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ムンク掌編Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ
Ⅰ 生命のフリーズ
ムンクのレプリカというか、ポスターなどを見かけますけれど、買う人の気がしれないと思っていました。
だって、飾るということでしょう?
『叫び』とか、そういう、名まえの絵を。
ナイナイ。
ですが、『不安』『叫び』『絶望』と並べられたとき、アリかもと思ったのです。
挙げた三つは、「生命のフリーズ」と呼ばれる作品群の一部です。
愛、恐怖、死、等の「生命」をテーマにした絵画の連作で、四方の壁をぐるりと装飾することを想定されています。
一つ一つは暗くて恐くて不気味かもしれない、でも、美術館でムンクに囲まれているうちに、なにやら愉快になってきました。
ムンクによって切り取られた空間で抱かれて孕むのは悪くない、そんな想像をしました。
ヘンタイかしら。
あれ以来。
男の重みを受けた私の身体が、ラブホテルの冷たく白々しいシーツの中に沈むとき、目を閉じると、ムンクが描いた血のような赤が、線が、床からゆらり、ゆらりと立ち上り、壁中を走り、昇り、天井の一点へと集まっていきます。
そしていつの間にか現われた、ムンクのヘン顔たちに見下ろされている。
そうか。
天使って、ヘンな顔をしているものだったのね。
ここは神殿です。
ほんとうにこのまま、身籠ってしまうかもしれないという恐れは、上り詰め裏返る。
快楽へ刈り取られる。
どうか。
今授かったこの子を、産み落とすときには、また、祝福に来て下さいね。
そこがどこであろうと、どんな状況であろうと、私とこの子を、そのお顔で笑わせて下さい。
Ⅱ ムンクの月
ムンクを見た晩の月は、ムンクの月に見えてしまう。
生卵がとろりと落ちるような、あの月だ。
・・・という物語りで脳に映る世界は変容し、ムンクに近づくか、あるいは遠ざかる。
語ろうとしていた世界は語ることで失われ、もうすでに新しい世界が開けている。
語ったことでムンクの月に見えてしまうのか、ムンクの月を失くしたのか、今となっては分からない。
Ⅲ 日記
ラブホテルに飾られたクリムトの『接吻』を見て、赤面した。
クリムトは好きですけれど。
きっと日本中あちらこちらのラブホテルにあるであろうクリムトを、全部ムンクに取っ替えて回りたいという野望がむんくむんくと起き上がった。
《おまけ》
ヘッダーはPAUL & JOE BEAUTEの、たしか、2007年春夏のコレクションだと思ったのですが、昔すぎて確認はできませんでした。
リップスティック、フェイスカラー、ショッパー(紙袋)です。
ムンク?!と思いました。(個人の感想です)。