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中田ヤスタカ(feat.米津玄師)「NANIMONO」 結局僕らはさ 何者になるのかな

朝井リョウさんの小説「何者」。朝井さんは同作で、直木賞を受賞した。

この小説を原作にした映画「何者」の主題歌に採用されたのが、中田ヤスタカさん作曲、米津玄師さん作詞の「NANIMONO」。発売日は2016年10月5日となっている。発売日当日に、ミニCDのようなものを手に入れた記憶がある。

映画の予告編に流れるこの曲を聴いて、心が震えた。
米津さんの声が流れてきたっていうのもあるし、その歌詞は今の自分にピッタリというわけではないけど、就活に挑むすべての人たちの想いを残酷に切り取りながら、彼らに刺さりそうな言葉ばかりで・・・。

採用試験の試験官なども経験するようになって、彼らの思いは痛いほど、分かるような気もしてきていたころだった。

大学までの「勉学ができる」というのと、「就活を勝ち抜く」というスキルは明らかに違っていて、コミュニケーション能力とか、その人の持つ明るさとか気持ちよさとか、判断力とかそういったものが総合的に判断される。少なくとも最低限の知識ももちろん必要なのだけど。

で、就職試験を落ち続けていると、自分自身を否定されているような気持ちに陥っていく・・・というその感じ。とってもよく分かる。

何者。

小説も、映画も、音楽もすべて、今の若者たちのやり場のない怒りとか、ゆがみなどをとてもうまく描いていて、50歳のおじさんには、勉強になる部分が大きかった。

「ツイッターの裏アカって何?」って、若い子に教えてもらったなあ・・・。

「NANIMONO」の歌詞を見ていく。

「踊り場の窓から 人並みを眺めていた
僕らはどこへ行こうか 階段の途中で」

踊り場という表現。モラトリアム世代にはぴったりだよね。よく将棋の奨励会(プロの養成機関で、年齢制限がある)が階段に例えて表現される。プロ直前の奨励会三段になっても、そこから上位2人に入ってプロになれなければ、「踊り場」がずっと続く。その踊り場の先に、上りの階段がある保証は全くない。ずっと踊り場が続いていて、プロになれずに、やがて年齢制限がくるという場合もある。

たとえば、一般的に偏差値が高いとされる大学に受かっても、そこはつまり「踊り場」であって、就職など自分が生きていく糧を得ることできるのかどうかは、その時点では決して分からない。

「踊り場」という言葉は残酷であり、最も的確な表現だと感心させられる。

「不確かな言葉を携えて 呼吸を揃えて初めまして
そんで愛されたのなら大歓迎 繰り返し向かえ遠く向こうへ」

ここは、就職試験を表現しているのだろか。
自分自身の本質とは到底思えないような「不確かな言葉」しか用意できずに就職試験に臨む。

「結局僕らはさ 何者になるのかな
迷い犬みたいでいた 階段の途中で」

映画の題名、小説の題名をここで使っている。
「何者」。
大学生の不安定さを見事に表現しきっている。

今の自分も、分かったような顔をして書いているんだけど、50歳になったって、そうさ。「何者」かになったような認識はないし、不安定だし、今もなお、迷い犬みたいに階段の途中をウロウロしているのかもしれない。

就活の大学生を歌った曲でありながら、すべての人に共通する人生のさまざまな過程に刺さってくるという歌詞なんだなあ・・・。

歌詞の見事さ、曲の素晴らしさ。

いつか、米津さんが歌う「NANIMONO」を生で聞いてみたいと思っているけど、たぶん公の場で、この曲を歌ったことは一度もないよね。いつか、聴いてみたい。

2022年10月5日 トラジロウ

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