不登校は甘えではない ストラテラ服用日記496日目
我々が子供の頃は不登校は許されなかった。
絶対に許されなかったわけではないが、社会通念上のマイナスが大きく親が頑なに不登校を拒絶していたため、そのハードルを超えられる子供は少なかった。ま、昭和の時代の話。
まず不登校の定義を確認しよう。
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何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席したもののうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの
文科省より引用
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今は、それなりに不登校は認知されている。
不登校の数が多いのが問題になっているが、不登校が問題なのではなく不登校児が出てしまう環境の問題に気がつく人が少ないように気がする。
つまり、不登校なのは個人の「甘え(弱さ)」の問題と誤解している人がまだまだ多く、本人が登校できる心の強さを持てば不登校が解消されるという間違った観念が横行している。
障害で言うところの「個人モデル」と「社会モデル」と一緒だ。
今、子どもたちはとても沢山のストレスに晒されて、不本意な人生を歩まされているように感じる。
ストレスの原因はたくさんあるが、私が大きな要因など思っているのは「こうあるべき」「こうしなければならない」という観念に縛られた本人と親。
特に親の思考の固定化が影響が大きいと感じる。
親が昭和の観念に囚われていると子供のストレスが大きく不登校に至る場合が多いと感じる。
時代は変わっているので、親の考えもフレキシブルに変わっていくといいのかなと思う。
悲しいことに不登校になってしまった子どもたちにはこれだけは言いたい。
「不登校は甘えじゃない」