【思い出】私は喋らなくなったらしい

亡くなった母に言わせると、私は小さい頃元気でおしゃべりな子だったらしい。しかしある時期から突然喋らなくなってしまったと。
その頃母がやたらと私に話しかけてきてとても疎ましかった記憶がある。
しかし、ずっとのちに晩年の母と話をしたところ、母はその頃から私が全く喋らなくなってしまったので心配していたのだそうだ。
当時の私は全く自覚症状がなかったのだが、どうも周りの人たちもみんなそう思っていたらしい。

実際のところ、私は小学生の終わり頃に母の出自を知ってから、ただ一人で物思いにふけるようになって、考えごとばかりするようになった。人はなぜ差別をするのだろうかとか。
私が十代の頃はバブルの頃で景気がよかったから、日本全体が好景気で浮かれていて、人を責め立てるような風潮は今よりも少なかったように思う。
実際学校で同和教育を受けたりしたのだが、当時第三者的立場で差別的な言動を耳にすることはまずなかった。
しかし実際に世の中には差別などの社会問題はありえるのだから、それを哲学的、心理的に考えることはできた。それで私自身本を読み漁ったりするのではなく、ひたすら思索し続けていた。それが周囲の人には私が喋らなくなったと思われた原因なのだろう。
また私自身もその頃から周囲の人たちに興味がなくなってきた。実際に周囲の人に話しかけても、こちらが期待するように会話が繋がらなかった。相手の返答はだいたい次の三種類だった。

「考えたことがないからわからない。」

「大陸の方は家族思いで情に熱いって言いますよね。」

「それって貧乏自慢?」

いずれの場合も、たいていそこで会話が終わってしまうのだった。私自身、母が出自を隠すように生きているので自分もなんとなくそれに合わせてしまい、結局いつも肝心なことを言えなかったのだが、それも問題だったのだと思う。
いずれにしてもだんだんお互いに話し相手にならなくなってきた。
それから私は次第に誰にも話しかけなくなった。私は知らないうちにスキッゾイドマンになっていた。

私はときどき自分は心の遠視なのではないかと思う。長年、個人的なことではなく、色々な社会問題を抽象的に考えているうちに心の眼のピントが遠方にしか合わなくなってしまったのではないか。結果的に目の前の人が視界に入らなくなり興味を持てなくなってしまったのではないか。

しかしこの歳になってSNSなどが普及したこともあって、多少なりと話がつながる人もいなくはないことがわかってきた。三十数年目の発見だった。
リハビリも兼ねて、SNS上でいろんな人と少しづつ会話をしていく、そんな毎日だ。

https://ameblo.jp/toraji-com/entry-12450555932.html

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