時代が生んだ傑作~映画「イ二シェリン島の精霊」
前回に引き続き、映画のお話。
映画「イ二シェリン島の精霊」について。
※若干のネタバレあり。これから鑑賞を予定されている方は鑑賞後にどうぞ。
使用期限が迫っていた某劇場の招待券を消費するために、タイトルだけで何となく鑑賞を決めた作品でした。ストーリーすら知らず、ゴールデングルーブ賞をはじめとする数々の受賞歴のことも知らずに観たわけですが、運命の一品に出会えた感慨を胸に劇場を後にするトランボでした。
舞台は内戦に揺れるアイルランドの孤島、イニシェリン島。そこに住む二人の男性(知性は劣るが気のいい酪農家と思慮深い年老いた芸術家)の関係があと戻りできないほどに断絶していく様を描いています。二人の決裂が決定的となるラスト。最後のカットは、島に舞い降りた死神を挟んで浜辺に立つ二人。
至って私的な物語ですが、トランボはこの作品を反戦映画であると解釈しました。だからこそ舞台を1923年のアイルランドに置いたのでしょう。作品には終始、戦争の暗い影と閉塞感が漂っています。他者への無理解や無配慮が悲劇的な対立を生む。作品はそう訴えています。そして、物語の100年後、私たちはロシアによるウクライナへの侵攻を目にすることになったのです。
戦争への恐怖が世界を覆っています。台湾への武力侵攻を否定しない中国、ミサイル外交で世界を恫喝する北朝鮮。私たち日本人にとっても戦争は他人事ではありません。映画「イニシェリン島の精霊」はそんな現代の空気を纏い、生まれるべくして生まれた作品であると言えます。本作は、時代が生んだ傑作でした。
さて、ここからはトランボの創作に関する話。
トランボは作品に時代性を込めることを目指しています。長く続いた平和な世界の均衡が崩れた現状を作品に残すことが作家の使命であると考えています。それへの回答の一つが映画「イニシェリン島の精霊」でした。トランボが書くのは「社会派ミステリー」です。そのカテゴリー領域において、戦争に突き進む人や国家への脅威をどのように描けばよいのか。答えはまったく見つかっていません。
<作品情報>
小説投稿サイトに作品を公開しています。
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