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『悼む人』~なぜ幽霊?

天童荒太先生の『悼む人』を読了しました。第140回直木賞受賞作品で、2015年には映画化もされています。

人の死を悼むため、全国を旅する青年。どんな人の死も分け隔てなく悼む青年の姿に、ある人は困惑し、ある人は怒ります。物語は彼を取り巻く三人の人物(父親との確執に囚われていきる雑誌記者、末期癌に侵され余命宣告を受けた青年の母親、夫を殺害し刑務所を出たばかりの女性)の視点で進んでいきます。

実は、(天童先生には大変失礼な話なのですが)前半部分で一度読むのを止めようかと思いました。まったく知らない他人の死を悼むために苦しい旅を続けるという主人公の設定に強烈な違和感を覚えてしまったのです。しかも女性の肩の上に幽霊まで現れる! これ、設定がメチャクチャじゃない?と思ったわけです。しかし、こうした作品への戸惑いは物語の進行とともに薄れ、後半はすっかり作品世界に没入してしまいました。

この作品のテーマは「人の死」です。なぜ、この作品が一人称多視点で書かれたのか? それは「死」をさまざまな視点から捉える必要があったからでしょう。雑誌記者は憎んでいた父親を亡くすとともに、自分自身も死に直面します。主人公の母親は家族に囲まれながら、穏やかな死を迎えます。夫を殺した女性は、愛する人の命を奪ったことに対し、心の整理をつけるために主人公とともに旅を続けます。それぞれの登場人物が「死」とは何かを問い続けるのです。

作品のテーマが浮き彫りになるにしたがって、なぜこの物語に幽霊を登場させる必要があったのかも理解できました。それは、死んだ者にも「死」を語らせる必要があったらからです。ここまで来て、前半戦で感じた違和感はすっかり雲散したのです。かくして『悼む人』はわが家の書棚に大切に残しておきたい一作となりました。天童先生、前半の私の大いなる誤解をどうぞお許しください。

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