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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第4話 真葛の文体を培ったもの――真葛落穂拾い(10)

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10 世界をわからないものに育てるということ  ――説話集『奥州ばなし』


 
 落ちぶれかけた工藤家を守るため、35歳で只野伊賀と再婚し、覚悟を決めてみちのくの仙台に赴いた真葛に、新たに得た姻戚や知人たちが、少しずつその土地の珍譚奇譚をきかせてくれるようになった。そのもろもろの話を語り直して29篇にまとめたのが、『奥州ばなし』である。

『只野真葛の奥州ばなし』勝山海百合訳、
荒蝦夷、2017年

 武士や庶民、僧侶に山伏といった人びとが織りなす物語。そこでは、人びとと狐や熊、猿、猫のような生きものたちとの交感、それに「河童」や「巨人」との遭遇も重要な主題となっていて、土地の人びとの生活世界の底に横たわっている、共同の幻覚の構造がぼんやりと浮かびあがってくる。柳田国男『遠野物語』の先駆けをなす仕事だとも言えるだろう(真葛の死の7年後にこの『奥州ばなし』を書写した馬琴は、各篇に注記までしている)。
 
 『奥州ばなし』のなかには、「影の病」という不思議な一篇も収められている。北勇治という人がいた。外から家に戻って居間の戸を開けてみると、机にもたれかかって佇んでいる人がいる。
いきなり他人の家で何だというのか、なれなれしく、と不審に思ってしばらく見つめてみると、髪の結い方から着物や帯にいたるまで、自分自身だとしか思えない。
顔を見ようと歩み寄ると、むこうを向いたまま障子が細く開いている所から縁側に走り出し、そのままいなくなってしまった。
あとで母親にそのことを話すと、母は何かを隠している風情で黙ってしまった。その年のうちに病を得て勇治は死んだ。母が言わなかったのは、祖父も父も同じ「影の病」で死んだということだった。
影というもう一人の自分は、本体から遊離し漂泊してまでも、果たしたい何かをもっている。ドイツの民間伝承にいう「ドッペルゲンガー」もそうであるように。(芥川龍之介はこの一篇に目をとめて、怪談集『椒図志異』に収めた)

 「龍燈のこと」という一篇は、世に「龍燈」といわれる海中より出る怪火は、実は火ではなく、蛍のように光る小さな羽虫の集まりで、息を吹きかければ散って見えなくなる、だから風雨にみまわれた日には決してあがらないのだという、漁師の話を書きとめる。
だが真葛は、別の人がある晩、別の場所(磐城の四倉)でみたと語った龍燈の話に、その漁師とは違う語り口が現れていたことを心にとめ、こうつけくわえもする。

 ――この夜四倉にて見し光は是とは異なり、いづれふしぎの光にぞありし。

 「わかるもの」は「わかるもの」としながらも、「わからない」ものは「わからないもの」として余白のままにおく。その余白を重んじるところに、「正直」という言葉に真葛が託そうとした心の向きがあらわれているように、私には思える。

(第四話「只野真葛の文体を培ったもの──真葛落ち穂拾い 了)

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※ヘッダー写真:ブロッケン(早池峰山にて)(編集部)

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◆参考文献

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◆著者プロフィール

野口良平(のぐち・りょうへい)
1967年生まれ。京都大学文学部卒業。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。京都芸術大学非常勤講師。哲学、精神史、言語表現論。

〔著書〕
『「大菩薩峠」の世界像』平凡社、2009年(第18回橋本峰雄賞)
『幕末的思考』みすず書房、2017年
〔訳書〕
ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』共訳、みすず書房、2011年、新装版2021年
マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』  みすず書房、2019年
〔連載〕
「列島精神史序説」(「月刊みすず」2020年7月号~2022年9月)
「幕末人物伝 攘夷と開国」(けいこう舎マガジン)!!!!!!
〔近日刊〕
共著『読書アンケート 2024 識者が選んだ、この一年の本』みすず書房

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◆著作権等について


・全文章の著作権は、著者(野口良平先生)に(版権は、編集工房けいこう舎に)帰属します。
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(編集人)


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