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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」07   李恢成(りかいせい/イ・フェソン)(その11)

↑ ホルムスク、ソヴィエツカヤ通り(旧真岡、本町通り)
 (撮影:Max Shestera、2012年5月)、CC 表示-継承 3.0

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李 恢成──日本文学に斬り込んだ在日朝鮮人作家のスター(その11)


11.韓国の政変とサハリン訪問


『見果てぬ夢』が発行されたころ、韓国で大事件が勃発した。
朴正熙大統領暗殺である。
1979年10月26日、朴正煕大統領と車智澈大統領府警護室長が金載圭大韓民国中央情報部部長によって射殺されたのだった。

朴正熙大統領の葬儀**
(遺影の後ろに朴槿恵が)

 この混乱に乗じて全斗煥国軍保安司令官がクーデターを実行して軍の実権を握った。
全国で反軍部民主化運動が起こると、1980年5月、全斗煥戒厳令を布告した。全羅南道光州でも大きなデモとなったが、全斗煥はこれを空挺部隊を使って武力鎮圧したため、死者だけで240名以上の犠牲者をだした。世に言う「光州事件」だ。
 
 全斗煥は翌81年9月1日に第11代大韓民国大統領に就任した。
 


 安岡章太郎との対談後、李恢成は小説に手がつかず札幌と東京を行き来しながらサハリン行を模索していた。
 1981年6月30日、駐日ソ連大使館を訪ねてソ連作家同盟に招待を要請し、9月24日に日本法務省から再入国許可がおりた。

 9月30日李恢成夫妻と3男の三人で羽田から札幌に降り立ち、兄妹たちを訪ねた。翌日には義母の家を訪ね義姉豊子のための贈物を預かった。豊子は義母の養女で李恢成の一家がサハリンから引き揚げたさいに見捨てて祖父母にあずけた眼の悪い娘だった。
 10月2日朝、「日ソ友好親善墓参団」の団員60名と李恢成一家3名を乗せた第一宗谷丸は稚内港を出港。翌日ホルムスクに入港した。
34年ぶりの故郷訪問であり外祖父母、義姉との再会だった。
この紀行は『サハリンへの旅』(1983年5月 講談社)として出版された。

李恢成『サハリンへの旅』講談社、1983年5月


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※本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権けいこう舎にあります

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◆写真

ヘッダー写真:ホルムスク、ソヴィエツカヤ通り(旧・真岡、本町通り)
撮影:Max Shestera、2012年5月、
CC 表示-継承 3.0
ウィキメディアコモンズ(ファイル:Второй микрорайон.JPG)

**朴正熙大統領の葬儀
遺影の後ろを歩くのは娘の朴槿恵
著者:Korea Democracy Foundation(韓国民主主義財団) 
http://db.kdemocracy.or.kr
CC 表示-継承 4.0
ウィキメディアコモンズ(ファイル:朴正熙出殡.jpg)

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◆参考文献



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