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私という人間①~こじらせ子供時代編~

はじめまして、kirariraindropです。今までは読む専門だったnote、僭越ながら勝手にデビューさせていただきます。

記念すべき初投稿、まずは自己紹介を。

私は北海道で6歳の一人娘を育てながら、在宅でWeb記事の校正やライティングのお仕事をしています。と言うと、ちょっと格好よさげですが、まぁ大したことはありません。笑

在宅ワーカー歴は4年目。あるクライアントさんとの出会いをきっかけに、WEB記事の作り方や考え方みたいなものを一から学びました。そのお仕事を通して、構成さんやライターさんと協同しながら記事を作るって楽しい!と思える経験をさせていただき、今はもっと編集側のお仕事に携わることを夢見ていろいろ勉強中です。

元は看護師で、トータルすると10年ほど総合病院の病棟やクリニックで働いていました。で、その後創薬関連の会社員を5年ほど経験して今のお仕事や生活スタイルに至る…という感じです。

こう言うと、だいたいの年齢がバレそうですがご想像にお任せします。

ちなみについ先日、誕生日を迎えました。ケーキに歳の数だけローソクを立てたら、軽く大きめの落とし穴ができるくらいの歳になりました。笑

元は「書くこと」「記事をつくること」とはほぼ無縁の仕事をしていた自分がどうして今の仕事や生活スタイルに至ったのか、振り返って書いてみたいと思います。

こじらせてた子供時代

幼少期の私は「笑わない子」として有名でした。

幼稚園のママ友の間では誰が一番最初に私を笑わせられるか?という話題でひそかに盛り上がっていたとか、いないとか…

実際は人見知りが激しく、内弁慶だったに過ぎないのですが、両親が飲食店を営んで共働きだったこともあり、幼稚園の先生からは「娘さんの表情が乏しいのは、親御さんのお仕事が忙しくて、愛情が不足しているからでは?」と説教されたこともあったらしい💦今のご時世じゃ、あり得ない…

ちなみに、娘が生まれたときに老婆心ながら「自分と同じようにあまり笑わない子になったらどうしよう…」と結構本気で心配したりもしましたが、そんな母の心配をよそに、今のところよくニンマリと笑う子に育ってくれています。感謝。

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思えば、小さいころから本が好きな子供でした。とくに母親や祖母が、家事の合間などにいつも何かしらの本を読んでいるような環境だったので、そのことが影響しているかも知れません。

本好きのおかげで国語は得意な方でしたが、「書くって楽しいかも」と初めて思ったのは中学のとき。当時所属していた図書部の顧問の先生(国語教師)に自分が書いた図書新聞を「あなたの書く文章、いいね。」と褒めてもらったことがきっかけです。

小・中学時代は人と話すことがあまり得意でなく、いつも面白いことを言って会話の中心にいるような友達を羨望の眼差しで見つめているような子でした。暗っ。

くちべた故の悲しさで、自分が自己表現するより先に、私以外の人間が語る【私に関する勝手なイメージ】が先行してしまい(○○ちゃんは真面目で優等生なんだよ、とか…)、それをうまいこと払しょくするだけの話術もなく、ただ息苦しさを感じていました。

真面目だとか、狭い中学の中でほんの少しだけ成績がいいとか…、そんなのただの一側面にしか過ぎません。

それ以外の部分もいっぱい持ち合わせての「私」なのに、なんで「優等生」とかいう曖昧なひとことで私という人間を形容しようとするんだ~!!だいだい、優等って誰にとっての優等なんだよ。あなた達に私の何がわかるんだ~!と心の中はいつも反抗心むき出しでしたね。言い返せませんでしたが。結構、とがってました。笑 

今思えば、いやいやどこまで自意識過剰なんだ…こじらせてるわ~自分。と、思わずツッコミを入れてやりたくなりますが、「学校生活=自分の生きる社会のすべて」だった当時の私にとっては死活問題だったんだと思います。思春期ですねぇ…。

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そんな、こんなで、口ではうまく話せないけれど、自分の本当に伝えたいことをじっくり考えて文字を綴ることは、私にとって貴重な自己表現の手段でもあったのかなと思います。日記なんかもよく書いていました。

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今回はここまで。お付き合いいただきありがとうございます。

いや~、全然大した人間じゃないのに自己紹介を長編三部作?なんかにしちゃってすいません…💦ハイ、あと2回続きます。万が一、気が向いたらお付き合いください。

次回は、 私という人間② ~山あり谷ありの社会人編~をお送りします。











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