夢はでかく、欲は深く。
どんな夢でも言葉にするのは自由だ。
むしろ言葉にしなければ叶わない。
胸に秘めた夢があっても、それを惜しむのは、「もし叶わなかったら恥ずかしい」、「言ったら笑われる」
そういった、叶わなかった先の自分のダメージを少しでも軽減するための自衛手段だ。
なぜ断言するかって?
私が数年前までその常習犯だったからだ。
言霊とはよくいったもので、
言葉にすると、思考という形のなかった夢が輪郭を持ち始める。
夢実現のためには何をすればいいのか、今自分はどう動くべきなのか。
そういった道のようなものが、自ずと見えて来る。
もちろん、見えて来たその道が間違っている場合だって大いにあり得る。
何故か多くの人は、間違った道を進んでいたことに気付いた時点で諦めモードに入り
「自分には向いていなかった」
「別にそこまで本気じゃなかった」
そういった自分を慰める都合の良い言葉を探してしまう。
有名な曲で、1万回ダメでも1万1回目に何か変わるかもしれないという歌詞がある。
ここまで偉そうなことをつらつらと書いてきたが、さすがに1万回もトライする忍耐力を私は持ち合わせていない。
しかし言いたいことの本質は理解しているつもりだ。
少なくとも間違った道を進んだことを私は「無駄」にはしない。
そこで諦めてしまえば、費やした時間やそれを考えるために使った頭の容量も無駄になる。
しかし、その後も正しい道を探し続ければそれは、無駄ではなく「経験」という財産にかわる。
誰が言った言葉かは忘れたが、
誰もが知るような偉人と呼ばれる凄い人物が、失敗は成功の途中というような言葉を残していたはずだ。
『夢を実現させる』ということは、今も昔も変わらず
"考え"続け、そして"行動"し続けること。
この二つから成る。
これは水が高所から低所へと流れるのと同様に、人類普遍の原理だ。
私は昔から漫画が好きで、私の知識の8割は漫画から仕入れた物といっても過言ではない。
数多くある名作、そしていくつも生まれた漫画界の名言。
その中でも特に印象に残っている言葉がある。
それは、はじめの一歩というボクシング漫画にて、ジムの会長が選出にむけて放った檄、その言葉が印象に残っている。
『努力が全て報われるとは限らない。しかし、成功した者は皆、すべからく努力をしている』
私はこの言葉を胸に深く刻み、いつか芽が出ることを信じ努力を楽しむ。
夢を語る際によく分不相応という言葉を耳にする。
そもそも、分不相応なんてのは誰が判断するのか。第三者委員会でもあるのだろうか?
日本の美徳の一つである謙遜という文化。
これを使って良い場合と悪い場合がある。
もちろん夢を語る際は圧倒的に後者だ。
自分の能力や可能性は自分自身が一番信じてあげなければならない。
むしろ身の丈以上のものを望むからこその夢だ。
背伸びすれば届くようなものを夢と大仰に語る人はいないだろう。
初めてバットを握った日に甲子園を目指してもいい。
初めて筆をとった日に個展を目指してもいい。
誰でも、いつでも、どんな夢でも恐れず語っていいんだ。
夢を口にする人は、愚痴を吐く人より遥かに魅力的で応援したくなる。
だからこそ私の夢は大きく、そして欲は深くいきたい。
私は夢をここに宣言する。
もちろん、これまでにそういった経験はこれっぽっちもない!
小説も書き始めて二年目のペーペーだ。
だが、この夢が分不相応だとは思わない。
私は自分の書く文章が好きだ!
少なくともここに、自分というファンが一人いる。
ファンの期待に応え、期待を上回るストーリーを書き上げる。
これが今私に見えている道だ。
私の記念すべき一作目の小説を見てくださった編集者の方から連絡をいただき、
ありがたいことに、小説投稿サイトにて連載契約を結ぶことが叶った。
果たしてこのチャンスが大きいものか、それとも小さいものなのか、今の私にはわからない。
仮に、指がかかる程度の小さなものだったとしても、夢実現へのきっかけを掴んだことに変わりはない。