【思い出】私の夢(その4)
その後、私は社会心理学の理論を用いたSNS上のヘイトスピーチを含む人間関係の風評被害を分析する手法をいくつか考案して、社内の知的財産部に持ち込んだ。しかし他の技術評価者も含めて、多くの人からこういった題材は民間企業において扱いにくいのではないかというアドバイスをもらった。
そこで私は分析対象を一般的な商品やスーパー銭湯の評判や好感度などに置き換えて再度話を伺った。
すると今度はその分析でどういった価値が創造できるのか、要するに自社としてビジネスバリューは何かということを問われた。
そこで今度はそういったことも踏まえた実益的な利用方法も想定して考え直した。
試行錯誤を繰り返した結果、最終的にSNS上の風評分析手法について2件の特許出願がなされることになった。1つ目はケリーのANOVA(分散分析モデル)を参考にしたものであり、2つ目はハイダーのバランス理論やスノーボールサンプリングなどの社会心理学に基づいた発明だった。
私にとっていずれも初めての単独出願だった。この発明に取り組み始めてからすでに数年の歳月が流れていた。
そしてさらにその数年の歳月が流れて、2回目に出願した方が先に日本の特許庁において特許として成立した。それから数ヶ月してその特許の額と賞金を受け取った。
その年、ちょうど母が亡くなった叔母の後を追うように高血圧による心臓病で倒れてしまい、病院に入院したところだった。私は会社から初めてもらった私の単独による特許の賞状を病床の母に届けた。それは社会心理学の理論に基づいたSNS上のヘイトスピーチなどの風評被害を分析するための発明に関する特許だった。表向きの利用方法はいろいろと考え追加したものだったが。
また私はその賞金でタラバガニなどの食材を買ってきて実家で調理したものを病院に持ち込み両親と昼食をともにした。両親との昼食はとても楽しいものだった。
私は母にその発明の内容について説明しなかった。かえって心配すると思ったから。しかし、母は私の名前が入った賞状にひどく喜んでいた。
また同じ時期に私が先輩にご指導いただいて書いたクラスター分析とテキストマイニングによるログの解析システムに関する社内論文が入選し、いただいた賞状も同じ年に病床の母に届けた。それだけではなくこの時期色々な特許や論文に関する賞状を届けた。
そして、その翌年にもう1つの特許が成立し、同じように病床の母に届けた。それは一昨年の年末のことだった。
私が病院に駆けつけると、病床の母は私が見知らぬ若い大学生の男女と話をしていた。彼らは母の見舞いにきてくれていたらしい。私はその女の子を見てすぐに誰だか分かった。私が大学に通うために実家を離れたあとで生まれた私の伯母の娘であるいとこのお姉さんの娘だった。私は当時から電話で母からその小さな女の子の話を聞くばかりで、会ったことはなかったが、彼女がいとこのお姉さんの若い頃にそっくりだったのですぐに気がついた。
私は彼らの前で気恥ずかしかったが、昨年同様、特許の賞状を母に贈って見せた。彼らも珍しそうに覗き込んでいた。
その翌日以降、その特許の賞金を握りしめて地元の大型スーパーに行き、そこで買った食材で正月料理や牛すじの煮込みカレーを作り、年末年始のお昼に両親と一緒に食べた。
これで私がやりたかった2つ目の夢も成し遂げることが出来た。私はふたつの義をどちらも果たすことが出来た。
小さい頃、風呂で父から特許の話を聞いてから自分が見た夢を叶えるのまでに35年以上の歳月がかかった。それまで私は自分の夢を誰にも話したことがなかった。私は自分の夢を両親にも話したことがなかった。ただ多少匿名のブログに書いたことがあるだけだった。誰にも邪魔をされたくなかったし、母親を心配させたくなかった。
振り返ると大変な長旅だったが、成し遂げられてよかった。
なおその年も深層学習による私の社内論文が入選したので、私は母の枯れ木のようになってしまった手を握りながら「賞状をもらったらまた届けるからね」と言って帰京した。
それまで、私の帰省は年末年始、ゴールデンウィーク、お盆の大型連休に限られていたが、この賞状については貰い次第早めに届けるつもりだった。母親が老いやつれて幾ばくもないことが明らかだったからだ。しかしその年からうちの会社で社内論文の賞状が発行されない方針に変わったため、それを母に届けることが出来なかった。止むを得ないので、GWに通常通り母に見舞いに行くつもりだった。しかしそのGWの初日に母は亡くなり、私は母の死に目に会うことが出来なかった。
その後、数件の特許出願をしていた私は、2度目の特許関係の重要な顕彰状を会社からいただいた。私のそれまでのいろいろな特許出願の業績に対するものだった。しかし私はこれも生前の母に届けることが出来なかった。そのため私はこの間の年末に実家の仏壇の横に設けられた母の祭壇にその賞状を供えた。生前に届けられなくてもったいなかった。
これからも少なくとも数年かけて数枚の症状が届く予定なので、届き次第、母の祭壇に届けるつもりだ。
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