「やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいい」そう言った彼らもまた、その言葉に責任は取ってくれない。
父はリアリストだ。
私には公務員になって欲しかったらしい。公務員にも色々あるが、とにかく公務員だ。安定安心の人生を送って欲しかったんだろう。
父自身は機械が好きで整備の資格を有し、今でもバイク修理屋を営んでいる。
しかしバブルが弾けてからはめっきり売り上げは落ちた。春日部にあれだけいたヤンキーたちもすっかりお行儀が良くなり、バイクで無茶して派手に壊してくる者も絶滅した。
みんな貧乏になってしまった。あの頃改造バイクを宝物にしていた若者たちはすっかり実用主義のワゴンRに乗り換えて、車内にくさい匂いの葉っぱをぶら下げている。
それでも歯を食いしばりながら懐かない子供たちの進学のために、たまに来る客に下げたくもない頭を下げ黙って手を動かし続けた。家に帰ってこない日もあった。
「好き」を続けるには、その何倍もの「苦手」や「我慢」を乗り越えて、絶望しても嫌になっても折れてはいけない。それを痛いほど身に染みたからこそ、こんな苦しい呪いの日々を子に味わって欲しくなかったのかもしれない。
しかし血は争えない。娘である私は父の願いも虚しく、お笑い芸人という「好き」を選んだ。そして8年も食えていない。
昔気質の父は女芸人という存在を蛇蝎のごとく嫌っている。下品でうるさくて役に立たなくておまけに汚れだと思っている。
私はそんな父にまだ、芸人をやっていることを言えていない。
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