
寺田和代【Book Review】カルロ・レーヴィ『キリストはエボリで止まった』竹山博英訳、岩波文庫
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「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」
第4回 イタリア・プーリア州篇【Book Review】〔2〕

◆ カルロ・レーヴィ『キリストはエボリで止まった』竹山博英訳、岩波文庫、2016年10月
「家々は谷間の固まった粘土の岩壁を掘った洞窟だ(略)床には犬、雌羊、山羊、豚が横たわっていた。男も女も子供も家畜もみな一緒に寝ていた。二万人がこうして暮らしていた。いたるところから、全裸やぼろを着た子供たちが出現した。私はこうした窮乏の光景を見たことがなかった」
著者の姉が、流刑囚としてかの地に送られた著者を訪ねる際に通過したマテーラのサッソを描写した一文だ。流刑先で医療活動をする著者への土産として聴診器を買おうとしたものの、住人のだれ一人として聴診器そのものを知らなかったという一文も印象的。
今からたかだか80年ほど前の話だ。この地域が当時いかに辺境で、辺境というのみに留まらず超自然的な出来事や神話に満ち満ちたエリアだったかが、著者の鋭敏な感受性を通して濃密かつエレガントな文章でいきいきと描かれている。通り一遍の知識しかなかった南イタリアへの印象が一変された作品だ。
著者は1902年イタリア・トリノの裕福な家庭に生まれた医師、画家、作家。35年に反ファシズム活動の罪に問われた後、マテーラにほど近い村グラッサーノとアリアーノに約3年間流刑された。迷信深く頑迷な村人との暮らしに絶望しかなかった彼はやがて医療活動を通じて、病気ともなればまじないや自然療法に頼るしかなかった人々の心のひだに分け入っていく。
孤独でよるべない囚人の立場に甘んじつつもニヒリズムや悲壮感におぼれることなく、かかわる村人たちの中に人間愛や崇高さを見出していくさまに感服する。高潔とはこういう人を指すのだろう。
流刑体験から7年後の1943年から44年にかけて書かれた本書は今なおイタリア文学史上に残る傑作として讃えられ、文学者のみならず民俗学者にも大きな影響を与え続けている。
現地の2つの街では、この作品を中心に街おこしが展開され、著者が滞在した宿、教会、村長の家などをめぐって作品を追体験できるコースや、記念館となったかつての著者の家には作品の資料はもちろん、当時の村人の生活道具などが展示されているそう。
地図を見ると、マテーラからバス便があり約1時間とある。行きたかった…。旅を終えてから、訪ねなかったことをこんなに後悔した街はない。