四十九

オホーツク海に浮かぶ流氷と済んだ青空から吹く冷たい風を浴びると網走に帰ってきたんだなーと感じる。

今日はじいちゃんの四十九日、人が亡くなってから気持ちが落ち着くまでに四十九日はかかるから身近に遺骨を置いておいて、四十九日経ったら納骨しましょうね〜みたいな感じ?らしい。まぁ納骨はその人によってしてもしなくてもいいらしい。じいちゃんの骨は引き続き家に居ることになった。

7月に網走に旅行することが確定しているのだが、墓参りって事にならなくて良かったなーと思う。家に帰ってくるだけでじいちゃんに挨拶できる、良いことや。

人生で初めての四十九日だからどんな儀式が行われるんだと思ったけど、意外と10分くらいで終わった。喪服も着ないし、お焼香を上げて、お経を聞いて終わり。お坊さんはお布施を頂いて帰ってった。あの人たちすげーな。お経を読んで金貰って帰る。ほぼラッパーやん。20分3万円のギャラ貰う坊さん。すげー世の中。人が死んだあとの儀式で大量にお金を取る。葬儀屋もすごい商売だなーと思った。


しかし、四十九日。もう49日も経過したのか?早すぎるな、じいちゃんの死んだ顔を見たのが昨日のように感じる。じいちゃんの遺体のある部屋で一日中麻雀してたこともあって脳裏に焼き付いてるからって言うのもあるけど。時間が過ぎるのは早すぎる。

じいちゃんが死んだ後、noteを書き終えた後、何日間かは働きながらじいちゃんの事を思い出していた。去年の10月、車の助手席にじいちゃんを乗せて運転出来たことがすげ〜嬉しかったなーと思いながら社用車を運転していた。こんな感じで色んなところでじいちゃんを思い出すのかなと思っていた。

でも案外そうでもなくて、数日経ったあとはライブもしてたし録音もしてた、バスケもやって念願のダンクもできた。空いた心の穴ってのは、結局何かで埋まってく。
多分これは「忘れる」って事とはちょっと違うのだなーと思った。いつでも思い出すことが出来る、ただ記憶を大切に閉まってるだけ。

じいちゃんはよく写真を撮っていた、なんて事ない自宅の風景とか、一緒に行った能取岬とか。そういう写真がしまった記憶を引き出すための鍵で、そんな鍵が無数にあるのは素敵なことだなーと。
きっとそれは人それぞれにあって、多分俺にとっての記憶を引き出すための鍵ってのは曲なのかもなーと。リリース1曲目の「なにこれ」を作った時の状況とか普通に思い出せるし。ほぼ日記みたいなもんなんやな、俺の活動も。

ただ、じいちゃんが死んだことによってそのしまっておいた思い出に切なさが付与された。思い出す度に、その思い出のじいちゃんは居ないって事に寂しさを感じる日々。でも思い出自体の暖かさは変わらない。不思議な感覚だね、形容しがたい。MOTHER2のエンディングの時みたいな感じだ。


これは俺が2際の頃の写真。この写真の頃の記憶は無い。多分オーストラリアに居た頃の写真。純粋な笑顔だ、今の俺の作り笑いが霞んで見える。

四十九日のおかげで俺は誕生日を網走で迎えることが出来るらしい。これもある意味じいちゃんのおかげ。じいちゃんと過ごす誕生日っていうのは今までで1度もなかったので、明日は帰宅までじいちゃんの遺骨の前で麻雀の音を響かせる予定。
ちなみに今日はアホほど負けた。ふざけんな。


最後に今日の晩飯を載せて終わり。スーパーの寿司なのに、関東のスーパーの500倍美味い街。網走。みなさまも機会があれば是非。

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