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27年前のテレビの特番が今も心に残る作品だったな、って話です

どもども!とらぎつねです!!

今回はまた、一般人置き去り記事となっております。
もう27年も前に一度だけテレビ放送された特番、「バトルファイターズ餓狼伝説2」というアニメの内容についてです。
この記事の読者対象としては「なぜか格闘が大好きなものたち」となります。
理由もなく「闘いが好き」という人、男女問わずオススメの作品です。
何か、心に刺さるものがあるかもしれません。

<概要は?>

「バトルファイターズ餓狼伝説2」は、SNK発売の人気格闘ゲーム「餓狼伝説2」をアニメ化したものとなります。
当時は空前の対戦格闘ゲームブーム。
スト2やサムスピ、餓狼伝説に龍虎の拳がゲーセンには必ずありました。
それぞれのゲームは一度は必ずアニメ化、映画化などされるほどの人気でしたね。

さてこの餓狼2が放送されたのは1993年。
前作、バトルファイターズ餓狼伝説の続編という形になっております。
簡単にあらすじを説明すると以下の通りです。
・前作で父の仇、ギース・ハワードに打ち勝ったテリー・ボガードが主人公。
・建設現場で日雇いの仕事をしながら流浪の旅を続けていると、ギースの兄であるクラウザーが対決を申し込んでくる。
・クラウザーの圧倒的な力の前に、何もできずに負けてしまうテリー。テリーを慕う少年・トニーが介抱するも、負けたテリーは飲んだくれの生活を送りついには暴力事件を起こし逮捕されてしまう。
・それでもずっと側にいたトニーの想いに応えるよう、復活を果たすテリー。二人はクラウザーの待つ居城へ向かう・・・。

こんな感じですね。

<闘いを好む者たちを魅了する、暗い虚無感>

本放送は視聴率もよく大変好評で、多数のファンレターが届いたようです。
これがきっかけで、次回作は劇場版と決まりました。
一格闘ゲームの単発アニメが、なぜこんなに好評だったのか?
それはこの物語が表現した、闘いというものの熱さと虚無感という、相反するものにあるのではないかと感じています。

格闘技と球技というのは、根本的に違うところがありますよね。
球技はどんなものでも、相手を傷つけたり怪我をさせると反則になるのです。
ところが格闘技は、相手を傷つけたり怪我をさせるようなことが目的です。
もちろん怪我させることなく判定や一時的なダメージだけで決着をつけるものも多いです。
しかし球技ではそれらは絶対に反則であり、学校の体育では球技がほとんどなのも致し方ないでしょう。

そんな危険で野蛮なものが、なぜ好きなんでしょうか。
絶対に球技が大好きな人の方が健全だと思われるでしょうし、私もそう思います。
しかし私は球技に全く興味が湧きません。格闘が大好きなんです。
体育では格闘技と言えば柔道くらいしかやらず、常に少数派の中にいましたが、それでも好きなものはずっと好きでした。

この気持ちを、アニメにて表現してくれたのがこの餓狼伝説2でした。
上記のようなあらすじの後、テリーは一度敗れた相手、クラウザーとの闘いに向かいます。
クラウザーを前にしたテリーが口を開きます。


「俺はあんたが恐ろしかった。二度と会うまいと思っていた。だが今は違う。あんたと闘いたい!そして勝ちたい!命を懸けても!」


それを聞いたクラウザーが返します。


「ふん・・・。お前も闘い無くしては生きていけない男なのだ。私と同じようにな。」
「言うなーーーー!!!」


ここから、ラストバトルの口火が切られます。

私は上記のテリーのセリフに、格闘好きの者たち気持ちが表現されていると思います。
テリーは別に、クラウザーと闘う必要性はまったくないのです。
クラウザーも「俺はドイツの居城にいる。再戦したければいつでも来い」と言っていただけで、それ以上テリーに付き纏ってもいなかったのです。
狙われてもいない、闘っても一銭のファイトマネーも出ない、しかし負けたら死ぬかもしれない。
クラウザーと闘うメリットなど、何一つありません。

しかしテリーは生粋の武道家であり、損得勘定で闘うわけではありません。
心の底から湧き上がってくるのです。「どうしても勝ちたい!」という気持ちが。
これは他人から見ればまったく理解できないことでしょう。
でも本人にとっては抑えようもない気持ちなのです。
自分が自分であるために、絶対必要なことなのです。

闘いの行方はどうなるのか・・・それはアニメで確認してもらうとして、闘いを終えたテリーは同行していたトニーに言います。


「わかったろう。闘いは虚しさしか残しちゃくれない。」


勝利の喜びに歓喜の雄叫びを上げるでもなく、笑顔で抱き合うわけでもなく、ただ虚しさと寂しさををその場に残し、二人は去っていきます。

これが、球技の勝利とは違うところでしょうか。
野球やサッカーで勝った時は、メンバーみんなが笑顔で喜び合います。健全ですね。
しかし私はこの不健全な、ある意味闇を抱えたような結末にまで魅力を感じてしまうのです。
だから格闘技は、闘いは辞められないんだと思います。
同じようなファンレターが届いたのかは知りませんが、とにかくこの作品は人気がありました。
同じように心に刺さった人たちが、多くいたのかもしれません。

<さいごに>

もちろん、格闘がいつも虚しいわけじゃありません。
ボクシングの試合で勝った選手が、涙ながらにセコンドと抱き合って喜びを爆発させる瞬間は何度も見てきました。
やはり格闘技とはいえ、スポーツはチームで挑むもの。
闘う選手を支える全スタッフとともにするのが試合です。
しかしストリートファイトや野試合など、無法の闘いは虚無感を残すものになるかもしれません。
やはり格闘は、ルールとレフェリーありきで行うものだと思います。
お互いに壊し合い、傷つけ合うのが格闘です。
でもルールがあれば、闘ってくれた相手を壊すことなく終えることができます。
格闘は、当たり前ですが一人ではできません。
誰か相手をしてくれる人がいないとできないのです。
その相手に敬意を払いつつ、傷つけ合う。
この一見矛盾する世界が、私にはなんとも魅力的に見えてしまうのです。

なお、余談ですがこのクラウザーを演じたのは既に亡き声優・鈴置洋孝さんです。
80年代のアニメ、聖闘士星矢では紫龍を演じられていた方ですね。
主人公の親友としては頼れる仲間、宿敵としては最強のボスとして、私たちに強いインパクトを与えてくれました。
とってもかっこいい声なんですよね!こんな声に生まれたかったなぁ・・・(笑)

闘いは虚しさしか残しちゃくれない、というラストでしたが、このまま終わらないのが名作たる所以なのかもしれません。
ずっと側で見守ってきたトニーは母親の元へ戻り、去りゆくテリーに言います。

「テリー!おいら母ちゃんを大事にする!でも、いつかきっと、テリーのように強くなってみせるぜ!さようなら!テリー!」

それを聞いたテリー、ゲーム中で何度も披露した勝利ポーズをここでやります!
「OK!」と言って帽子を投げるんですね。
おそらく帽子を受け取ったトニー、ずっと大事にすることでしょうね。
ラストシーンは、こんな爽やかな感じで締められるんです。
終わり良ければ全てよし!とっても素敵な約80分の作品です!

今回も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!

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