流れる
多くの女は子を持ったとき、自分の母親を演じる。
すると、゛あのときの゛母親の感情を追体験する。
これを、子を持って知る親の愛という。
私の場合はむしろ、自分の母親を演じないよう、気をつけていた。
気をつけていたのが、つい、゛なって゛しまい、あのときの母はやはり怒っていたのだと確信して涙した。
あの涙はたぶん悲しかったわけではない。
何かが私から解け出た、何かの痕跡なのだ。
怒っているようにしか見えないのに怒っていないと言い張る母は子どもの私を混乱させていた。
その呪縛がなくなったのだ。
母を演じなかった私は、男が私を抱いたように子どもを抱いた。
頬をよせ、キスをし、匂いをかいだ。
そして、私にそうしていた男がどんなふうに私を愛していたのかをこの身をもって知った。
今、息子は、私が息子を愛するように、私を愛している。
私に頬をよせキスをし匂いをかぐ。
いつかこの息子の愛が誰かに注がれたなら、私の愛は成就する。
個人を過ぎ、流れていくものだけが愛である。
(了)
2011/2/8(火) 午後 0:08