寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第2回 ジョージア篇(13)
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ジョージア篇(13)
博物館になったピロスマニ最晩年の部屋
暗くなるまでには時間があったため、地下鉄に乗ってトビリシ駅近くの「ピロスマニの家博物館」へ。午前中にシグナギ博物館で彼の作品を観た感動の余韻が続いていたのだ。
住まいを転々としながら店に飾る絵などを描いていたピロスマニは、50歳を過ぎてようやく画家の協会に迎えられたものの、素朴な画風は専門家やメディアから、幼稚、稚拙、とさんざん批判された。
その後、彼は創作の意欲を徐々に失い、最後に間借りしていた部屋で衰弱して亡くなった。その場所がそのまま博物館として遺されている。
ピロスマニ通りと名付けられた小さな通りに立つ博物館はトビリシ駅から歩いて約10分。閉館には1時間も間があったのに来館者がいないせいで、今まさに扉に鍵をかけて早仕舞いしようとしていた係の人に通りから声をかけ、階段下の独房のような部屋に滑り込ませてもらった。
明るい屋外からいきなり入ると、一瞬なにも見えないほど暗い8畳ほどの小部屋にベッドと机と椅子が一脚。
キャンパスに架けられた最も著名な作品の一つ『女優マルガリータ』(レプリカ)だけが哀しげに部屋を照らしていた。
マルガリータは彼が人生で唯一の恋心を捧げた女性。街じゅうの花屋からバラを買い集め、フランスからやってきた彼女の宿泊ホテル前を花で埋め尽くした、というエピソードは、日本では加藤登紀子さんが訳詞して歌った「百万本のバラ」でも知られている。一目惚れで片想いした相手に捧げた不器用な純情と、さびしく暗い部屋との切ないコントラストに胸が締めつけられる。
早く帰りたげな係の人には悪かったけど、隣の資料室で画家の生涯や主要作品の解説ビデオを観せてもらう。
8歳で孤児となってそこを去るまで過ごした故郷カヘティ地方の明るさ、自然の豊かさ、家族の愛情に包まれて育った幼少期、人々との温かなつながりについての解説が印象的だった。
その記憶が、その後の楽だったとはいえない彼の人生と創作活動を支えたのだろうか。そうであってほしい、と願った。画家の人生の最期を、暗い小部屋のもの悲しさだけで留めたくなくて。
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中篇ここまででございます~
「ジョージア篇」全22章((0)~(18)+ブックガイドコラム3本)は、
3回に分けてお届けします! ひきつづき、後編をお楽しみにしていただけるとうれしゅうございます!
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