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【雑記】もう一つの人生を生きるためのこれからの10年間

今日も1日病室で虚しく過ごそうとしている。
明日も明後日もこんな感じなんだろう。
曜日や日にちの感覚がなくなってきた。
今できることをやろう。
それは入院中に入院患者として不便なこと、運営上の問題点を分析し、それを解決するアイデアを考えること。そしてその実現方法を考案すること。それを発明としてまとめること。
それから会社に復帰後に、特許として知的財産部にプレゼンし、内定をいただくこと。
あとは米国本社の世界一の弁理士と協力して、世界中にそのアイデアと実現方法を知らしめること。
そうすれば同じ立場の多くの人たちが助かる。私自身も最小限の体力で実現できる。特許が成立すれば、いつもの賞状と賞金がもらえる。
あとはそれを父親に送り、母の墓前に備えてもらうだけだ。
発明も特許も元はといえば、父が若い頃に見た夢。
父は若い頃、三菱重工の下請けの下請けで設計図を描いていた。
そして海上で事故を起こしたタンカーから漏れた重油を回収する発明を考えたが、大学時代の私と同じ問題、すなわち資金難にぶち当たったのだろう。
ところで、父がその発明を考えた理由はよく分かる。私の父はその父、すなわち私の祖父のもと、呉の港湾で育った。祖父は戦前大日本帝国海軍の呉海軍工廠の現場で戦艦大和などの建造や換装作業に従事していた。
祖父は戦後間もなく、私の父が子供の頃に亡くなった。そのため私は祖父の血を引きながら一度もお会いしたことがない。しかし私の父は私の祖父から造船について多くのことを聞かされていたのだろう。
私自身が子供の頃、父と一緒に湯船に浸かっていると祖父から聞いたそんな話を色々と話して聞かせてくれた。祖父は大昔に亡くなったが、その記憶は父を通じて私の中に今も流れている。そうでもなければ、塾にも行ったことがない無学な私が、50歳、勤続25年で国際的な特許を10件も取れるわけがない。
特にこの10年は母を含む在日の人たちへのヘイトやその心理を分析するための発明ばかり考えていた。特にSNS上のヘイトなどを分析するためにIT技術と組み合わせられる社会心理学に基づいた初歩的な理論について独学での勉強を重ねていた。これは仕事を成し遂げる上で大変参考になった。これだけで私はそのための特許を日米中の3カ国で2件取得することができた。特にハイダーのバランス理論、ケリーのANOVA、スノーボルサンプリングなどの古典的な理論や方法論は大いに参考になった。

しかし、そろそろもう一つの本題に入らなければならない。父親が生きているうちに。
私はこれからもう一つの人生を生きる。残り時間はあとちょうど10年。そのために私は50歳の誕生月末だった先月末まで会社の仕事に集中していた。これによりこの先いつ会社を辞めることになったとしても定年退職はすでに確定している。
これで安心してフルスロットルでアクセルを踏める。

この先は片道燃料で十分だ。

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