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映画『戦場のメリークリスマス』は戦争映画にあらず

明日、1月15日は日本が世界に誇る映画監督、大島渚氏の命日です。トランボが映画をリアルタイムで観始めたのは、1970年代の後半から。大島監督の作品は、その大半が1960年代に製作されており、それ以降、特に晩年はあまり作品を発表していません。したがいまして、トランボが劇場で鑑賞した作品は、『戦場のメリークリスマス』(1983年)と『御法度』(1999年)のわずか二本だけ。ということで、本日は『戦場のメリークリスマス』にまつわる思い出話にお付き合いください。

本作品は、デビット・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし(北野武)という異色のキャスティングが話題になりました。このキャスティングが功を奏したのか、劇場には多くの女子が詰めかけました。トランボが観たのはたしか新宿の映画館だったと思います。女の子がたくさんいるなあ~、と感じたのを記憶しています。

その後、この話題作は幾度となく、テレビ放映、再上映が繰り替えされました。それは、初めてテレビ放映された直後のことでした。仲良くしていた高校の先輩(その時は互いに高校を卒業しており、先輩は社会人にトランボは大学生となっていました)と戦メリの評価について激論を交わしたのです。先輩は次のようなことを言いました。

「『戦場のメリークリスマス』は駄作である。なぜなら、戦争の悲惨さ、民衆の悲劇が描かれていないから」

当時、大学生だったトランボの言語レベルは大変未熟で、それに明確な反論ができませんでした。「戦争映画=反戦」という方程式が単なる固定観念であるとも思いましたが、それもうまく伝えられませんでした。

そもそも、大島監督は戦争映画を撮りたかったのでしょうか。NOでしょう。この映画のテーマは異質なもの同士のひそやかな交流です。宗教、文化、風習など世界を見渡せば、さまざまな対立構造が存在しています。それらがぶつかり合ったとき生まれるドラマこそが『戦場のメリークリスマス』なのです。人と人との対立が鮮明になるのは? それは戦場です。大島監督が必要としたのは、戦時という状況だけだったのです。

反戦を訴える作品に大きな価値があることは認めます。しかし、戦争映画が必ず反戦を唱えなければいけないというのはあまりにも狭量ですし、そもそもこの本編は単純な戦争映画にカテゴライズしていい作品ではありません。したがって、「戦争映画=反戦」という方程式を当てはめることもできません。

とまあ、こんなことを言えばよかったのでしょうか。

この映画の存在価値は現在においても色あせていません。ウクライナ戦争、ガザ紛争、アメリカの分断など、世界中に対立が広がっています。対立するのは結局は人と人です。『戦場のメリークリスマス』が何かを考えるきっかけになることを望んでいます。

改めまして、大島渚監督のご冥福をお祈りいたします。トランボは『戦場のメリークリスマス』が大好きです。

【豆知識】
本作の助監督を務めたのはリー・タマホリ。のちに007作品を監督することになるのです。

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