ自ら取りに行くスタイルになるでしょう。
しかしボクも含めて多くの親は自分でも「何の為に学校に行ったのか」
よく理解していない場合がほとんどで「学校へ行く正当な理由」
あまりよく分かっていません。よって多くの親が子供達に教え解ける
唯一の理由は
「自分も行ったから」となるのが一般的だと思います。

svklimkinによるPixabayからの画像


これは「誰かが行けと言うから行った」という受動的な行動原理で
今の日本の教育に足りていない部分の核心部だと思います。
また、これはビジネスでも同じで受動的な行動原理を持つ人というのは
「誰か」が「何か」を命令しないと動けない事が多い
ので企業に
勤めるなりMLMに入会するかによって「誰かの仕事のお手伝い」をする
方法しか選択できなくなってしまう上に、最終的には
「どうしたらいい?」っとなりがちです。

これは何も「その人が悪い」ワケではなくて、日本の教育問題の
根幹部分であると思います。つまり「何のために学業があるのか」
を明確に説明できる人があまりにも少なすぎるというのが現状で
その延長に「誰かが言った事やる」が日常の判断基準になって
しまう事故が起こっているのだと思います。

ちなみにこの時の判断基準は「できる」or「できない」の
どちらか2択になります。


自主性を持つ


ただ、そんな中でも自ら進んで学校へ行きたがる子供はいますし
誰に言われるでもなく基本的に「人には親切」であろうとします。

このように、何か決まった目的に対して自身で勝手に進む事ができる
状態の事を一般的に自主性と呼んでいますが、この自主性を持った
行動というのはビジネス脳に近い状態で、目の前にある課題を
誰に言われるでもなくやり遂げるといった自律型の行動原理
です。

この状態を持った人に対しては上役からのお願い事の内容が
「作業」でなく「仕事」になります。

簡単に言いますと
「ボタンを押して」という単純動作から「コイツを見ておいて」という管理に変わります。(部分管理ですが)
これは、その仕事に係る一連の作業をスクリプトとして脳内に
インプットする事ができ「単発で起こる行動」から
「繰り返し行われる連続した行動」をルーチン化できた事に起因します。

※スクリプト
ある繰り返しの動作を1つのルーチンとしてまとめたもの
https://ameblo.jp/torayoshi626/entry-12689422126.html...

この領域に入ると、細かなプログラムはイチイチ頭で考えて
理解する必要がなくなりますのでどんどん周囲が見えるように
なってくる反面、どんどん問題や課題も見えてきます。

UnsplashのSigmundが撮影した写真


企業の管理職やフリーランスなどはこういった自主的な視点で行動に
移せるかどうかで判断される事が多く、指示待ち人間から
脱却する事で新しい視野を持つ事ができますね。

ただ、この自主性の特徴は
「ある決まった目的」に対する作業の効率化は得意
なのですが
「自身の目的に見合っているか」どうかや
「自身が解決しなければならない課題なのか」
についてはあまり目を向けようとはしません。

これはつまり、仕事や生活に関係なく「その環境下」から抜け出すと
途端に「受動的に逆戻り」してしまう可能性を秘めています。
その理由は、次のような事があるからだと考えられます。

1.承認欲求が限定的

2.何かのせいにする事で安心する

承認欲求に関しては「自身が出来る事」でしか周囲にはアピールが
できませんので、ここは自主的に「自身の分かる範囲」でアピールを
する事になります。しかし「ある決まった目的」以外の知識を持ち合わせていない為に「外部で起こった問題」や「外部からやってきた問題」
に対しては、誰かのせいにする
事が多く「怒りの感情」が湧き出る事も
少なくありません。


主体的に考える


ボクは個人的に個人が起業するのであれば、こちらの考え方の方が
都合が良いと考えていてこちらを目指すようにしています。

自主性との違いは、そもそもの「ゴールや目的」そのものを自身で
考えて設定し、自ら動いていくといった行動原理
です。自分が解決策を
持たない問題や、認識はしているけど触れられない問題等をなるべく
無くし、共有し、共感する事を目指すものになります。

この考え方が難しいのは、社会の大多数が受動的あるいは自主的な
行動原理で動いている
からこそ、それに伴って発信される情報が
「限定的な承認欲求」だったり「誰かのせいで」といったネガティブな
思考な発言が多い事が1つの大きな要因になっていると思っていて
こういった大きな波の中に『主体性』を持った考えを「何の加工」
もなく当てはめてしまうと、どうにも主体性を持たない事があたかも
「悪い事」のような表現になってしまう事にもあるように思います。
#特に誰が悪いわけでもないんですけどね
#特に悪意なく社会をバカにしているような言い方になりがち

もしくはそれを避けようと思うと表現が抽象的になってしまい
「結局何が言いたいのか分からない」といったフワッとした
表現になってしまいがちなところにあると思います。

この辺りは個人的に、アメリカの連続ドラマが良いお手本になると
個人的には考えていて「プリズンブレイク」であれ「ウォーキングデッド」であれ背景は何でも良いです。
こういった海外ドラマの良いところは、結局「人間」を題材にした
ヒューマンドラマである事。恋愛も含め、気の合う仲間と合わない人
そして集団の在り方と、極限状態に置かれた時に起こす人間の行動原理を
如実に表現しているところにあります。

UnsplashのGeorge Bohunickyが撮影した写真


彼らの物の考え方や話し方は主体的に物事を考える時には良いヒントに
なると思いますので一度お試し下さい。
#ただ見始めるとメッチャ長い

主体的に考える習慣というのはビジネス以外でも我々が生活をしていく上で
最も重要な考え方の1つです。

「作業の内容は自身で決める」⇒「仕事の内容は自身で決める」⇒「何の為
にその仕事をするのかも自身で決める」⇒「人生のゴールも自身で決める」

これらのプロセスを最終的に逆から追う事が主体性を持って
生きる目的であり、このサロンの目指す道です。


ちょっと長い道のりです。
だけど到達不可能な道ではありません。
もう少しだけ、頑張ってみましょう。





今回はここまで。

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