『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(10)
空気が澄み渡り、水平線がくっきりと見える。気持ちのいい朝だ。上り新幹線の轟音が耳に響く。東海道新幹線のトンネル出口の少し上、線路を俯瞰できる道を東に向かって歩く。向かうはこの先にある岩泉寺。僕はよくそこを 訪れる。境内をゆっくりと歩いた後、必ず立ち寄る場所があるのだ。
供養塔。
境内に敷設されている。僕はそこで、失われた命を想い合掌する。
一九二三年九月一日に発生した関東大震災は、関東一円で十万人以上の死者、行方不明者を出した。死者の多くは地震の後に発生した火災によるものだった。ここ小田原でも多くの命が失われている。その原因は火災ではなく、土砂災害だった。市内を流れる白糸川で発生した山津波が根府川沿いの集落を呑み込んだのだ。死者数は約三百人。その多くは女性や子ども、老人であった。
僕が、はじめてこの供養塔のことを知ったのは中学生の頃。話を聞いた僕はむせび泣いた。止まらぬ涙はやがて嗚咽に変わった。話を聞かせてくれたのは、わが師、【立花優子】先生だ。【優子】先生は泣き止まない僕の手を握り、「今のその気持ちを忘れないように」と言った。【優子】先生の教えを守るため、僕はこの場所をときおり訪れるのだ。
僕は、手をあわせながら、ここまでの調査結果を振り返った。
家に帰るとすぐに、PCを立ち上げ、メモ帳を開いた。
事実関係を整理。
〈判明したこと〉
・【渡瀬まさみ】はInstagramのアカウントを持っており、更新を続けている
・六本木にあるクロサワタツキチなる男性の自宅に同居していると思われる
・十月下旬、クロサワ氏とモスクワに渡航している
・モスクワ市内にあるルジニキ・スタジアムでサッカーを観戦
・クロサワ氏が経営する会社はロシアに中古車を輸出している
メモをしばし眺める。
【まさみ】の母親からの依頼は、娘を探してほしい、ということだった。住所までは特定できていないが、六本木ヒルズに住んでいることも分かった、Instagramのアカウントを設定しさえすれば、ダイレクトメッセージ機能で直接連絡をとることができる。すでに依頼には十分応えていると思う。だが、しかし……
気になる。クロサワタツキチという人物のことが気になるのだ。
会社の経営者であるという事実とCircleの書き込みから感じられる落ち着きのなさ、どこか浮ついた言動とがどうしても結びつかない。
「もう少し調べてみよっかな」
クロサワタツキチの会社について調べることにした。まずは社名からだ。
中古車 輸出 会社――検索。
無数の会社がヒットした。
「こんなにあるんだ」
上から順に開いていく。
最初に開いた会社は、従業員数千名超えのそこそこ大きな会社で、中古車の輸出先は三十か国。代表挨拶のページを開くと、クロサワタツキチとは全くの別人だった。次の会社。所在地は北海道。これも違う。次……。一時間ほど、こんな作業を繰り返したが、得る者は何もなかった。
ちょっと効率が悪いな。
Circleの投稿に何かヒントはないか。
東京タワーの写真に目が止まった。ごく最近の投稿だ。クリスマス用のイルミネーションが始まっていて、東京タワー上層部が白く輝いている。
「これって?」
六本木ヒルズ 画像――検索。
丸みを帯びたビル――六本木ヒルズの中心である高層オフィスビル、六本木ヒルズ森タワー――の画像が無数に表示された。
「やっぱり」
クロサワタツキチが投稿した写真には。東京タワーの背後にうっすらと森タワーが写っていたのだ。しかも写真は、明らかに室内から撮影されたものだ。
何度もこの写真を見ていたが、重要なものだとは思わなかった。家から撮影したものだろうと思っていたが、違った。彼の自宅は六本木だ。ならばこの撮影場所は? もしかしたら会社から撮ったものである可能性はないか? 東京タワーを挟んで、六本木と反対の場所は?
Google Mapで東京の中心部を表示する。
港区浜松町だ。
中古自動車 輸出 会社 浜松町――検索。
該当する会社はどうやら三社だけだ。
早速、各社のウェブサイトを確認。まずは一社目。トップページから会社情報のページへ。代表取締役の名前は? 違う。次、二社目。これも違う。そして、三社目。
代表取締役社長の名前は……
黒沢龍吉――
見つけた!
社名は、株式会社ユーズドワン。所在地は東京都港区芝二丁目。設立は五年前。従業員数二十名。資本金一千万円。
更に株式会社ユーズドワンを検索。
会社のウェブサイト以外にこれといった情報はなかった。
再び会社のトップページに戻る。上部のナビゲーションバーには、事業・会社情報・採用・新着ニュースの四項目が並んでいる。順にページを開く。まずは事業のページから。世界の市場において、日本の中古自動車はその品質の高さから高い評価を受けているおり、ユーズドワンもその期待に応えるべく、不断の努力を続けているといったことが書かれている。次、会社情報は先ほど確認済みなので飛ばして、採用のページへ。現在、営業職員若干名を募集しているらしい。最後に新着ニュースのページ。
おや?
最近の話題を掲載するページなのだが、更新が三年前で止まったままだった。