面の皮
親のようにはなるまい。
特に、「あんなひどいこと」はするまいと、固く決心していました。
しかし気づいたときにはそうなっていました。
ハッ、と正気に戻ると、もうすでに「あんなひどいこと」をした後でした。
同じ人たちの体験談があります。
『そのとき、自分の親が、自分に゛のりうつって゛いるように感じた。』
『「あんなひどいこと」をしている自分を、宙から眺めていた。』
『すべてが、スローモーションのようだった。』
「あんなひどいこと」をしておきながら、他人事と感じている自分を責めました。
あるとき気づきました。
私は仮面に支配されていると。
親と同じ顔をし、親と同じ言葉を口にし、親と同じ行動をする私は、私ではなく、親の真似そのものだ。
仮面をはずせば本当の自分になれるはずだ。
私は仮面を引き剥がしました、血まみれになって。
しかし、表れたのは「仮面の痕」でした。
人間は、裸のままでは恥ずかしくて生きていけません。
面(メン)を失い、臓腑を剥き出しにした私はもっと恥ずかしい、ヒト以下のバケモノです。
世間から身を隠しました。
あるとき気づきました。
ヒト以下である私が、「恥ずかしがっている」なんて、生意気ではないだろうか。
恥じらいは高度な演技だ、と言われます。
そうです、人間が、人間らしいのは、人間を演じているせいだったのです。
「恥ずかしがっている」私は、「恥ずかしい」という人間らしさを演じているだけだ。
バケモノのくせに、そう、アタマでは理解できても、「恥ずかしい」という人間らしさを捨てることができない。
そしてまた気づきました。
私には、まだ、「面の皮」が残っているのではないだろうか。
周囲をよく見渡すと、他の人たちの目には、私は、立派に、「人間」として映っているようです。
勇気を出して、私が人間らしいと感じる人間様を真似ることにしました。
以前の仮面は、親から与えられたものだったかもしれない。
しかし今度は、自ら仮面を縫い付けたのです。
はじめはぎこちなく、自分の仮面の白々しさに吐き気がし、そしてそんなふうに、まるで人間のように自己嫌悪する白々しさに、また吐き気がしました。
長かった、辛かった・・・そうかもしれませんが、よく分かりません、思い出せません。
所詮、何者でもなかったのですから。
この世に存在していない人間の、時間や感情は、どれほどのものなのか。
この世の者には実感できない。
仮面をつけて暮らしていた日々を、「悪夢のようだった。」と振り返ります。
目が覚めたときに、そう思うのです。
夢の最中で、夢を見ていると意識することはできません。
夢かもしれないと気づいたときには、まもなく出口です。
今では、なかなかに人間らしく、世間を生きています。
自意識過剰が気にならなくなった頃、「私の顔」を発見しました。