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喜びの交点-たったひとりのために、エッセイかいてみた-
※まず、こちらのエッセイの説明。
私の友人が、サムネイルに掲載している絵を描いて見せてくれました。
その絵に感動した私が、その友人の為に宛てたエッセイです。
そのため、文章内で登場する「君」はその友人を指します。
今回、投稿するつもりはありませんでしたが、その友人から「公開するべき」という強い勧めと、絵画の掲載の許可を頂きまして、今回このように投稿させて頂く次第となりました。本当にありがとうございます。
そのことを踏まえた上でお読みいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
君と友達になってから、少しずつ世界が広がり始めた。
私は「書く」ことを軸に生きているけれど、君の「描く」世界に触れて、自分の中に新しい何かが生まれた気がしている。
今日は、そのことを伝えたいと思う。
邪悪な決意に目覚めるまで
「コイツのエッセイを書いて赤面させてやろうw」
そんな邪悪な決意が始まる2週間前。君と初めて出逢うことになる。
最初の印象は、「よく笑ってくれる人だなー!」という印象だった。
自分は笑ってくれる人が好きなので、会った時からバッチリと印象に残っていた。それから何度か関わる機会を探しては、その都度楽しくお喋りさせてもらっていた。
まぁ、大概は君が”究極的に言葉足らず”っていうのが面白かったからなんだけど。配信者になれ。
機会があって、私がエッセイを書いてることを伝えると、君は好んで読んでくれた。大変有難いことだし、実際に読者と話をするというのは不思議な感覚で興味深かった。
だって、自分で開発した言葉とか概念とかを
「ほら、エッセイに書いたやつ」「あー!」
というやりとりで伝えられるのは、時短というか、思考共有しているようでちょっぴりSFを感じていた。
あ、もしかして思考盗聴の方ですか?
アルミホイル頭に巻いとこう。
それでも漏れ出るんだけどね、文章は。
とりわけ君はかなり読み漁ってくれたらしく、なにやら気恥ずかしい気持ちだった。それでも「いいね!」と背中を押すように言葉を掛けてくれて心底から嬉しくなったのを今でも覚えている。ありがとう。
「書く」作業は自分の核だ。
それを肯定してくれるのは、嬉しすぎてむず痒い所もある。いいのかな?こんな文章で。という気持ちだ。
君の告白と、新しい世界
恥ずかしさに身を捩っていると、暫くして君の方から「絵を描いてる」という話をされた。
Twitterにも絵は載っけていなかったし、その素振りを感じなかったから、それを聞いた時、少しだけ「違和感」を感じた。
それは普通の人の「絵を描いている」とは違うのかもしれない、と感じたからだろう。
例えるなら、言われたその時の感触が「告白」だった。
そう、振り返る。
その人の中にある、大切にしているけど、心の何かが障害になって進めなくなっていること。
その事を伝えてきてくれた様な、そんな感触だった。
だから、私は表現することの楽しさそのもの。楽しいからこそ表現することを大前提に伝えた上で「無理はしてほしくない」と思ったし、そう伝えた。
恐らく私に伝えた時点で、君は筆を取る事を決心していたようだったから。まずは楽しんで欲しかった。
それでも、筆を折るという選択肢があることも常に知って欲しくて、再三に渡って伝えた。くどいとは思うけど、でも大切な事だと私は感じたのだ。
だって、「絵が価値」”ではない”から。
私は「君と友達になった」
それが価値あることだと、そう思っているからだ。喜ぶ君を見れることが嬉しい。だから絵に価値がある。それが大前提だ。
なので、その告白の後。
楽しみ半分だが、不安も半分。
何か押し付けるような事をしたかもしれないなと心の中でぼんやり考えながら過ごしていた。
そんなある日、君からポンと絵が届いた。
君らしく、「かいた」と言葉足らずの言葉を添えて。
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構図の解釈について
美しい彼岸花を携えた女性。何かに想いを馳せるようだ。しかし、口裂け女を思わせる口紅が、突き刺すようにその意味を伝えてくる。
この印象的な構図は、素人目に観ても分かりやすい。でも、単純という訳ではなく、物語を想像できる余地がふんだんに残されていると思った。
後から聞いた話だが、
「絵画的にやっちゃだめらしい事を全部やってみたw」
そんな構図らしい。
絵画では、基本的に光源の場所を映すこと。そして人物を正面から捉えないことが基本だそうだ。
それを真正面から”ドロップキックをブチ込むような反骨的な構図”には君なりの哲学を感じる。
“それでこそアート”だと思った。
過去の因習を壊して再構築してこそナンボ。
斬新な構図から生まれる「物語の余地」
だからだろうか?
この絵画は私にとって非常に分かりやすいものとして映った。つまり、「写真的である」という事だ。
偶然の産物だろうが、
この絵画は写真としての構図として見れば実に納得がつく。
現代では一般の人がスタジオを借りて写真を撮影するなんてのはザラだし、光源を作り出す事は造作もない。
それに、写真は人を中央に配置して撮影する日の丸構図という考え方だってある。色んな構図を駆使したけど、結局、日の丸構図で撮った方がその人をバッチリ捉えている例なんていくらでもある。
結論、技法なんて上手く写すための技法であって、偶然の産物や新たな遊び心こそアートの中に納めるべきものだ。
そういう意味で言えば、構図の真反対を行った君の構図はアートだし、次のように独特な物語を想起させる。
「妙齢の女性が自己表現活動の為にスタジオを借り、カメラマンにお願いをして写真を撮った。その写真を描いた絵画」
と解釈すると、非常に面白いと思った。
そうなれば、目や頬に力みがなくリラックスしていることに理由がつくし、口紅を挑戦的に口裂け女の形にしたのもうなづける。
もしかすると、この画はどこかの商業雑誌の為のポスター用として写真を撮った。というのを君が描いたのかもしれない。
そう考えれば、この絵画の奥行きは無限に広がる。なんと楽しい絵なんだろう。
込められた意味の解釈
さて、この女性は彼岸花を携えている。彼岸花の花言葉は「追憶・あきらめ・悲しい思い出・情熱」という意味合いがある。
加えて、口裂け女と言えば「ワタシ、キレイ?」という問答でお馴染みだ。
その口裂け女のように口紅を引っ張った彼女。これは明らかな意思表示だ。その意味合いは彼岸花の花言葉と合わせると次の様な意味合いに聞こえてくる。
「私は今も、キレイなんだろうか?」
花は短し恋せよ乙女とは言うが、畢竟、それは社会が女性に強いる美しさの強迫でもある。加齢による衰えは、どうあっても華としての美しさを保たせない。
この絵画の女性は20〜30代だろうか?しかし、美の象徴である髪の毛の量と艶をあまり感じないあたり、美魔女のような人にも考えられる。女性であれば年代問わず考えさせられる普遍性がある。
アンチエイジングは永遠のテーマだ。この絵画から女性の抵抗を感じる。
健康的に見える肌色、まぶたに施されたお化粧を見るだけで、俺が付き合えないレベルの素敵な女性であるのは間違いない。
技術をつけた、美しさ
しかし、それは「維持」でもある。
「若さ」という「成長美の喪失」に哀愁が漂う。
その表情は怒りでも、悲しみでもなく、終わってしまった過去を認める大人の表情だ。
一方で、彼女が着ているドレスは妖艶な美しさを感じるドレスだ。肩口からばっくりと開いて身体の上半身を堂々と見せる格好は、女性のプライドを感じるし、これから彼女が進むべき美の道を示しているかの様だ。
美の抵抗を彼女はしてる。
ただ、それは惨めさでもあるかもしれない。
口紅はシニカルに笑う。
美の追求は滑稽だと、嘲笑う”ジョーカー”のような笑みにも感じた。
色彩について
次に色彩について言及してみよう。
紺色と彼岸花の色の朱色。それに近しい色合いがドレスや髪色に配置されている。
和服によく見られる取り合わせだと思った。紺に朱。私はこの取り合わせが好きだ。特に彼岸花と肌色と、背景の紺色が混じるような箇所には惚れ惚れしてしまう。
これは個人的な考えだが、和的な美もこの絵画から感じる。この女性の凛とした雰囲気を感じるのは、この色合いの妙もあるのだろうか?
さいごに
最後に全体を満遍なく眺めてみた。
やはり気になるのは口紅だ。
逆に口紅さえ無ければ、普通の女性の絵だろう。
この絵画をある種キャッチーなものにしているのは、この口紅だ。想像に入り込みやすい、入り口のような役割を果たしている。
うーん、総合的に観ても物語に溢れた素敵な絵だと改めて思う。独り占めするのが憚れる思いだ。
1月15日
君の絵に対して、あーでもない、こーでもないと楽しみながら鑑賞していると、突然君からDMが飛んできた。
目に入ったのは絵を描いた君の姿だった。っていうか、その横にとんでもなく素晴らしい作品が置かれてあった。その存在感たるや。
いや!すごっ!!!!!
こんな絵画、どっかの美術館で見たことあるぞ!!と思った。
この絵を見たのは、お仕事が終わって退勤する電車の中で初めて見たのだが、言葉通り仕事の疲れが吹っ飛んだ思いだった。
もし君の電話を知ってたらひとまず電車を降りて電話を掛ける。そして、この興奮を伝えてみたい所だった。
それくらい、私にとっては衝撃的だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1737284306-vCWiFKboIwD0JLVrsdxPU9Xk.jpg)
全体観
中央に立っている棒が人間の様に立つ。手前は暗く、鬱蒼とした影に飲み込まれる黒い雑草が、近景から遠景まで大地に敷き詰められているようだ。
小高い丘のように、空との境界線がなだらかな丸みを帯び、どことなく「地球」を感じさせる。
そして地平線から太陽が覗く。これは薄明の空なのだろうか、それとも斜陽へと傾く夕暮れなのか。
地球が見せる、時間の境目に発露する色合いのようだと思った。
この絵を観て、1番に感じたのは「シンパシー」だ。どことなく普遍性があると感じた。
大前提に、私はこの時間帯を朝方と観て鑑賞している。
手前に写る雑草の暗さ。これは辛い過去とか暗澹たる思いと重なって見えた。人生とは、そういうものの積み重ね。この鬱蒼とした道なき暗黒がその象徴の様に見えた。
そして人はそんな道のりを歩いて、今ここまできた。そんな彼に、太陽が上がる。そんな風に感じたのが第一印象だ。
この第一印象は、全ての人に共通して伝わるような物語だと思った。
ただ、この絵は朝方を描いたと捉えるか、夕方を描いたと捉えるかで大分印象が変わると思う。
ここにオーディエンスのその人らしさを感じられる、実に絵画らしい物語性が存在している。
他の人はどう感じるのか。
そう思わずにはいられない。
私は朝方と感じたが、それはこれまでの暗澹とした過去に光が射すようであって欲しいと願ってるからかもしれない。そう自分の願望にふと気付かされる。
反対に、夕方と捉えると、これからの闇が辺りを包むことが予想できる。恐らく、街灯の無い暗がりになるだろう。その恐ろしいまでの漆黒のイメージは、描かれた黒と紫の色彩によって想像するに容易い。
ただ、希望はあるのかもしれない。
中央の棒と並んで、屈む様な棒がある。薄くて中央の棒より遠くて儚い印象を受ける。この棒を人と捉えるなら、暮れなずんで行く世界から、彼にとっての迎えの人と捉えられる。
朝方と捉えるなら、それは希望の来訪者だ。そう考えると、この描写が全体にとって「救い」のように感じる。この絵画の世界観が広がっていくようだ。
本当に素敵な絵だねぇ〜!
色彩について
あと、色合いがとっても素敵!!
絵画とは、こんなに面白いものだっただろうか?そう思うくらい私に刺さる色合いをしてる。Tシャツにしたいくらいだ。
特に手前側の紫色のおどろおどろしさったら!
邪悪な感じもするし、どこか気品みたいなのを感じる。
紫水晶をガスにして、ここにぶちまけたみたい。
色づかいにリアリティがある。そう思った。
加えて、好きな所がある。
手前の草の足元が、キャンバスの色をしている所だ。絵画って基本的に色を埋め尽くすことでアプローチするものだと思っていたけど、ここが新鮮に映った。
むしろ、こうする事で一つ一つの葉脈をしっかり観察できるような、引き込まれる感じがする。その存在感があるからこそ、暗澹なイメージがダイレクトに伝わってくる。そして、太陽との対比がこれでもかと伝わってくるように思えた。
昔、カートゥーンネットワークで、サムライをテーマにしたアニメがやっていたが、こういう技法をすることで、どこか神話じみた世界観を醸し出していたことをふと思い出す。
この絵画全体に感じる気品は、この場所から生み出されているのかも知れない。
さらに私が好きな所は、中央に立つ人の周りが光輪の様に明るくなっている所だ。この人の周りだけ色が少なく、キャンバスの色をそのままに配置して、”モヤ”が無いように感じられる。私が初めて観た時に、朝日と感じたのはこういった表現があるからかもしれない。そのニュアンスは非常に絶妙で、思考の余地があって楽しい作品だと感じた。
結論、この作品が好きだ。
今すぐTシャツにしよう。
最後に伝えたい事
ワーオ!イッツエクセレント!
ユーアージーニアス!!
アンタすげぇよ。
その一言だ。
えっ?逆にこの作品で何か文句言う奴いるの?なに考えてんだぶっ飛ばすぞ?という心持ちだ。素敵な絵じゃないか。少なからず、私は君の絵が大好きだ。ラヴいね!
ただ、世の中の人間というのは変化が嫌いだ。世の中が変わることに対してアレルギーがある人が大半だ。
自分の職場でも、
「将来の為に新しいプロジェクトを立ち上げましょう!承認だけ下さいー!」
と言ったら、50歳くらいの先輩社員にゴネられた。その人は何もやらなくても良いのにコレだ。
人間は、世界に変わって欲しく無い。
「でも、それは嫌だ」
それは私と君の、合言葉かも知れない。
そんな世界、おもろくない。
湧き上がるイメージがそれを許さない。だって、変わっていく過程が1番「自分らしい」のだから。
止められない。
止まらなくて、良い。
もっとありえない未来を描いていたい。
その未来は今の「好き」の中にあると思う。
私にとっての「好き」は「書く事」だ。
毎日、iPhoneに叩きつける様に文字を打ち込む。
その感覚、感触が最高に楽しい。
4✖︎3のフリックが、文字盤の様に浮き上がってるかのようなんだ。タップすると、指先が融けて混じるような「暖かさ」を感じる。
この、感覚。
それが、好き。
それは、止められないよな。
君が、絵を描く時にそんな”何か”を感じて描いているなら嬉しいし、君独自の感覚を絵にして欲しいと思う。
いっぱい描いて、楽しんで欲しい。
でも、それは必ず君の絵が観たいと言う訳ではない。
それを忘れて欲しくない。
だって、「絵が価値」”ではない”から。
私は「君と友達になった」
誰もが称賛する絵を描けても、君が納得しないなら、俺は納得できない。
君が素敵な絵を描いて、私が喜ぶのは、君が何かやり遂げて達成したことに私は真に喜んでいるんだと思う。
絵がなくても、良い。
絵じゃなくても、良い。
変わっても良いし、絵でも良い。
それだけは忘れないで欲しい。
君の「好き」がどこへ行き着くのか。
私はその瞬間を見届けてみたい。
喜びの交点で
僕らは出逢う
「ありえない」未来は
描き変えていく今だ
虎に翼、僕に孤独。