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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その5)

*↑写真:GHQの前で快哉を叫ぶ朝鮮人たち(詳細はページ末に)

(その4)からのつづき
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」総目次

高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その5)


5)東京へ

 1949年秋上京した。
朝鮮人学校の悪仲間のひとりが同行した。

 この年は、レッドパージによって公務員が大幅解雇され、組合のストライキを含む闘争に対して、国鉄下山事件、三鷹事件などの謀略事件が起きた年である。
前年には朝鮮の済州島で四・三事件が起きている。
東アジアは白色テロが吹き荒れていた。
在日朝鮮人連盟にも解散命令が出ていた。
しかし、金天三である高史明はまだ自分の闇しか気にしていなかった。

解散命令を受け、朝聯会館を封鎖する警視庁予備隊
ソース:国際文化情報社「画報現代史 第7集」(1954年)より。
撮影:1949年9月8日
著作者:不明  スキャン・編集:あばさー
パブリックドメイン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E9%80%A3%E7%9B%9F より


 天三たちは東京郊外の町はずれのあばら屋の一室を借りたが、ニコヨンと呼ばれる臨時雇いの労働者として身過ぎをするしかなく、18歳の年齢を20歳とごまかした。

 職安広場に集まるニコヨン労働者たちは、仕事にあぶれてしまうことが多くなり、毎朝のようにアブレ反対の抗議闘争が起こり、警官隊との衝突も少なくなかった。

大規模な激突が起こったときに警官隊による発砲があり、金天三も警棒で乱打されて逮捕されてしまう。
しかしそのときに起こった「キンテンが捕まったぞ!」「キンテンを助けろ」という叫び声に励まされ、明るい気分になっていった。

 警官側から見れば金天三はニコヨン群衆のリーダーの一人に見えた。金天三は後ろ手錠にされ、めった打ちにされた。憎悪を燃やした警官は金天三の急所に警棒を突き刺した。

 警察署に釈放を求める人々が押し寄せた。先頭にたっていたのは朴烈事件など朝鮮独立運動に関わる事件の弁護をしてきた布施辰治弁護士だった。
数日後、病院で裸にされた天三の下半身は真っ黒に内出血していた。

戦前の布施辰治(1931年頃)
著 作者:不明  スキャン・編集:あばさー
パブリック・ドメイン
アップロード: 2008年12月13日 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD%E8%BE%B0%E6%B2%BB より



(その6)へつづく

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◆参考文献

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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
*リンクなどのご紹介は大歓迎です! ありがとうございます!


ヘッダー写真:(独立運動のリーダー金天海の釈放を歓迎し)GHQ前で万歳を叫ぶ朝鮮人たち
撮影:1945年10月10日
ソース:河出書房新社「アメリカ軍が撮影した占領下の日本」より
所有:アメリカ国防総省
パブリック・ドメイン
スキャン・編集:あばさー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E9%80%A3%E7%9B%9F より


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