SHE'Sが響くわけ~『Masquerade』『Letter』『Your song』の歌詞とMVから読み解く寄り添い方~



【はじめに】

 先日、Blackboardチャンネルというのを見つけた。アーティストが先生として教壇に立ち、テキストとして音楽を届けてくれる、人生の授業が開講されていた。坂書のレベルが高過ぎて書き手が気になって仕方がないが、それを含め最高なので、YouTubeから是非色んな授業を受けて来て欲しい。
 そんなBlackboardチャンネルにて、SHE'S先生が「Letter」というテキストを扱っていた。何百回と聞いた曲なのに、まるで違う曲のようで衝撃を受けた。その曲があまりにも「教室」という場所にぴったりだった事に、驚きを隠せなかったのだ。

 私は、「どうやら赤楚さんが出てるらしいぞ」とミュージックビデオを観て、まんまとこの曲に魅せられ、SHE'Sの泉へと集う、巷に溢れる『チェリまほ』出身の新参者である。今では、毎朝『Masquerade』で身支度をこなし、毎晩『Letter』で精神安定を計り、一日最低でも合計5回、調子が良い時は10回程聞かなければ満たされぬほどの、幸せな中毒症を患っている。回復の見込みはないし、一生付き合っていく覚悟も思いも余裕で持ち合わせている。ちなみに『Letter』は友人と行ったカラオケで、二回赤楚さん鑑賞の為に入れ、五回フルで歌った。ライブでは井上さんの右足が袖から出た時点で泣いた。

 そんなこんなで、勿論曲そのものを愛している。しかし、出会いがミュージックビデオだったこともあり、その映像がより強く印象付いている部分はあった。
 だからこそ、「教室」という場所に響く『Letter』を聞いて愕然とした。「あれ、私は今まで何を聞いていたんだろう」と。私はこの歌を失恋の歌だと思っていたのだ。しかし、壇上から届けられたその歌は、大人になる子供達への、優しく切実な応援歌のようだった。
 それから、ひたすらSHE'Sが受けたインタビュー記事などを読み漁った。本質を受け取りきれていなかった事が悔しかったというのもあるが、何より、その曲についてもっと知りたいと思った。
 そして久しぶりに、MVを観た。一人で100回は再生回数に貢献してるはずの『Letter』のMVだ。涙が溢れた。今までよりもずっと、二人の関係が美しく切なくて、涙が溢れた。そして、この曲を踏まえて描かれた男女の物語によって、曲の解釈がより可能性を広げていることに気がついた。ともすればじっくり考察しなければならないと思い、また再生ボタンを押した。

 もし、私の考察を読んで、この三部作とされる『Masquerade』『Letter』『Your Song』の曲、歌詞、MV、男の子(赤楚衛二)、女の子(横田真悠)、それぞれを前より少しでも深く愛しく思って貰えれば。そんな淡い期待を抱きながら書き綴ってみた。ここまでもすでに長いが、これから先さらにバカほど長い。曲を聴きながら気長に読んで頂ければ、嬉しい限りだ。


1、『Tragicomedy』(悲喜劇)

 考察する前に、この楽曲の生まれた経緯を、インタビュー記事を元に軽く紹介させて頂く。
 今回考察する三曲が収録されたアルバムタイトルは『Tragicomedy』(トラジコメディ)。''心''をテーマに製作されたアルバムで、作詞、作曲を行う井上竜馬さんが「初めて''ただ一人の相手''の為に作り上げたアルバム」だ。以下、インタビュー記事の抜粋。

―― 日本語で“悲喜劇”を意味する、アルバムタイトル『Tragicomedy』という言葉にはどのようにたどり着いたのでしょうか。

「心の病になったそのひとの姿を、近くで目の当たりにしながら、自分では制御できない心のアップダウンを知ったんです。すごく明るくなるときと、すごく悲しくなるときの高低差というか。でもそれって、当たり前やと思うし、おかしくないことやと思って。人生だって、楽しいことと悲しいことが延々と交互に来るようなものだし。だから、心が極端になってしまう自分を「うまくできない」って責めてほしくなかった。肯定したかったんですよね。そこで、悲劇と喜劇を両方とも表せるような言葉はないかなと、探してみて初めて知ったのが“『Tragicomedy』=悲喜劇”でした。」

「(前略)誰かや何かを許すとか受け入れるって、もちろん大事なんですけど、それをずっとし続けていたら心って壊れるんやなってことを、近くで実感したから。そのひとの代わりに僕が怒っても仕方ないんですけど、そんなこともわかっているんですけど、怒りたくて仕方なかった。このひとをこんな状態にしたやつを許したくないって思ったし。そういう感情をまったく隠さずに、ただただそのひとのことだけを想って書いたアルバムでしたね。」

(「Uta-Net独占インタビュー」より)
https://sp.uta-net.com/interview/2007_she-s_2

 人に寄り添う中で生まれた楽曲達。アルバムの中では一曲一曲それぞれが、喜怒哀楽様々な表情を見せている。それは井上さん自身の心の表れとも言えるだろう。
 どうすればその人の心に寄り添う事が出来るのか。その為には「心」そのものを知らなければいけない。井上さん自身が、沢山の自分の「心」の顔を見つめ、丁寧に紡がれた歌詞。そこに寄り添うメンバーの楽器。「心」を囲む社会への厳しい批判や皮肉、「心」に寄り添う事の難しさ、「心」を通わす事の愛しさが描かれたこのアルバム。そんな真正面から「心」そのものに向き合った楽曲達は、様々な気付きや、温もり、前へ進む勇気を、与えてくれる。

 こんな事を書くと、一曲一曲をじっくりと考察したい衝動に駆られるが、それは果てしなく長くなってしまうことがまず間違いないので、ここまで読んで下さった皆さんに託したい。是非、アルバムを一曲づつ、順番に聴き浸って、考えを深めて欲しい。
 それではこれらを踏まえて、ようやく、三曲を読み解き、MVについて考察していきたい。


◯『Masquerade』  

作詞・作曲:井上竜馬 


愉快に踊れば満足かい
このステージの上じゃ見栄張り合戦
感嘆の一つもない
タンタタンと音を鳴らしても滑稽

至極真っ当な顔で
着飾り 繕い 笑いかけないで
Where's your mind?(君の心はどこ?)
You gotta take it back, take it back(取り戻さなきゃ)
その仮面を剥がしてごらん

愛されていたいなら
ありのままを見せてよ

In a masquerade(仮面舞踏会で)
それらしいステップを踏んで
Liar, liar(嘘つき)
光るドレスで誤魔化そうとして
They don't wanna be alone
(彼らは一人になりたくない)
And just wanna dance in a masquerade
(ただ踊りたいの仮面舞踏会で)
そのままじゃ何も得られない

時代に乗れたら満足かい
手の平の中で見栄張り合戦
Shotgun 構えながら
虎視眈々と獲物を探すんだ

至極真っ当な顔で
群がり 移ろい 招いてこないで
Where's your place?(あなたの場所はどこ?)
You gotta take it back, take it back(取り戻さなきゃ)
足元がふらついている

信じてと言うけど
まだあなたが見えない

In a masquerade(仮面舞踏会で)
それらしい鼻唄響かせ
Liar, liar(嘘つき)
グラスはもう飲み干し 酔いどれ
They don't wanna be alone
(彼らは一人になりたくない)
And just wanna dance in a masquerade
(ただ踊りたいの仮面舞踏会で)
そのままじゃ何も変わらない

Masquerade(仮面舞踏会)
歪んだ笑顔は仕舞って
Brighter, brighter(明るい、輝く)
好きな色のドレス纏って
あなたはあなたの 他の誰にもない
飾らない素顔を見せてよ

In a masquerade(仮面舞踏会で)
それらしいステップを踏んで
Liar, liar(嘘つき)
光るドレスで誤魔化そうとして
They don't wanna be alone
(彼らは一人になりたくない)
And just wanna dance in a masquerade
(ただ踊りたいの仮面舞踏会で)
扉はもう開いているんだぜ


【曲について】

 まず、題名にもなっており、サビにも何度も出てくる印象的な単語「Masquerade」。これは「仮面舞踏会」を意味する。井上さんはこの曲をインタビューにてこう述べている。

「心が壊れてしまったそのひとの話を聞いているなかで、やっぱり「嫌われたくない」とか「よく思われたい」って気持ちが強すぎて、本来の自分とは違う自分が表に出て行ってしまう。だから疲れる。だから気分が下がる。そんな自分がまた嫌いになる。って負のループになっていることを知って。それは良くないなと思ったんですよね。でも自分も昔そういう経験があったからわかるところもあって…。」
(「Uta-Net独占インタビュー」より)

つまりこの曲は、本当の自分を隠して仮面を付け、日々を生きている人々への歌だ。そんな人に、いったいどんな言葉を掛けるのだろうか。詳しく見ていこう。

◯まずAメロを、一番二番同時に見ていく。

(一番)
愉快に踊れば満足かい
このステージの上じゃ見栄張り合戦
感嘆の一つもない
タンタタンと音を鳴らしても滑稽

(二番)
時代に乗れたら満足かい
手の平の中で見栄張り合戦
Shotgun 構えながら
虎視眈々と獲物を探すんだ


 Aメロでは、今の社会を生きる人々への批判が描かれている。
 会社や学校、自分が生きる環境という名のステージの上で、人々は踊っている。その場の空気に合わせれば、楽しく踊ることは出来る。見栄を張って、あたかも楽しんでいるようにステップを踏むが、そんな形だけのダンスは周りの目にはひどく滑稽に映っていることに、人々は気づいていない。
 時代に乗るために、流行りのメイクや服、カフェや歌に手を付ける。手の平に収まったスマホの中で、インスタやTwitterでの「いいね」に満足し、優越感に浸る。その為に、世の中の流行りを逐一チェックする。何か悪となる事をした人がいれば、団結して徹底的に叩き潰す。そうなる人を、密かに探し、そうならないように周りを伺いながら生きている。

◯Bメロは、そんな世の中に溶け込もうと必死に生きている、目の前の「あなた」に向けられた言葉だ。

(一番)
至極真っ当な顔で
着飾り 繕い 笑いかけないで
Where's your mind?(君の心はどこ?)
You gotta take it back, take it back(取り戻さなきゃ)
その仮面を剥がしてごらん


(二番)
至極真っ当な顔で
群がり 移ろい 招いてこないで
Where's your place?(あなたの場所はどこ?)
You gotta take it back, take it back(取り戻さなきゃ)
足元がふらついている


 それが当たり前かのように、もうすっかり慣れてしまったかのように、社会に溶け込もうとする「あなた」。世間に合わせたファッションで、生き方で、まるでそれが自分であるかのように笑いかけてくる。でも、そこには「あなた」の本当の心はない。その身につけた仮面を剥がして、本当の「あなた」を取り戻して欲しい。
 まるでそれが正義であるように、同じ服や同じ趣味で作られたグループに居続ける「あなた」。そのグループの意見が自分の意見かのように、その時々で移ろいながら染まっていく。「君もおいでよ」と声を掛けてくる「あなた」の居場所は、本当にそこにあるのだろうか。人の意見に捕まり意見する「あなた」は根底の自分を見失い、根っこがない。だから、自分一人で立つことができなくなってしまっている。

◯サビ前では、そんな「あなた」が歌い手に助けを求めている。

(一番)
愛されていたいなら
ありのままを見せてよ

(二番)
信じてと言うけど
まだあなたが見えない


 「愛されたい」と「あなた」は言う。でもその方法は、周りに合わせて生きる事ではない。「ありのままのあなた」を自分は見せて欲しい。
 「信じて欲しい」と「あなた」は言う。「これは本当の自分」だと言う。でもまだまだ剥がれきれていない仮面がある。まだまだ「ありのままのあなた」は見えない。

◯そしてサビだ。

(一番)
In a masquerade(仮面舞踏会で)
それらしいステップを踏んで
Liar, liar(嘘つき)
光るドレスで誤魔化そうとして
They don't wanna be alone
(彼らは一人になりたくない)
And just wanna dance in a masquerade
(ただ踊りたいの仮面舞踏会で)
そのままじゃ何も得られない


(二番)
In a masquerade(仮面舞踏会で)
それらしい鼻唄響かせ
Liar, liar(嘘つき)
グラスはもう飲み干し 酔いどれ
They don't wanna be alone
(彼らは一人になりたくない)
And just wanna dance in a masquerade
(ただ踊りたいの仮面舞踏会で)
そのままじゃ何も変わらない


 「普通」という仮面を付けて、「社会」という舞踏会に人々はやって来る。仮面舞踏会で踊っても歌っても、本当の「あなた」は笑っていない。そんなのは嘘つきだ。輝く光るドレスで着飾り誤魔化して、その環境に酔って誤魔化している。誰も彼もが一人になりたくなくて、愛されたくて、信じて欲しくて、今日もただただ仮面舞踏会で踊り狂っている。でも、仮面を付けたままでは愛も信頼も本当の笑顔も得られない。それを恐れて仮面を付けて踊り続けても、周りも自分も何も変わらない。変わるはずがない。
◯だからこそ、最後のサビ前に静かに「あなた」に語りかけるようなサビがある。

Masquerade(仮面舞踏会)
歪んだ笑顔は仕舞って
Brighter, brighter(明るい、輝く)
好きな色のドレス纏って
あなたはあなたの 他の誰にもない
飾らない素顔を見せてよ


 仮面舞踏会の中で、歪むくらいなら笑顔でいる必要なんてない。そんなものは仕舞って。もっと明るい、もっと輝く、「あなた」が好きな「あなた」でいて欲しい。誰でもない「あなた」が愛せる「あなた」で、仮面も着飾ったドレスもない、本当の「あなた」に会いたい。

◯そして、最後のサビがやってくる。

In a masquerade(仮面舞踏会で)
それらしいステップを踏んで
Liar, liar(嘘つき)
光るドレスで誤魔化そうとして
They don't wanna be alone
(彼らは一人になりたくない)
And just wanna dance in a masquerade
(ただ踊りたいの仮面舞踏会で)
扉はもう開いているんだぜ

 仮面舞踏会で、それらしいステップを踏んで、光るドレスで誤魔化さないで。一人になるのが怖くて、ただただ踊るのはもう止めよう。君がそう望んでいるならもう、いつでもこの場所から抜け出せる。君が望んだその瞬間から、扉はとっくに開いているんだぜ。

 外に出れば、誰もが仮面を身に纏う。それは、大小様々で、「外面」程度の人もいれば、「全く違うもう一人の自分」の仮面を付けなければ上手く生きれないと思ってしまう人もいる。そんな人に「ありのままのあなた」を見せて欲しい。そう伝えるのがこの『Masquerade』だ。「世の中に合わせて、仮面を付けて生きる方が簡単だ」そう思ってしまう事がある。目立たつことなく、波風立たてずに生きていく方が、楽な事も沢山ある。でもそのうち、仮面の下の自分は疲れていってしまう。周りに嫌われないようにと付けたはずの仮面のせいで、本当の自分を愛してくれる人もいなくなってしまう。それはとても寂しい事だ。
 だからこそ、歌い手は「あなた」に語りかける。仮面を付けてステップを踏む「あなた」より、好きな色のドレスを身に纏い素顔のままの「あなた」の方が、ずっと輝いていると。だから今すぐ「本当のあなた」を見せて欲しいと。そしてこの曲における最後、「扉はもう開いてるんだぜ」の一行がくるのだ。この一行が大きな意味を持っている。
 この曲の歌い手は、常に俯瞰的視点を持って語っている。人々を批判し、「あなた」に「仮面を取らなきゃ」と助言をする。ずっと少し離れた場所から冷静な視点で物事を語っている。そんな歌い手が、最後「開いてるんだぜ」と言うのだ。語尾に「だぜ」が付いたことにより、最後の最後で歌い手の生身の人間としての存在感を抱かせることとなっている。これこそが、この曲における「あなた」への寄り添い方である。
 「本当のあなた」を歌い手が認める事は、この曲の「あなた」にとって、とても心強いものだろう。しかし、それはあくまでも歌い手が「あなた」に与えた勇気に過ぎない。上から差し伸べられた手に捕まりその場所から逃げ出したとしても、それは歌い手あっての「あなた」である。「あなた」が「本当のあなた」を認め見つけ出した居場所ではない。
 しかし、歌い手が最後同じ人間として、同じ場所にいる一人として「扉はもう開いてるんだぜ」と述べることで、意味は変わってくる。その扉は歌い手が開けたものではない。「あなた」自身が開いた扉だ。歌い手はそれを見て、「早く行こうよ、もう開いてるんだから」と教えただけなのだ。つまり、この曲における「あなた」はずっと前から、仮面を外すことが出来る、扉を開く事が出来る、そんな勇気を持った人であるということになる。歌い手はあくまでも、そんな「あなた」の手をそっと引き、扉を指し示すだけなのだ。「大丈夫。本当のあなたはちゃんと強いよ」。そんなメッセージが伝わってくる。だからこそ、歌い手は「早く本当のあなたを見せて欲しい」というのだ。「本当のあなた」が強い事を、ちゃんと知っているからだ。この曲は「あなた」を勇気づける歌ではない。「あなた」の勇気に気づかせる歌なのだ。


【『Masquerade』のMV】

 それでは、そんな曲を元に描かれた男女の「出会い」の物語を見ていこう。
 
 舞台は賑やかな渋谷のクラブ。そこに、男(赤楚衛二)がやって来るところから始まる。酒を飲み交わす中で、遠くで友人と楽しげに笑っている女(横山真悠)を見つける。彼女を見つめる男の目にぐっと迫った後で、画面はぎゅっと小さくなり、男女に焦点が当たり、周りの風景はぼやけていく。そんな画面の中で彼女の手を引き、楽しそうに渋谷の繁華街を駆ける男女。そして再び男の瞳に戻ると、画面は元の大きさに戻っていく。
 二番は女目線で、全く同じ流れが繰り返される。クラブにやって来た女は友人と楽しみながら、遠くで酒を飲む男を見つける。女の目にぐっと迫った後、画面は狭まり、彼女は男の手を握り駆け出していく。焦点は楽しそうに渋谷を駆け回る男女に当てられる。そして再び、瞳に戻り、画面も戻る。
 この場面は、クラブに来た男女の願望を示していると言える。クラブにやって来た男女は、お互いに密かに惹かれ合う。そして、サビの盛り上がりの部分で、それぞれが相手と弾けて楽しむ姿を思い浮かべるのだ。
 先ほど冒頭で、この曲は「本当の自分を隠して仮面を付け、日々を生きている人々」の歌だと述べた。そしてこのPVでは、そんな二人がお互いに「この人の仮面の下の素顔を見たい」と思うと同時に、「この人に自分の仮面の下の姿で向き合いたい」という願望があることが分かる。
 見栄を張り合う社会の縮図としてのクラブ。二番の歌詞に合わせるように写真を撮り合う友人達。勿論そこに居ることは楽しい。でも、それは本当の「ありのままの自分」ではない。そんな中で、離れた向かい側にいるお互いを見つける。自分が仮面を付けているからこそ、相手が仮面に隠した素顔を持っている事を感じ、その素顔を見たいと惹かれ合ったのかもしれない。自分に好意を抱いている人間には好意を抱きやすい。クラブという非日常的空間であればなおさら、その向けられた視線はより強い熱を持つだろう。そしてそれは、肉体的繋がりに直結しやすいものでもある。しかし、「ありのままを見たい」と同時に「ありのままでいたい」と感じる。これは、元を辿れば最も純粋な恋心そのものでもある。求められれば求めたくなる。それは、身体だけでなく、心だって同じだ。
 社会の中での自分の在り方を描いた『Masquerade』という曲を、夜の男女の恋愛に落とし込み、人と繋がるという本質を巧みに描いている。
 二人が思い浮かべる一番と二番のサビの部分は、二人の目に迫ったところで画がぐっと狭まり、映画のような印象を抱かせる。思い浮かべるロマンチックな理想の世界の中では、二人に焦点が当たり、周りの風景は歪んでいる。二人だけの世界がより強調される作りとなっている。二人だけで外へと繰り出して弾けたい、楽しみたい。そんな二人の、仮面の下に抑圧された願望が、鮮明に描かれている事が分かる。
 最後のサビに向け、一旦落ち着いた間奏が流れる中、遂に現実で二人が交じり合う。部屋の外で休んでいた彼女の元へ男がやって来て「逃げよう」と声を掛ける。嬉しそうに笑う彼女の顔が印象的な場面だ。(私は何百回とMVを見て、願望含め彼が口にしているのは「逃げよう」だという結論に至ったたが、他の可能性は大いにあります。もし他の考え在りましたら是非ともお聞かせ頂きたい切実に)
 そこからサビに向けて曲が静かに盛り上がっていく中、二人は思い描いたように、夜の賑わう渋谷の街へと繰り出していく。しかし、想像の中のように手を握ることはない。思い描いた中では手を引き走り抜けていた横断歩道を、隣で笑い合いながら歩いていく。それも、想像の中の二人とは反対方向に向かって。そしてあっさり喧騒から離れ、二人は静かな夜道を歩き、歩道橋でコンビニで買ったアイスを食べながらお喋りをするのだ。そんな二人の表情はとても優しい。
 そして最後のサビ。二人は屋上の扉を開け、花火に火を付けるのだ。二人きりで花火を見つめ、空に向け、朝日が昇るのを並んで待つ。これこそが、二人にとっての仮面を外し、ありのままの自分でいる事だったのだ。
 思い浮かべていた渋谷の街で踊り駆ける二人は、あくまで一般的な「解放」の表れに過ぎない。その普遍的をなぞっただけの、まだ仮面を付けたままの二人だったのだ。本当の「ありのままの自分を見せる」。それは二人にとっては、ゆっくり隣を歩きながら、色んな事を話して、二人っきりで夜明けを待つことだったのだ。それこそが二人なりの自分らしさだったのだ。そんな二人の間には、穏やかな空気が流れている。朝日が昇り、二人が真剣な顔で向き合った所で幕を閉じる。
 現実の二人は、一度も手に触れることなく、どちらかが手を引くこともない。隣を歩き、一定の距離を保っている。その中で、歩道橋、屋上と、二人が並ぶ後ろ姿が少しずつ近づき、距離が近づいていっている事が分かる。これは、心の距離である。触れ合うのではなく、言葉を交わして、どちらかが手を引くのではなく、二人で一緒に歩いていく。二人が、相手の心と心で繋がろうとしていることが分かる。そして最後、真正面から相手と向き合う二人からは、真摯な思いが伝わってくるだろう。飾らないありのままの自分で、相手の心と繋がりたいと願う男女の物語だったのだということが、最後の最後で分かるのだ。素顔のままで人と心で繋がろうとする強さを持った若い男女。この『Masquerade』という曲を体現するような二人の存在に、これから二人が紡ぐ心の通わせを心待ちにしてしまうのだ。


◯『Letter』

作詞・作曲:井上竜馬

おかえり もう1人の僕
上手くやれたかい
うん、それなりに
想いは手離したし
我慢するのだって慣れてきた

これでいいはずはない
けど波風はもう立てたくない
汚れた鏡に問いかけて
孤独に蓋を掛ける

大人になっていくことが
僕を狂わせてるんじゃないかって
思ったりもしたけど

僕らは大切な人から順番に
傷つけてしまっては
後悔を重ねていく
それでも愛したり
愛されたいと願っている
あなたを守れるほどの
優しさを探している

どうかその手でもう
自分を責めて 潰さないで
摘みとった花びらは
ただ枯れて風に吹かれていく

大人になっていくことが
君を惑わせてるんじゃないかって
思ったりもしたけど

僕らは信じたい人から順番に
疑ってしまっては
自分を嫌っていく
それでも触れたくて
心の奥へ歩み寄る
あなたを覆い隠すほどの
切なさを知りたくて

僕らは大切な人から順番に
傷つけてしまっては
後悔を重ねていく
それでも立ち籠める
霧の道を進んでいく
あなたを照らせるほどの
優しさを探している

探している 知りたくて
探している


【曲について】

 この曲について、井上さんはインタビューにてこう語っている。

この曲はもともと、2017年の冬に作った曲で、歌詞も自分自身に向けて書いたもので、そのデモをブラシュアップしたんです。当時の悩んでいた自分に書いた言葉が、今、自分が向き合っている相手にも伝わるんじゃないかなと思って、改めてちゃんと曲にしました。
(「Uta-Net独占インタビュー」より)

これは井上さんが24歳から25歳の時に、大人と子供の狭間にいる自分に向けて書いた歌詞である。優しい音色に包まれた楽曲はどこか儚く、SHE'Sの楽曲の中でも反響が大きかったという。当時自分に向けて書いた歌詞を、どのように今向き合う人へ伝えたのか、詳しく見ていく。

◯まず一番だ。

おかえり もう1人の僕
上手くやれたかい
うん、それなりに
想いは手離したし
我慢するのだって慣れてきた

これでいいはずはない
けど波風はもう立てたくない
汚れた鏡に問いかけて
孤独に蓋を掛ける

この歌は、「僕」と「もう一人の僕」の会話から始まる。
僕:「おかえり。上手くやれたかい」
もう一人の僕:「うん、それなりに。自分の想いは手離したし、我慢するのだって慣れてきた」
僕:「想いを伝えないこと、我慢すること、それに慣れてきてしまっていること。本当にそれでいいの?」
もう一人の僕:「これでいいはずはない。そんな事は分かってるけど、もう波風は立たせたくない。」
 人は社会の中で、波風を立たせないように、円滑に事が進むように、いつしか自分の想いを押し込め我慢する事を覚える。その方が争いはなく、人に嫌われる事もなく、何よりも楽に生きる事ができる。
 そして自分を押し殺し続けた結果、いつしかそこには本当の自分はいなくなってしまう。外で過ごす「もう一人の僕」が生まれ、日々をこなすようになっていく。
 そんな取り繕った自分の生き方を、「本当にこれでいいのだろうか」と、疲れきった鏡の向こうの自分に問いかけるのだ。「僕」と「もう一人の僕」とで交わされる平行線の自問自答。そんな、いないものとされてしまった本当の「僕」から沸き上がってくる「孤独」に蓋をして、見ないようにして、やり過ごしている。
 この「僕」の状況は、先ほど見てきた『Masquerade』にて語られる、「仮面をつけて生きている人」そのものであると言えるだろう。

◯そしてサビ前である。

大人になっていくことが
僕を狂わせてるんじゃないかって
思ったりもしたけど


 自分を隠し、社会を円滑に進めるために取り繕う。それは「大人になる」ということでもある。自分本位な生き方、やりたいようやる自由な生き方、そんな無邪気なままではいられないようになっていく。そして、「大人になる」事の方が楽になっていく。「こっちの方が上手くいくから」、そうやって周りに合わせて生きていくようになっている。
 仮面をつけて生きる事、それは昔の「僕」が最も否定していた事である。それが間違っている事も正しくない事も分かっているはずなのに、変わってしまっている自分。「大人にならなきゃ」、その思いが「僕」を変えてしまっているように思うけど、結局それを選んだのは「僕」だ。

◯そしてサビだ。

僕らは大切な人から順番に
傷つけてしまっては
後悔を重ねていく
それでも愛したり
愛されたいと願っている
あなたを守れるほどの
優しさを探している

「大人になる」事を求めるうちに、本当の「僕」はいなくなっていく。そんな「僕」を何よりも愛してくれていた人たちから順番に、その人が愛する「僕」は消えていってしまう。そのことに傷つく大切な人を見て、また後悔し、正しさが分からなくなる。それでも、大切な人を大切にしたい気持ちは変わらない。想い合いたい気持ちは変わらない。でも「大人になる」につれ、その愛し方が分からなくなっていく。環境が変わり、周りが変わり、自分が変わり、でも愛したい気持ちだけが変わらない。だから悩んでまた傷つけてしまい後悔する。あなたを守れるくらいの「大人」になりたい。でも「大人」になることであなたを傷つけてしまう。どちらも包み込めるほどの優しさを「僕」はずっと探している。

◯二番を見ていこう。

どうかその手でもう
自分を責めて 潰さないで
摘みとった花びらは
ただ枯れて風に吹かれていく

大人になっていくことが
君を惑わせてるんじゃないかって
思ったりもしたけど

二番では、そんな「僕」に語り掛けるような歌詞になっている。「僕」を「君」と呼ぶこの語り手は一体誰なのだろうか。この部分について、井上さんはインタビューにてこのように語っている。

―― この曲では、人称が<あなた>と<君>と綴られているのですが、その使い分けに何か意図はありますか?

基本的に<あなた>は特定のひとりに、<君>は不特定多数のひとに使うんですね。だけど「Letter」の場合は<君>がちょっと違って。まず、1番の頭で<おかえり もう1人の僕>って鏡のなかの自分に問いかけるシーンを描いていて、それは自分自身へ手紙を贈るようなイメージなんです。そして、2番のBメロの<大人になっていくことが 君を惑わせてるんじゃないかって 思ったりもしたけど>の<君>も“自分”なんです。1番で<もう1人の僕>に話していたように、自分を<君>として見つめているというか。

(「Uta-Net独占インタビュー」より)

 つまり、一番の「もう一人の僕」を「君」と呼ぶ、元々いる「僕」目線で描かれているのが二番なのである。

 そんな風に、自分自身を責めて悩んで追い詰めないで。「君」が綺麗だと思って、大切にしたいと摘み取った花さえも、気がつけば萎んで枯れて、風に吹かれて風化していく。そんな毎日を過ごしている「君」を見ている。「大人になる」って事に囚われすぎて、「君」が悩んで足掻いて戸惑っているように見える。

◯そして二番のサビがやって来る。

僕らは信じたい人から順番に
疑ってしまっては
自分を嫌っていく
それでも触れたくて
心の奥へ歩み寄る
あなたを覆い隠すほどの
切なさを知りたくて

 本当の「僕」を信じたい人、愛したい人、愛してくれる人。社会で生きる「もう一人の僕」ではなく、「僕」を大切にしてくれる人。そんな人達は、「僕」を潰して「大人」になろうとする「僕」に、「そのままのあなたでいて欲しい」と言うかもしれない。しかしそれは「僕」にとって、「大人」になろうとすることを否定されたように感じるだろう。「本当に自分を大切に思ってくれているのか」、そんな思いを相手に抱き、いつしか疑うようになっていく。そんな自分をまた嫌いになっていく。それは、自分自身も同じだ。
 「大人」になりたい僕と「大人」になることを拒む僕。その狭間で、揺れ動く「僕」は、いつしか自分自身の事を嫌いになっていく。
 それでも、自分の本当の心に触れたくて、心の奥を知りたくて、自分自身と向き合っていく。「僕」を押し殺して覆い隠さなければいけないと焦る自分に向き合い、その切実な苦しみに向き合い、本当の「僕」を知りたいと願う。自分自身の感情にしっかりと向き合い考えたい、そんな「僕」の真摯な思いが伝わって来る。

◯そして最後のサビがやって来る。

僕らは大切な人から順番に
傷つけてしまっては
後悔を重ねていく
それでも立ち籠める
霧の道を進んでいく
あなたを照らせるほどの
優しさを探している

探している 知りたくて
探している


 本当の「僕」を知りたくて、「大人」になる方法を知りたくて、大切な人を愛せる優しさを知りたくて、「僕」は探し続ける。そんな中で自分を傷つけ、愛する人を傷つけ、また後悔を重ねていく。それでも「僕」は探し続けなければならない。
 立ち籠める霧の中で、前も、隣にいる人も、自分さえも見えなくなってしまっても、ずっと探し続けなければならない。自分はどうしたいのか、どうありたいのかを、探し続けるのだ。そんな見えない道を進む「僕」を優しく包み込む、目指すべき光が、輝けるほどの何かが、いつか見つかるのではないか。
 だから「僕」は、「僕」の為に探し続ける。その光が何なのか、一体どんな優しさなのか。それを知るために、「僕」は「僕」と探し続けるのだ。本当の「僕」も、「大人」になりたい「僕」も、一人の「僕」として立っていられる方法を、ずっと探していくのだ。

 一見失恋の歌ともとれるこの『Letter』だが、そうではない。「僕」と「もう一人の僕」がそれぞれに手紙を送るように思いを伝え合う、「僕」が「大人」になろうとする成長の物語なのだ。
 「子供」から「大人」へと変わる過程で、人は沢山の変化と向き合い、沢山のものを失い、沢山の苦しみを味わう。それがどんなに辛くても、悲しくても、苦しくても、自分自身を見つめていかなければならない。自分と向き合い、「なりたい自分」と「ならなきゃいけない自分」が、どうしたら共存していけるのか、その為に何が出来るのか。それを必死に模索し考え、探し続ける事しか道はない。それが「大人になる」ということだからだ。探し続ける事が苦しくて辛くても、探し続けなければいけない。そんな今を生きる人に寄り添うようにあるのがこの『Letter』だ。迷い、悩み、苦しみながら、「自分」を探し続ける人の側に立ち、そっと支える。この曲はそんな、優しく切実な応援歌なのだ。


【『Letter』のMV】

 それでは、この『Letter』のMVを見ていこう。このMVは、『Masquerade』にて出会った男女が江ノ島で過ごす、最高の日と、最後の日の物語である。

 始まりは海の中から見上げた水面。綺麗な夏の海の砂浜を歩く男女が映り、二人が地平線を見つめている。
歌声が入るのと同時に、シャツを羽織った俯きがちの彼が江ノ島行きの電車に乗り込んでいく。開いたLINEには、1時間四十分の通話履歴、「ごめん、カギどうしよっか」、「せっかくだから江ノ島?とか?」、「前の橋にいる」などの会話があることから、別れ話の後に、最後に思い出の場所である江ノ島へと向かっていることが分かる
 待ち合わせの橋の上で、会話をする二人には、どこか重い空気が漂っている。直後、その橋で待ち合わせた夏の二人が描かれる。弾けるような笑顔でハイタッチを交わし、手を繋いで楽しそうに歩く二人。隣に並ぶことも手を繋ぐこともなく俯きがちに歩く今の二人。この二人が交互に描かれていく。
 楽しそうに神社に行ったりお土産を見たり、水族館に行ったり、食べたり飲んだりする夏の二人。会話もなく歩き続ける今の二人。そんな夏の二人と今の二人の対比が繰り返されていき、どちらも海へとやって来る。
 無言で砂浜を歩く今の二人と、最も弾けた楽しそうな笑顔で海辺を走り回る夏の二人。そんな二人の夏の思い出を浮かべる男に、女が合いかぎを差し出す。その瞬間、男の頭に夏の彼女の沢山の表情たちが沸き上がって来る。男が見つめる先の彼女の表情は映されないまま、女は男から離れていく。最後、水平線を見つめている夏の二人の背中が描かれて物語は幕を閉じる。

先ほど、この曲は失恋の曲ではなく、「僕」が「大人」になる成長物語であると述べた。しかし、ここでの映像による物語は、二人の男女の恋の終わりが描かれている。今回はこの二人の男女を「僕」と「もう一人の僕」の関係性に当てて考察していきたい。

 まず冒頭と最後に描かれる二人が並んで水平線を見つめる場面。これは、足並みをそろえ、同じ方向、同じ場所を見据える同一化した二人の表れと言える。
 出会いが描かれた『Masquerade』では、最後に二人が向かい合い、心を通わせていく未来が示唆されて終わった。その後二人は、沢山の日々を重ねる中で、お互いの心を見つめ合い、すり合わせていったのではないだろうか。 ありのままの自分でいる事、そんな自分と相手を受け入れ一つになっていく事。それは、普遍的な恋愛の在り方であると同時に、心的負担や労力、果てしない時間を費やすものである。楽しいだけではない時間を、お互いを理解し、共に歩むために、何度も向き合っていったのだろう。
 江ノ島に訪れた夏の海を見つめる二人は、隣り合って同じ方向を向いている。多くの時間をかけ、見つめ合い向き合うだけでなく、隣り合って遠くのその先を二人で見据えることが出来る。そんな二人の深まった関係が分かる大切な場面である。
 そんな同一化された二人が別れを選択することになってしまったのはなぜか。その二人の心のすれ違いを、このMVでは、一人の人間の成長を描いた楽曲に照らし合わせることで、実に巧みに表現している。

 この次の『Your Song』にて描かれているが、この男性は画家である。そして、彼女はオフィス社会人として働くために、資格の勉強をしている。どちらも自分の夢にひたむきに努力している姿が後に描かれる。同じ「夢」を追う者として、二人は互いを心の支えとしていのかもしれない。そんな前向きで輝いた二人が、夏の二人だ。
 しかしそのうち、男は画家として中々芽が出ない自分に焦りを覚えるようになったのではないだろうか。夢に向かって着実に歩いていく彼女を見て、段々と距離を感じるようになる男。彼女の事を大切にしたい気持ちは今も変わらずにある。しかし、自分には彼女を守れるほどの何かがあるのだろうか。そんな事を考えるようになっていく。そして、愛するからこそ別れを選ぶに至ったのではないだろうか。これは一番に描かれる「僕」だ。
 そんな男を見つめる彼女が、二番で「君」と語り掛ける「僕」だ。ただ純粋に共に夢を追っていた男が、少し変わり始めたことに気がつく。「大人」として社会に向き合うようになっていく男。また昔のように彼の心に触れたくて、向き合うために歩み寄る。しかし、それを男は拒む。そんな男を手放しで信じる事が出来なくなっている自分に気づく。それでもまだ彼を知りたくて触れたくて、今の彼が抱える苦しみや切なさを知りたいと思う。
 「あなたを守れるほどの優しさを探している」男と、「あなたを覆い隠すほどの切なさを知りたい」女。どちらも、お互いの事を強く想い、それぞれの方法で愛したい事が分かる。しかし、その愛し方が強く、違う方向を向いているが故に、二人は交わることが出来なくなっていく。そして、それぞれが探し求めた結果が、二人が別れ別々に歩んでいく事だったのではないだろうか。

 最後合いかぎを渡す女の顔は描かれない。様々な彼女の顔を思い浮かべる彼の目の前に、一体どんな顔で立っているのだろうか。そこが描かれないことで、彼が思い出と共に彼女を失った事が表現されている。かつて二人で同じ水平線を見つめた海で、男は立ち止まり、女は進んでいく。冒頭の隣に並んで前を見つめる二人の背中が、違った意味を持って、私たちの眼に映ることとなる。

 向き合い心を通わせ、一心同体的つながりを持った二人だからこそ、この曲のMVといて成り立っていると言える。同じ方向を向いていた二人が、少しづつ離れていき、一緒にいる事が苦しくなる。大人へと成長する中で誰もが感じる葛藤が、人と人との間で生じる。
 より強く一つで、大切であればあるほど、愛し方が分からなくなってしまう。大切だからこそ傷つけ、疑い、後悔を繰り返す。変わりたい自分と、変わりたくない自分。変わりたくない関係と、変わらなくてはいけない関係。
 共に前を見ていた二人が楽しそうで輝いているほど、その思い出は眩しく、切ないものへと変化していく。

 一人の成長を男女の恋愛として描いたことで、より、この曲の「探していく」事の難しさ、「大切にする」事の切実さを描いている。


◯『Your Song』

作詞・作曲:井上竜馬


泥濘んだ地面の上
虚ろに空を眺め
檻の中でただ虹を
待つだけの僕はもう居ない

貰った言葉達と
聴き慣れた声
鞄の中に詰め込んで
何度でも立ち上がってきた

零れることもなく 仕舞いこまれた涙も
いつかは胸の奥で
僅かに出た芽を 育ててゆくから
無駄にはならないだろう

その夢が叶わなくても
努力が報われなくても
戦いに負けようとも
続いてる道があるよ
この目に映っている世界が
不安で満たされていても
たった1人だとしても
僕らの好きな歌を 口ずさんで行こう

雨上がりの匂い
古びた傘閉じて
屋根の下で陽を待っている
時間さえも必要だった

伝えることもなく 飲みこまれてた言葉も
あなたの胸の奥で
憶えているなら 育ってゆくから
想い続けていいんだよ

正しさを見失っても
孤独に唆されても
壁に阻まれようとも
進みたい道があるよ
辿り着くことが全てか
刻んだ時間が全てか
どちらでもない世界で
僕らの選び方で 寄り道しよう

その夢が叶わなくても
努力が報われなくても
戦いに負けようとも
続いてる道があるよ
この目に映っている世界が
不安で満たされていても
たった1人だとしても
僕らの好きな歌を 口ずさんで行こう


 この歌は、わざわざ説明する必要もないほど、直球な言葉たちで紡がれている。軽く文に変えてみるが、歌詞を読めば、それが全てである。とばして頂いても全然構わない。

◯一番から見ていこう。

泥濘んだ地面の上
虚ろに空を眺め
檻の中でただ虹を
待つだけの僕はもう居ない

 不安定な地盤の上で、疲れ切って、虚ろにぼうっと空を眺める。勝手に入った檻の中で、そんな空に虹がかかるような幸運を、ただただ待っている。そんな時が誰にでもあるだろう。安定しない自分の環境や立ち位置、泥が付いたスニーカーで、歩くことも諦めてしまい、自分の上に虹がかからないかと何もせずに待ち望んでしまう。でも、そんな自分はもうここにはいない。

貰った言葉達と
聴き慣れた声
鞄の中に詰め込んで
何度でも立ち上がってきた


 そんな時は、大切な人が自分の為にくれた言葉。聴き慣れた声に包まれた優しく強いその言葉たちを思い出す。いつでも取り出せる、心に仕舞った言葉で、今まで何度だって立ち上がってきた。

零れることもなく 仕舞いこまれた涙も
いつかは胸の奥で
僅かに出た芽を 育ててゆくから
無駄にはならないだろう

涙を流すことも出来ず、静かに心に仕舞った、悔しさ、悲しさ、辛さ。そんな、外には出なかった見えない涙や感じた気持ちは決して無駄じゃない。自分の奥底にある気持ちを、自分だけが知っているその涙達が、芽生えさせ、育てていってくれるはずなのだ。

その夢が叶わなくても
努力が報われなくても
戦いに負けようとも
続いてる道があるよ
この目に映っている世界が
不安で満たされていても
たった1人だとしても
僕らの好きな歌を 口ずさんで行こう

例え夢がかなわなくても、努力が報われなくても、戦いに負けたとしても、そこから繋がっていく未来がある。今その瞬間目に映っているのが、不安で孤独な世界だとしても、僕らの好きな歌を口ずさんで、歩いていこう。

雨上がりの匂い
古びた傘閉じて
屋根の下で陽を待っている
時間さえも必要だった


雨が上がった匂いに、古びた傘を閉じる。雨が止むまでただじっと屋根の下で雨宿りをしている、傘をさして歩くことも、雨が止むのを願う事もせず、ただ太陽が出るのを待っている。そんな立ち止まって何もしない時間だって、今の自分が出来上がるまでに必要な時間だった。

伝えることもなく 飲みこまれてた言葉も
あなたの胸の奥で
憶えているなら 育ってゆくから
想い続けていいんだよ


相手に伝える事もなく、発されなかった言葉たち。今も後悔や熱い気持ちで大きくなっているのなら、それは決して間違っていなければ無駄でもない。強く想い続けて欲しい。

正しさを見失っても
孤独に唆されても
壁に阻まれようとも
進みたい道があるよ
辿り着くことが全てか
刻んだ時間が全てか
どちらでもない世界で
僕らの選び方で 寄り道しよう

何が正しいのか分からなくなって、自分を見失ってしまう事があるかもしれない。孤独になるのが怖くて寂しくて、辞めてしまいたくなる事もあるだろう。壁に阻まれて、諦めてしまう事だってある。それでも。そんな風に思っても、やっぱり進みたいと強く想う道がある。そのゴールに辿り着く事が全てではないし、時間をかければ良いという訳でもない。もっと違う世界でもっと違うやり方で方法で、僕らなりの周り道をしながら行こう。

その夢が叶わなくても
努力が報われなくても
戦いに負けようとも
続いてる道があるよ
この目に映っている世界が
不安で満たされていても
たった1人だとしても
僕らの好きな歌を 口ずさんで行こう


 夢は叶えるもの。努力は必ず報われる。戦いには勝たなければ。そんな応援歌が世の中には溢れている。
 でも、それが上手くいかないことがある。叶わない事、報われない事、負けてしまう事はある。でも、そこに無駄なことなど何一つないだろう。そこにかけた時間も、悔しく悲しく思った気持ちも、それでも涙を流す事が出来なくても。その全てを自分は知っている。そしてそれは、次の自分を作っていく。
 だから、立ち止まってしまう事も、諦めてしまう事も、恐れないで欲しい。ゴールだけが全てではないし、掛けた時間が全てではない。もっと違う、自分なりの意味を、今までの自分に持たせることだって出来る。だから、大切な人の言葉を思い出したりして、好きな歌でも口ずさみながら、僕たちの人生を、僕たちらしくのんびりと歩いていこう。

 この曲は、背中を押すわけでも、手を引くわけでもない。ただただ僕や君を優しく肯定する。そんな、人生の応援歌だ。


【MVについて】

 このMVでは、男女が別れた後のその後が描かれている。
 一番はオフィス街で働く彼女。休憩中や、夜遅くまで、仕事に真摯に向き合う真面目な彼女の姿がある。少し詰まって休憩している中、昔のことを思い出す。
 キャンバスを前に座り、筆を回しながら考え込んでいる彼の背中。そんな夢に向かう彼の背中を見て、勉強に励んでいた事を思い出す。悩んだ時、落ち込んだ時、その光景は、彼女をまた少し奮い立たせる、大切な思い出として存在していることが分かる。
 再び仕事にとりかかった彼女は、次の日契約を取れたのか、達成感を見せながら笑顔する。そして並木道を歩き「僕らの好きな歌を口ずさんでいこう」と口ずさみながら、横断歩道を渡る。

 二番からは、細々と絵描きを続けている様子の彼。帰ってきて暗い部屋で真っ白なキャンバスに向かう。そして、二人でこの部屋で過ごした日々を思い出し、筆を握る。
 休憩がてら向かったコンビニで、彼女との出会い、日々を思い出し、微笑む。部屋に帰り、一度真っ白に染め直し、再びキャンバスへと向かっていく。光が差し込む中、完成した絵を見て達成感の笑顔を浮かべる彼。
 そして歩いていく並木道の横断歩道で、彼女にすれ違った気がして振り返る。その瞬間、様々な思い出の中の彼女の表情が沸き上がって来る。その思い出に微笑みながら再び歩き出す。「僕らの好きな歌を口ずさんでいこう」と口ずさむ。

 最後足を止めた彼女が、彼を振り返ろうとしたところで。この二人の物語は幕を閉じる。

 二人の恋は『Letter』の中で終わってしまった。しかし、その後の人生の中で、あの日々はそっと背中を押す大切な思い出として、二人の中に存在している。共に夢に向かって歩んでいた事。たとえそれが上手くいかなかったとしても、そんな彼の背中を見て励まされていた自分が、今の自分の中には確かに居る。彼女が笑顔でしていた伸びも、かつて彼がやっていた仕草だ。そうした少しの事が、染みつき、自分になっている。
 彼は、中々うだつの上がらない日々に、気分も沈んでいる。それでも、彼女と過ごした日々を思うと、自然と笑顔がこぼれて来る。思い出すのは楽しそうな二人の姿ばかりで、思い返せば微笑んでしまう、彼にとってもそんな愛しく大切な思い出だった事が分かる。そして、今の自分が書きたいことはその日々の中にあることに気が付き、筆を走らせる。
 最後の並木道で、彼女がいた気がして、振り向く彼は、沢山の彼女の顔を思い出す。その中で、彼の背中を彼女が励みにしていたように、教科書に向かう彼女を、彼も同じように心の支えにしていたことが分かるのだ。『Letter』の時同様、浮かび上がるのは彼女の過去の顔ばかりで、今の彼女の顔は映されない。それでも、前と違うのは、そんな彼女の一つ一つが、彼にとって笑顔を伴う思い出に変わっている事だ。別れの時には、今はなき切なさを伴って沸き上がってきた思い出は、今では日々を色付ける優しい記憶として、彼の中に存在し続けている。
 そして二人とも「僕らの好きな歌を口ずさんでいこう」と口ずさむのだ。今はもうなくなってしまった二人の関係は、周りから見れば失敗してしまった恋だったかもしれない。それでも、あの時あの瞬間、あの日々を過ごした事は、二人の中で大切な宝物として生きている。回り道でも遠回りでも、例えその日々がゴールに辿り着かなくても、「僕ららしくいこう」そんな風に、心の中で、囁くのだ。
 振り向いた彼女は、人混みの中に彼の背中を見つけたのだろうか。見つけた彼女はどんな顔をするのだろうか。それは誰にも分からない。
 でも、私は、そんな背中を見て、彼女らしい弾けるような笑顔を見せるんじゃないだろうかと思う。そして並木道を歩く彼の背中も、彼女を励ます大切な思い出として強く優しく刻まれるのではないだろうか。そんな事を思いながら、私は今日もまた、この二人の笑顔や思い出に、ささやかな希望や励ましを貰っているのだ。

【最後に】
 もしこの長い長いレポートをここまで読んでくださった人がいたのなら、まずは本当にありがとうございます。少しでも何か思って頂けたり、もう一度曲を聞いてみよう、MVを観てみようと思って頂けたのなら、私はそれだけで報われた気持ちです。「さらに好きになった」そう思って下さった人がもしいたなら、私はいつもより少し胸を張って、SHE’Sの歌が聴ける気がします。
 この文は、あくまでも私の個人的な解釈や考察によるものであり、正解はないと思います。自由に形を変え、それぞれに寄り添うのが音楽の在るべき姿であると思っています。そして、井上さんはそういった余白を歌に残した寄り添い方を、とても大切にしているような気がします。
 私のように自分なりの解釈をはっきり持ちたい人にも、「なんか好き」と楽しむ人も、どちらもを受け止めてくれるような、そんなSHE’Sの優しさが、より多くの人に届けばいいなと、強く願っています。

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