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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」08 金鶴泳(きんかくえい/キムハギョン)(その9)
*ヘッダー写真:新宿西口ロータリー
撮影:Kakidai、2018.10.1./CC 表示-継承 4.0/2018 Shinjuku Station WestGate.jpg
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金鶴泳──不遇を生きた在日二世作家(その9)
9.自殺
親しかった翻訳家の姜尚求は、12月27日に新宿駅西口小田急百貨店別館5階のコーヒーショップで金鶴泳と会う約束をしていた。金鶴泳は30分以上遅れてきた。寒い日だったがコートも着ていなかった。
そのあと二人で12時過ぎまで飲んだ。ビールで始めて、日本酒から焼酎まで飲んだ。
金鶴泳は大酒飲みだったが、その日は酒を飲むピッチが格別速かった。悪酔いして別れた。その後姜尚求が金鶴泳からの電話を受けたのは12月31日の夕方だった。
「入院しなければならないかも知れない。まんいちその場合はソウルに同行できなくなるので理解してくれ。1月4日にもう一度電話する。」
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JGSDF Shinmachi Camp, Takasaki - Mar 22, 2010.jpg
1985年1月2日、金鶴泳は家族をつれて群馬県多野郡新町の実家を訪れた。息子の広文は札幌で自炊生活をしていたのでいなかった。妻と娘だけつれて行った。翌3日には妻静子と娘思貴を東京へ送って一人残った。
4日の夜中2時頃、400字詰め原稿用紙1枚に遺書を書いた。
金鶴泳が息を引き取ったのは夜明け前の4時頃だった。享年46歳、ガス自殺だった。最初に屍を見つけたのは弟の妻だった。
姜尚求は金鶴泳の実家を訪ね、位牌が安置された部屋に足を踏み入れた瞬間、驚嘆した。正面に棺が安置されているのだが、あちこちに某首領の写真や朝総連議長の表彰状が露骨に貼られてあったからだ。
金鶴泳は死ぬ直前まで民団系の統一日報の論説委員だったが、父は朝総連の支部役員として任務を果たしていた。
遺書には本名「金廣正」が署名され、日付は西暦の1985年と元号の昭和60年がごっちゃになった「1960-1-4」となっていた。
(了)
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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆参考文献
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!