SWEETS
Ⅰ 口移しのチョコレート
パリと上海には二十代の頃旅行で訪れた。
芸術の都も魔都もなかった。
アクセスするためのパスを私が持たなかったせいとは思うが、フィクションとしてしか存在しないのかもしれないと疑う気持ちもある。
告白はしばしばフィクションである。
行った、見た、いた話が「話」になっているとき、「話」はもれなく作られている。
作らなければ「話にならない」。
私が思うようなキャバレーでは人魚が見世物になってる。
映画の世界にはそれを見た。
現実(リアル)にあるそこへ、私がたどり着くことは一生ないだろう。
こういうときはセレブになってみたいと夢を見る。
しかし勝手に、AKB48の劇場講演曲『口移しのチョコレート』を、キャバレーにおけるショーに違いないと決めつけている。
『口移しのチョコレート』柏木由紀 平嶋夏海 多田愛佳
口移しのチョコレート - YouTube
(YouTubeのURLがなぜか画面に反映されなくて、すみません。
クリックで飛んでお楽しみ下さいませ。)
TV等マスメディアへの露出よりもライブを中心に活動するアイドルを「地下アイドル」と呼ぶ時代があった。
かつてAKB48は「地下アイドル」であった。
秋葉原のドン・キホーテビル8階にあるAKB48専用劇場、広くも高くもない薄暗いステージ。
破廉恥にアレンジされた制服をまとい、夜な夜な歌い、踊る少女たち。
紫煙ではなく、酒も煽っていないはずの野郎どもの、脳内麻薬の放恣による熱気水蒸気で靄(もや)る空気。
それでよかった、それがよかったと、一番強くたしかに思っていたのは、後に国民的アイドルに上り詰めた48グループ内随一の正統派として名を残す、まゆゆだった。きっと。
(だいぶセンチメンタルに、だいぶ妄想。以後も続く。)
Ⅱ となりのバナナ
『となりのバナナ』河西智美 多田愛佳
https://www.youtube.com/watch?v=XEWmHJn78R4
いったい、「少女」に何を歌わせてるんだ?!
と観客に思わせることは、「アイドル」の基本戦略である。
やらせている大人は、もちろんわかってやらせている。
では、やっている少女たちはどうなのか。
わかっていないはずはない。
でも、わかっていないように振舞わなくてはならない。
「アイドル」の基本構造である。
かつて、芸を売るものは、卑しい存在であったと聞く。
卑しさにこそ宿る「聖性」があった。
…という伝説のリアリティを、「アイドル」に見る。
「アイドル」は、女優やモデルやアーティストのように敬われてはならない。
Ⅲ キャンディー
子どもの頃、家ではキャンディー、チョコレート、クッキー、スナック菓子は禁止されていた。
シュガーと油脂と食品添加物にまみれたそれらを、母は穢らわしいもののようにあつかった。
数々の駄菓子を広げてつまんだ思い出も、縁日で綿あめやりんご飴を舐め、顔や手をべたべたにしながら浴衣姿で歩いた思い出も、私にはない。
毒々しい赤や青のカラフルに舌がまみれたこともない。
お菓子は健康に悪いと同時に「だらしがない」と否定された。
ある意味では甘やかされず、私は育った。
だからといって、きちんとした人間、よくできた人間ではなかったと気づいたとき、自分がかわいそうで少し泣いた。
いい子いい子と頭を撫でられた。
甘やかし、甘やかされる関係を手に入れていた。
『キャンディー』河西智美 増田有華 佐藤亜美菜
キャンディー - 河西智美 増田有華 佐藤亜美菜 "Candy" - YouTube
オシマイ
『眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー』に参加しました。