#あの恋

「星好き」の小学生だった私は、学研の「星と星座の図鑑」も「星占いの本」も、同じように読みふけっていた。何冊もの「星占いの本」から、乙女座のあなたには清楚な魅力があるとたびたび告げられたが、「清楚」がなんたるかは辞書を引いても分からずにいた。

中二の春の新学期。隣のクラスの教室前の廊下を通ったとき、がらりとドアが開いて一人の女の子が現われた。清楚だ、一瞬でそう理解した。一目惚れに違いなかった。
体育の授業を男女毎に隣のクラスと合同で行っていたので、まもなく彼女の名前も評判も分かる。相当な美人らしかった。らしかった、というのは、顔の造作の良し悪しは私にはよく分からないからだ。彼女を素晴らしく美しく、綺麗だと感じる気持ちは自覚できたが、どこをどうそう感じるかは説明できなかった。ただ、彼女の心も美しいようには思った。気さくな女の子で、私とも普通にしゃべってくれるようになった。特別親しくなることはなかったが、彼女が私の視界に入り、時々のあいさつや少々の雑談を交わすだけで、自分の心まで洗われるようで心地よかった。

高校に入学した春、また一目惚れをした。今度も女の子だった。こちらの彼女については、外見の描写が可能である。
入学式後に教室に入り、先に席についていた彼女に目を奪われた。「ミルクに薔薇の花びらを浮かべたような」とはこのことか、と思った。
ご近所にたくさんの薔薇を庭で育てているお家があった。前を通るたび愉しませてもらっていた。子どもの頃には遠慮をせずに、匂いまでもくんくんと嗅いだ。赤、白、黄色、ピンク、オレンジと華やかに咲き誇る中、最もよく香る薔薇は、最もはかなげな姿をしていた。しんなりと柔らかそうな花弁は淡く薄いピンク色で、ふんわりと、ぼんやりと咲き開き甘い芳香を放つ。私が一番好きだったその薔薇のようだと、彼女の唇を想った。黄みも赤みも感じない白い肌をした顔の上に、その唇はあった。
顔をふちどる髪は、少し茶色く軽くウエーブがかかり、ふんわりと肩にのっていた。全体に色素が薄いといえる子だったかもしれないが、猫のようなつり目の黒目は濃く、大きく、綺麗で、表情は読み取りにくい。身長は高くなく、華奢で、お人形のようだった。

幸運なことに、彼女とは趣味とウマが合った。
二年に上がってクラスは別れたものの、授業は文系・理系別で行われており、私たちは少数の理系女子としてほとんど一緒の教室にいた。また、今や拘束時間の長いブラック部活動として名高い吹奏楽部員としても、朝や放課後や、休日や合宿を一緒に過ごした。
よくおしゃべりし、よく笑っていたが、他愛もない話しかしていなかったと思う。 お互いが見た夢の話までしていた。そんな、つまらないはずのことまでが愉しいからこそ、特別だと思った。兄以外の誰かと夢の話をするのは初めてだった。夢の話は禁忌の一つだと理解していた。

ある日の部活で、合奏中に彼女が突然楽器を放り出し、音楽室を駆けて出ていったことがあった。 具合が悪くなったのだろうと察した同級生数人が立ち上がりかけたが、顧問の先生は私を名指しして「様子を見にいってやれ」と言った。彼女が苦しがっているというのに、私が一番彼女と親しいと認められたようで、正直喜びと、私が彼女を介抱するのだという誇りを感じてしまったのは否めない。
二人で話していて、同級生から「仲いいね」「付き合ってるの?」と揶揄されることもあった。仲良しは公認と云えた。

進路の話をしたのはいつ頃だったろうか。
むしろ実のない話をしたがる私たちにとって触れにくかった話題は、おそるおそる切り出された。
「大学で、物理か哲学がやりたいんだよね」
「私もー!」
「でも、どちらかといえば、物理の方がいいんだよね」
「私もーっっ!!」
どちらが私で、どちらが彼女であったかは覚えていない。どちらでも一緒だ。運命のようなものはますます感じた。
二人が自宅近郊でマイナーな学部を目指していれば、同じ大学に入学する可能性は十分にあった。しかし、そうはならないだろうと、彼女がどうだったかは知らないが、私の方では確実な未来として見えていた。

今のような関係は高校卒業までであり、以後は続かない、その覚悟は彼女への思いを加速度的に積もらせた。積もった思いの重さが、自分でも怖かった。
この思いを彼女にぶつけることは、あってはならない。
でも思いを遂げる機会は、今しかない。
その狭間で揺れ動いた。と云うとまるで苦悩していたようだが、たぶんそうでもなかった。
私の思いも躊躇いも、彼女は知った上で受け容れてくれているという安心感はあった。彼女の方でも、私を気に入っていたと思う。面白いヤツだったし。私たちはそこそこの両思いだった。
ただ、私の方が入れ込んでいたのも間違いない。だから、ふざけてじゃれあいながらも、礼儀正しくあろうと距離やらは図った。
しかし卒業の日はじりじりと迫っていた。

一度、彼女に強い球を投げてしまったことを告白する。

彼女があるとき、朝通学の電車内でみかけた制服姿の男子学生がしていたピアスについて、話してくれたことがあった。きらりとちらついた光を追いかけると、その男の子の耳たぶに、雪だるまの形をしたシルバーのピアスがあったという。小さいが、二つ連なった丸は少しふっくらとして立体的で、上にはちょんと目が刻まれていて、雪だるまと分かったそうな。「すっごいかわいかった」「私もあんなの欲しい」と、珍しいくらい興奮した様子できゃっきゃとしていたのをよく覚えていた。
そして高三の十二月、学校帰りにパルコを一人でふらふらとしていたとき、彼女が話していたようなまさにそんなピアスを見つけてしまったのだ。
ガラスケースの中にディスプレイされていたそれはプラチナ製で、お値段は6500円だった。私のお小遣いで買えなくはなかったが、高校生が女友達にあげるにはどう考えても高価すぎた。クリスマスプレゼントとしても、まさか通らないだろう。
彼女にプレゼントして、驚かせたい。驚きはするだろうが、うれしいだろうか。うれしいかもしれないが、困りもするだろう。そんな風に同じ思考をぐるぐると回りながら何日もお店に通ったが、クリスマスも差し迫ったある日、お店の方に声をかけ、とうとう商品を見せてもらった。
裏を返すと凹んでいて、立体的なのは打ち出してあるからだと分かった。雪だるまの上の丸の方にピアスの芯が溶接されており、彼女が身に付けたとき、雪だるまが少しだけ耳たぶから零れるだろうと想像できた。

彼女のピアスの穴は、実は私が゛開けさせた゛ものだった。
高一の夏休み明けに、私がピアスをしたことを彼女に報告すると、「信じられない」と気持ち悪がられた。「ピアスとかコンタクトレンズとか、身体に異物を入れるのは怖くてできない。できる人ってありえない」と続けて言われた。私は笑いながら、「でもピアスはかわいよ」と熱心に彼女に話して聞かせた。嫌がられるのが愉快で、まるで小学生の男子のように嫌がらせを繰り返した。
するとまもなく、彼女は、「もう、負けたよ。私もピアスしたくなってきた」とつぶやいた。彼女の気が変わらないうちにと、早速私がピアッシングでお世話になったクリニックを紹介し、彼女がそうする日は道案内がてら付き添った。帰り途、ミスタードーナッツに寄って開通祝いをした。
私たちが通う管理教育をする気のない高校では、不良は存在しようがなかった。ピアッシングの理由は様々だろうが、教師に対する反抗にも、生徒間の自己主張にもなり難い。卒業までに半数以上の女子がピアスをしていたはずだ。ピアスが目立てば先生から注意されることもあったが、逆にいえばちょっと隠しておけば問題なかった。

結局私はそのピアスを購入した。リボンもかけてもらった。
クリスマス、彼女にプレゼントすることはできなかったが。

しかしそこから卒業までの二月ちょっとの間に、私は彼女にそれを渡している。前後の記憶どころか、その場の記憶も白く飛び気味であるが、彼女は、受け取ってくれた。私は「感謝」を覚えた。
後日、お返しのプレゼントをもらったような気もする。彼女ならそうするであろうし、間違いないはずだが、その記憶も飛んでいる。何をもらったか記憶にない。

卒業式当日の記憶も特にない。おそらくはあらかじめ決定されていたその日を普通に迎えた。やれることはやりきったような気持ちでいたのではないかと思う。

四月、彼女は希望通りの大学に進学し、私は浪人生として予備校に通うことになった。
高校の友達と会うことはたまにあったが、彼女が大学の入学式の日「かわいい」と大勢の人に囲まれていたことと、彼氏ができたことを、わざわざ教えてくれた子がいた。彼女は別に私の彼女ではないのだが、ショックを受けた。ショックを受けた自分に驚きはしなかった。いつか、こういう日が来るだろうと思っていた。
彼女とも時々会っていたが、前に会った時にはもう彼氏がいたのだろうかと、振り返った。二人の間ではなんとなく避けられた種類の話題であるので、彼女の口から聞かなかったことにショックはなかった。高校卒業後最初に会ったときの彼女は、季節外れだったが例のピアスをつけてきてくれた。「かわいいでしょー?」と振ってきたので、「かわいいね♥」と返した。あのときは、どうだったのか。想像は巡った。だが詮索する気はなかった。
一年の浪人の後、彼女とは別の大学へ進学したが、その頃には二人で会うこともなくなっていた。

今だろうといつだろうとキモチワルイことを重ねて云うが、当時私は彼女を「永遠の女性」だと思っていた。

男性への思いは、遂げようと遂げまいといずれ冷めると経験によって承知していた。彼女と過ごした高校の三年間にも、好きになった男性は数人いた。だが比べてしまえば、どう見繕っても彼女の方が好きだった。
男性に向かう私の好き♥は、「ちょっと性欲スイッチ入っちゃいました♥」と言い換えた方が正確に思えた。胸の痛みを、直ちに恋とは呼ばなかった。「乳首が充血して勃起したようだ」と観察した。
性欲それ自体を軽蔑することはなかったが、スイッチが入ってしまうのは、偶発的な、事故のようだった。性欲を取り除けば、特別なものは何も残らないと思えた。「私の男」「私に属する男」というずいぶんと不遜な表現があるが、彼らは全く私の何かではなかった。
対して「彼女」は、「私の女」だなどと云うつもりはないが、私にとっては特別に違いなく、たとえ会えなくなっても、お互いが結婚をしたとしても、私はずっと彼女を想っているものだと信じていた。

そして私は、もう、彼女も「永遠の女性」ではなかったと知っている。
彼女が「永遠の女性」でなくなり、「永遠の男性」が現われたこともあったが、彼も永遠ではなかった。

あの頃信じたような、永遠の想いはない、というのが今の私の思想である。
想いも、関係も、日々更新される。死ぬまで続けていくことは可能だが、「永遠」は在るか無いかで云えば無い。

とはいえ、そう分別がついたはずでも、幻を見ることはある。
私はそれを無いものと知っているが、無いことはその美しさを信じない理由にならない。

綺麗だと、これが最後かもしれないきらきらを眺めている。