2024年夏アニメ感想 小市民
真実は甘いものとは限らない。
『小市民』シリーズの原作は2004年12月に発表された。時期的には原作・米澤穂信の代表作『氷菓 愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』の間に入ってくる。もともとは『春季限定いちごタルト事件』単発を予定していたが、「春」のみで終わるのは収まりが悪い……と夏・秋・冬の物語を展開することとなった。
私は米澤穂信作品の『氷菓』が好きで、原作小説もほぼ全部購入したほど(もちろんアニメ表紙版で)。その米澤作品で「日常の謎」を題材にしたもう一つの作品がある……非常に興味深い。
私としては今年の夏、もっとも期待の作品だった。
ほい、では本編を見ていきましょう。
本作はテレビシリーズであるのにかかわらず、シネスコープで制作される。強気ですなぁ。
シネスコープ(シネマスコープ)が世に登場したのは1953年。発明されたのは1920年代だが、カナダのボシュロム社と20世紀フォックスによって改めてアスペクト比規格として発表された。
当時、テレビの躍進によって危機感を募らせていた映画業界は、テレビにはない映画ならではの体験とはなんなのか……を模索していた。その一つがこの画面サイズ。テレビは3:4というほぼ四角形の画面。それに対し、シネスコープになると画面の広がりが表現できる。
シネマスコープ2.35:1の画面で表現すると、こんなふうに人物だけではなく、背景の隅々まで見える。3:4の画面では、人物を描いたらそれで画面一杯になってしまう。
それに、人間は目が2つ横並びに付いている。縦より横の方に視野が広い。人間の生理から考えても、横長の画面は理にかなっている。
ただしシネスコープにはいくつか欠点があって、例えばこんなふうに1人のキャラクターをピックアップすると、頭部全体がフレームの中に入らない。この場面では額から上が切れてしまっている。こういう画面構成にすると、途端に画面が大味になってしまう。
次の問題は、通常のテレビ画面でシネスコープをやると、どうしても画面がチマチマしているように見えてしまう。大型モニターやプロジェクターで見れば問題ないが一般的な20~30インチの画面だと、かえって画が小さく見えてしまう(最近は普通の家庭でも大型モニターがあるから……という状況を見越しての選択だとは思う)。
シネスコープのもう一つの問題は、画面が広くなるから、そのぶん描き込まなくちゃいけない要素が増えてしまう。アニメだと作業が大変になる。
ではどうしてシネスコープが採用されたのか?
関係者のインタビューなど一切読んでないので推測で描くが、「映像でミステリーをいかに作るか」……という問題を乗り越えるためではないか。ミステリーはそもそも文字文化の産物であるので、映像でできなくないが、そのままやるとどうしても画面が単調になる。ただ台詞のやりとりが続くだけ……。それで演技が抜群にうまければいいが、そうでない場合は眠くなってしまう。
こちらは京都アニメーション制作『氷菓』の一場面。『氷菓』でもそれぞれの場面背景が丁寧に描写されていた。
ポイントは謎解きのシーン。謎解き場面では様々なイメージ画像が工夫されて挿入されていた。
『小市民』ではどんなアプローチを取ったのか? 『小市民』でも現在進行形で起きている事件と別の画面が差し挟まれた。前後の脈絡をあえてすっとばして、別のシーンが挿入される。イメージ画像ではなく、風景そのものを描写する(ちょっと「シャフト作品」風に感じられる)。これも映像でミステリーをいかに描くか……というアプローチの一つ。シネスコープで映像を描いているから、奥行き感のある画像が次々に出てくる……そこで画面のインパクトを狙っている。
第1話のイメージ映像を見てみよう。
第1話では、主人公の小鳩常悟朗と小左内ゆきがあまりにもべったりなので、恋仲だと勘違いされるが、2人はそういう仲ではない。第1話のイメージ映像の中でそれが端的に現されている。自転車で2人乗りをしているが、イメージの世界ではこんなふうに「橋」や「川」を挟んだ向かい側に立って話している。2人が心情的にはそれくらいの距離感があることが示されている。
橋の両端に立って対話している2人。距離感が近いようで遠い。
その一方で……
間にストロボを挟みながら、小左内ゆきの表情をポンポンと捉えている。これは小鳩常悟朗の視点。小左内ゆきに対し、まったく気持ちがないわけではない……ということが示唆されている。
(こんな美少女を前にして、気持ちが動かんわけないわな)
オープニングを見ると、小鳩常悟朗と小左内ゆきの2人が白い狼として表現される。一見すると大人しく、社交的に見える2人。その2人の内面に隠された獣性。隠された牙。2人は中学生時代、なにをやらかしたのか……?
ここまでが『小市民』シリーズを客観的に見た場合の推測だ。おそらくコンセプト的にはこんなところだろう。
ただ、このアプローチ法は作り手としては茨の道。シネスコープサイズの構成はかなり難しい。第1話は空間の広がりや奥行きをうまく表現できたが、第2話に入ると……。努力の跡は見られるが、シネスコープの画面構成に手こずっている痕跡が画面に残ってしまっている。
その第2話のある場面。
第2話は演出的に引っ掛かるところがあって、「堂島健吾はどうやってココアを作ったのか」……を討論する場面。この場面は、本来ずーっと喋っているだけの場面。それではマズい……とココアを作っている場面が挿入される。しかし実際に作っているのではなく、あくまでもイメージですよ……ということでイメージ場面に入ると衣装のチェンジが行われたが……。ちょっと気付きづらい。
最後に牛乳パックそのものを電子レンジに放り込んでいた……というオチが出てくるが、普通に見ると、そこに至るまで何度も牛乳パックに触れているはずだから、気付くでしょ……と思ってしまう。しかし実は牛乳パックに触れていたのはイメージシーンであって、実際には一度も触れてない……。というのは、ちょっと意地が悪く見えてしまう。
それに、いくらヒソヒソ話しをしている前提だといえども、引き戸越しに堂島健吾がすぐそこにいる。そのように見えるのもイメージ的な画面作り……ということになっているのだが、映像として見るとどうしても引っ掛かってしまう。それだと話し声が聞こえちゃうでしょ……と。
こういうところも、「聞こえていない」という約束事で……ということになっているのだが、映像として見るとちょっと無理が生じてしまっている。
映像作品として、きちんと作ろう……という意識は感じられるし、スタッフにがんばりも感じられるが、あと一歩で惜しい。あと一歩、届かない感じがするのが、なんとももどかしい。
『氷菓』の米澤穂信作品らしく、「日常の謎」をうまく物語にしている。ごくなんでもない、ありふれた疑問から始まり、それをミステリ的な文脈で解く……という作りになっている。
ただ引っ掛かるのは、縦軸のドラマの作り。現在、8話まで公開されているのだが、小鳩常悟朗と小左内ゆきの2人には、どうやら「過去」があるらしい。そのことが様々に示唆されるが、それにまつわるストーリーがまだ出てこない。ここまでのお話しはどれもバラバラ。それぞれが短編的なエピソードとして見ると面白いといえば面白いけれども、一つのシリーズ作品として見るとちょっと深みが足りない。なんでもない日常短編物語……であっても問題はないが、この世界観やキャラ設定だと、もう一つ味わい深いものが欲しくなってしまう(もしかして2クールなのかな?)。
(※ 2クール発表前にこの感想文は書かれている)
画面にはこだわりを感じるし、きちんと作り込んだ作品になっている。私個人的にも好きなタイプの作品だ。非常に印象がいいのだが、ただ作品が小さく見えてしまう。なかなかの良作だけど、ちょっと人にはオススメしづらい。誰もが楽しい作品にまではなっていない。あともう一歩なにかが欲しい……そういう微妙な惜しさが引っ掛かる。
ヒロインの小左内ゆきはめちゃくちゃに可愛いです。この子に会うために、毎週欠かさず見たくなる。こういうヒロインを生み出してくれたのはすごく嬉しい。
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ほい、ここからは、全話視聴を終えてからの感想です。
予想通り2クールでした。原作が「春」「夏」「秋」「冬」で展開するのに、春・夏で終わるのは収まりが悪いと感じていた。
全体を通して見た感想で言えば、ずっとシネスコープの扱いに手こずっていた……そういう印象だった。シネスコープであればより画面を大きく見せられる、場面を広く見せられるのだけど、それを活かした場面がほとんど見られない。これだと、あまりシネスコープを採用した理由がないな……。
対話で展開する作品で、しかしそれだと画面が単調になるから、イメージ画像をポンポンと放り込む。このやり方が『氷菓』と似ているようで違うアプローチ法だったところ。ただ、そのイメージ映像の流れが綺麗だったか……というとそうでもなく。カットの流れもよくないし、象徴的にもなっていない。シャフト作品でよくある見せ方だが、あの域にも達していない。
最終話近くになると、30分ただ対話だけのシーンも。『化物語』シリーズではよくあったことだけど、やはりあそこまでうまい見せ方とはいえず。ただ画面が単調になってしまっていた。
だからといって、駄目な作品というわけではないけれど、肝心なところで外しちゃった感じで、惜しい作品だな……これが最後までつきまとってきた印象だった。
だからといって、決して駄目な作品ではありません。好みの話でいうと、結構好き。小左内ゆきさん、可愛いんだもの。ただ「批評」をやる立場で見ると、やや低めの評価になる。
キャラクターのバランスもいい。主人公の小鳩常悟朗は行動しない。考えるだけ。実は行動するのが小左内ゆき。小左内ゆきが行動し、小鳩常悟朗が解釈する。この組み合わせが面白い作用を作り出している。ちょっと他にはない、この作品ならではの面白い展開になっている。
ただ映像作品としてはやや完成度が低い。きちんと作ってはいるけど、シネスコープの画面をうまく使いこなせていない……むしろシネスコープを採用したことで映像が弱く見えてしまう。
ミステリをいかに映像で表現するか、その難しさを感じた作品だった。