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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第4話 真葛の文体を培ったもの――真葛落穂拾い(3)

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3 「大」よりも「小」こそが広く深い


 
 もし私たちが、日本列島の哲学史というものを考えてみるとすれば、そのなかで独考ひとりかんがへは、正当な位置づけを与えられてしかるべき書であると、私は思っている。

 儒教が重んじ、探求するのは、私的な楽しみに自足することなく、天下を治め、民を安んずる治者としての道、すなわち聖人君子の道である。そこから、人間にとっての「私的なもの」(私利私欲や私情)を、低く、小さいものとして蔑視する見方が導かれる。
「女子と小人」は、この「低く、小さいもの」を一括して呼びあらわす符牒でもある。

 これに対し『独考』は、「私的なもの」にとらえられることを、むしろ人間という存在の基底をなす条件だと考える。そしてさらに、その「私的なもの」にとらえられる人間(「女子小人」)が、それゆえにこそ、天下を治め民を安んずるという、「公的なもの」への気遣いをもたずにはいられなくなることのなかに、人間の本質をみてとろうとするのである。
 
 真葛が言いたいのは、こういうことだろう。
 ――これまで儒教では、大なる治者が小なる被治者を主導すべきものだと考えられてきた。だが、大なる治者の道よりも、小なる被治者の道のほうが、じつは広く、深いものなのではないか。

 このような、前代未聞の画期的な理路を構想し、表現しようとする真葛を支え、力づけたものは、真葛が読みえた日本の古典にあった。
『古今和歌集』(10世紀初)に、編者の一人紀貫之きのつらゆき(872-945)が寄せたひらがなによる序文、「仮名序」である。
真葛は、幼少期に荷田かだの蒼生子たみこ(1722-86、春満あずままろの姪)、長じては村田春海むらたはるみ(1746-1811)に日本古典文学と国学――和文脈の系譜とその意味――について学んでいたのである。

 10世紀の初頭の列島では、「日本語」という概念自体がまだ生成途上の段階にある。国の公文書は、東アジア世界でのいわばグローバル・スタンダードである中国語を模した漢文で書かれていた。
縄文期以来、長く無文字社会でありつづけてきた列島は、中央政府が大陸王朝との朝貢・冊封関係を結ぶようになって以降、一方では、一般の人びとの生活において文字をもたない複数の地方語が共存し、もう一方では、中央の知識人や官僚によって中国語(漢文)が用いられるという、引き裂かれた二重の言語状況にあった。

 そのなかで、辺境の列島から新たな文字言語をつくりだそうとする努力がはじまるのである。


→ 真葛の文体を培ったもの――真葛落ち穂拾い(4)へつづく

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※ヘッダー写真:最古の古今和歌集写本「高野切(こうやぎれ)」
(巻第一春歌上の冒頭。五島美術館蔵 /『高野切』倉田実、昭和18年)

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◆参考文献


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