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私はなぜ、夫の“3度目の海外赴任”について行かなかったのか

2018年7月3日。夫はかの地へとひとり旅立った。10年前に下されたオランダ・アムステルダム、7年前の中国・上海行き。今回3度目となる海外赴任先は、まさかの、またもや、アムステルダムである。「近い将来、またどこかの国に行くことになるんだろうな」とはぼんやり考えていたけれど、まさか出戻りになるとは思いもよらなかった。

ここでは、結婚してから15年間、ずっと一緒に暮らしてきた妻の私が、なぜ今回は帯同せず、日本残留を決めたのか、その理由を書き残しておきたい。

実は、過去2回の帯同について、私は手放しに喜んでついて行ったわけではなかった。
一度目の赴任が決まったのは、転職して半年のタイミング。まさに出鼻をくじかれた。二度目。行きたくなかった一番の理由は「中国が嫌い」。絶対に住みたくない国だと思っていた。しかし、夫や夫の父親によって説得され、結局ついて行くこととなった。もともと私は、海外志向の人間ではまったくないのだ。

もちろん、他の国に住む機会なんてめったにあることではない。知り合いがなく一から人間関係を作るのは、想像以上に辛いものではあったが、実際、得るものは多かったし、移住したことについての後悔は一切ない。オランダという国はあらゆる美意識に目覚めさせてくれたし、中国はともかく中国人は、思ったよりも断然親切でいい人ばかりだった。そして何よりも、現地でできた友達は一生の宝物である。

では、どうして今回は行かないのか?

理由として、実家の親が気がかりなことは当然ある。

加えて、起業して今日で丸2年。あらゆる仕事のお手伝いをさせてもらったが、まだまだやり切れていないところは多々ある。PRについては新しい手法、考え方、言葉は続々と出てくるため、日々勉強・実践しないとあっという間に化石になってしまう。
ゼミやセミナーに行って晒されてみて、自らの「聞く・話す・書く」力をもっと伸ばしたいという欲も出てきた。もっと突き詰めたいし、成長したい。そして何よりも、仕事を依頼してくれた人に、よりクオリティの高いものを提供できるようになりたい。

こんな状態で、どこか別の場所に行ってしまうのは逃げだと思った。
中国での就業経験から、現地で仕事をすることがいかに難しいことか、ネット時代であっても日本との心理的な距離が遠いものであるかも知っている。
もし、帯同したとしても、現地で思い通りに行かないことがあったり(絶対にある!)、本帰国して仕事がうまく立ち行かなくなったとき、また、あの頃のように「夫のせい」にしてしまうだろうという恐怖もあった。
そして、そのことを一番危惧していたのは、何を隠そう夫である。

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オランダ行きの内示が出てすぐ、夫の両親に報告に行った。ややあって、私はついて行かないですと伝えると、義父から「結局自分のことが大事なんだね」とひどく落胆された。めずらしく言い合いにもなった。理由を詳しく話しそうとしても「夫婦は基本一緒にいるものだ」とその場では理解を示してはくれなかった。ただ、頭のよい人なので、後に納得はせずとも意志の尊重はしてくれた。
友人の一部も義父と同様の意見だった。おそらく「自分が同じ立場だったら絶対行くのに」といった具合だろう。もう決めたこととはいえ、他人の意見を聞くたびに「これでよかったのか」という、もやっと感は残った。
もっといえば、愛車との別れも辛かったし、ドライブでのあのひとときも名残惜しかった。

そんな中、「私の判断は間違っていなかった」と思えた出来事が二つあった。

一つめは、今最も伸ばしたい「書く」仕事で、編集者に「超よかったっす!!!」とウソのない言葉で喜んでもらえたこと。「やっとここまで来れた」と涙が出た。これは間違いなく、引っ越しの準備にかまけていたら、迎えられなかった“スモールゴール”だった。

二つめは、今さらながら大ベストセラー『嫌われる勇気』を読み、理由の根拠となる一説を見つけられたこと。(ちなみにこれを読んだというと「嫌われたくなかったの?」と言われるが、タイトルから受ける印象と内容はかなり違います)

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
「いま、ここ」に強烈なスポットを当てて生きよ
ほんとうの自由とは何か

夫が貸してくれたこの本には、全編において「自分の人生を生きよ」ということが書いてあった。義父には嫌われてしまったかもしれないが、あらためて、これでよかったのだと思えた。

今回の任期は、3年とも4年とも5年ともいわれている。何かのタイミングで私がかの地で暮らさない限り、こちらから「おはよう」と言い、あちらからは「おやすみ」と返ってくる、時差8時間の別居生活が続くだろう。終了のホイッスルが鳴るまで、お互いにそれぞれの持ち場で走り続けるのみ、である。

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