林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その7)
*↑ 旧小河内村(詳細は中程のキャプション)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その7)
7)山村工作隊
1951年2月、日本共産党員であった金天三は、秘密裏に開催された共産党第四回全国協議会に連なる会議に出ていた。
四全協で所感派は国際派を地上に残して地下潜行したうえで、中国共産党の支持を受けて暴力革命路線を突っ走る。
金天三は地下組織の一員に選ばれた。天三は夢見心地でその決定を聞いた。
この決定を期に、天三は彼を支えた職安の仲間たちの前から姿を消した。1951年2月、まだ19歳だった。
同年10月、第五回全国協議会で新綱領が発表され、分裂共産党は大同団結していく。五全協はスターリン認可の下で軍事方針を実践課題とした。
この方針に基づいて金天三は山村工作隊行きを命じられた。52年の早春だった。
西多摩郡小河内村に入り、断崖ぜっぺきの谷底の小屋に籠もった。
五全協の軍事方針によれば、村人たちは極貧の暮らし向きで山林地主を恨んでおり、ほとんどが共産党の味方であるということになっていた。
実際には村人たちは山村工作隊を破壊者として警戒していて、敵意剥き出しの者もいた。
この時取材に行った読売新聞の渡辺恒雄は17名の若者に囲まれて、スパイだから殺しちまおうという声が聞こえたと回想している。
血気に逸る仲間を制して取材に応じて彼を安全に帰したのは金天三だった。
金天三たちは山を移動しながら、何の成果を得ることもなく1週間留まった。人殺しをしかかっただけだった。
読売新聞のスクープ記事だけが残り、書いた記者の出世のステップになった。
天三は農民と分裂している共産党の方針を実感した。
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