見出し画像

#犬2 散歩はエゴとエゴのシーソーゲーム

「犬の散歩中、犬が言うことを聞かずリードを引っ張る飼い主」という光景は誰もが見たことのある光景ではないだろうか。
私はダックスフントを飼っている。彼は小さいくせに、コロナで64キロまで太ったわたしを引っ張る力がある。散歩中なかなか言うことを聞かずよく困ったものだ。
引っ張るのはかわいそうなのであまり引っ張りたくないのだが、道路の真ん中で急におすわりしたりする時は焦って引っ張ってしまうこともある。
愛犬は散歩中結構わがままだ。それは愛犬が小さい頃にあまり散歩に連れていけていなかったのが原因だろう。小さい頃の体験が「普通」になるのは人間も犬も一緒なのだな。もっと散歩にいってあげればよかった。
そんな反省はさておき、愛犬はわがままなので分かれ道になるたびにわたしと散歩ルート決定権を争うことになる。
ずっと散歩していたい愛犬のエゴと、散歩はほどほどにして1時間くらいで帰りたい私のエゴがぶつかり合う。そこで、私と愛犬の間で散歩時のルールを定めた。

散歩法第一条
「交差点において、飼い主の行きたい方向と飼い犬の行きたい方向が異なるとき、進行方向を決める権利は交互に与えられる。」

というものだ。
普通は、飼い主がルートを全て決めないと主従関係として相応しくないのだろう。
しかしわたしは一年前からこのルールを適用している。
きっかけは散歩中に愛犬が歩道から路側帯に出ようとする時期があり、それを私が必死に止めていたときのことだ。
犬が道路に出ようとするので「危ないなあ。犬にも、とにかくルールを破りたくなる反抗期のようなものがあるのかな。」と、子が非行に走らないかドキドキする親の気分を少しだけ味わった気がした。
しかし、「いや待てよ、そもそも道路って人間が勝手に作ったものだよな。犬はそれに勝手に従わされているのか。」とふと思った。
道路は危ないから出られない。それに限らず、犬は色んな人間のルールに従わされている。また、そもそも生まれた瞬間から人間に勝手に売られて、買われて、飼われて過ごす一生がきまっているのだ。
そう考えると、今まで愛犬がわたしと違う方向に進もうとする時、「わがまま」「悪い子」だと思っていたが、それは人間側が傲慢すぎたかな。と考えるようになった。
もちろん道路の真ん中でお座りするのを咎めないというのは自分の信念を間違ったベクトルに貫いている行為だと思うのでやらないが、他人に迷惑をかけない範囲であれば愛犬とは対等でいようという考え方に変わった。

散歩法第一条を適用して散歩するようになってから、散歩中のストレスがほとんどなくなった。以前は街路樹があるたびに停まって、木の匂いを嗅いで、尿をかけるので散歩の進行が悪くイライラすることがよくあった。
しかし、イライラするのは自分の思い通りに100%従わせようというエゴがあるからで、勝手なこちら側のエゴに100%従わせるのは可哀想だ。
飼い主の私には愛犬を幸せにする義務がある。彼の意思も尊重して、幸せに過ごさせてあげたい。しかし100%愛犬のしたいようにさせるわけにはいかないので、そこは柔軟にフィフティーフィフティーで対等にいることを大切にしている。

その考え方が最も表れているのが散歩法第一条だろう。
今日も散歩に行ってきた。
愛犬の行きたい方向とわたしの行きたい方向。交互に決め合った。
ギッコンバッコンと、まさにシーソーのようなイメージで。
そんなシーソーゲームでお互いの満足度を上げて、これからも楽しい散歩をしていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!