とらぶた自習室(8)勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第1部「外圧」第5章-1,2
野口良平『幕末的思考』みすず書房
第一部「外圧」 第5章「残された亀裂」-1、2
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筆:栗林佐知(けいこう舎)
2023年2月14日のメモ
理解できてないところも多々と思いますが、自分流の内容メモと時々、自分の思いを……。
■ 日本列島、内乱に!?
「日本内で争わず、みんなで列強と平等な開国を目指そう」と、
諸勢力の間を駆け回って人々を、思想と行動をつないでいた、坂本竜馬と中岡慎太郎が殺されてしまった……。
「大政奉還」で将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返し、せっかく平和裏に政権交代が為されようとしていたのに……。薩摩と討幕派の公家による「王政復古のクーデター」が起こり、 誰が主導権を握るか、ギラギラした争いが始まる。
列強に黒船で囲まれながら、同国人同士の殺し合い、内乱になってしまったのだ。
ダメじゃーん!!
■正統性を説明できない、ちゃっかり新政府
しかしなんだって、薩長による新政府が、主導権を握る大義名分があるのか。
だいたい薩長は、生麦でイギリス人を斬ったり、下関を通る商船を撃ったりしてたくせに、なんだって不平等条約で開国した政権の担当者に、ちゃっかりなりおおせたのか。
「幕府はダメだから俺たちがやる」というなら、幕府とどう違うことをするのか。
それを薩長の彼らは説明できない。
当たり前だ。
彼らは主導権を握りたいだけで、どんな国を作るか、これまでやってきた攘夷とはなぜ必要だったか、何も理念がないのだもの。
天皇による「条約勅許」もあり、彼らはいつの間にか攘夷をあきらめて「不平等条約の下の開国」を続けることになし崩し的になっていた。
いわば「転向」していたのだ。こっそりと。
もし必要があってそうするなら、それでもかまわないだろう。
しかしその場合は、どうして考えを変えたかを申し述べ、これからどうするかちゃんと方針を言うべきだ。
だが彼らは、なんら「転向」の宣言もせず、《魔術の使用》p93によって《転向の事実の隠蔽》を行った、と著者は説く。
■世直し、御一新から維新へ
この魔術は、この変革をどう名付けるか、にも関わっていた。
「世直し」から「御一新」。
そして、いつの間にか上層部が使い始めた「維新」。
言葉が変わるのに従って、新しいはずの時代が、どす黒く曇りはじめる。 その地滑りのような有様が、膨大な史料から描き出される。
幕末。 武士たちも庶民も、もっと暮らしやすい、人間らしく生きられる世を思い描いて「世直し」を語った。
やがて、 「御一新」という言葉で、人々はやってきた新しい世を語るようになる。自分たちが主人公になる、新しい世だ。
著者は、隠岐島の庶民たちが「武芸と学問の自由」を求めてたちあがった一揆の宣言書に「御一新」という言葉が誇らしく使われていることを紹介する。
そしてまた、それと同時期に、長崎裁判所で出された "「御一新」はおまえら庶民がうかうか喜ぶような世じゃないんだからな” と上から目線で叱りつけた「御諭書」を引用する。
「御一新」の定義を、するっと上から変えてしまった例だ。
この「御一新」と同時に「維新」という、庶民にはあまり聞き慣れない言葉が、「上からの改革」の言葉として使われはじめる。
次第に、新しい世の主人公の座は、薩長指導部だけに独占され、庶民たちはどんどん外されていった。
■その魔術、他人ごとじゃない
それより何より、ぎょっとしたのが、新政府の「魔術」に、自分もしっかり足をすくわれかけたことだ。 (なんという体験型の書物だろう。もうへとへとだ)
A:「攘夷には2種類あって、外国をただ打ち払えというのが小攘夷。大攘夷は、戦わずして彼らを服従せしめるやり方。先だっての帝の条約勅許はそれである」
これは津和野藩の国学者、大国(野々口)隆正の『尊皇攘夷異説辨』(の勝手な現代超訳)だ。大国は若き日、平田篤胤の門人として国学をまなびつつ、長崎で蘭学者吉尾権之助から西洋の学問を学んだ人、その人が75歳にして自分の掲げてきた攘夷とは何だったのか、これからどうすべきか、考えた書だそうだ。
「戦わずして相手を服従させる」なんてステキなんだろう。心を打たれてしまいようになる。
かたや、中岡慎太郎(↑ヘッダー写真)が同志に書き送った「愚論窃かに知己の人に示す」はこういう(メモ社の勝手な現代超訳)。
B:「そもそも攘夷というのは、我が国だけのことではない。やむを得ない場合には世界のどんな国だって、同じことを考えなくてはならない」
いっしゅん、険しいな、排他的な姿勢かな、などと身構えてしまう。
だが、中岡は、攻めてくるわけもない「北朝鮮のミサイルを打ち落とすために(どうやって打ち落とすんだよ)ミサイルを買え」などという現代の軍隊すきすきオジサンとは違う。実際、軍艦で脅されて開国を迫られ、悲惨な植民地状態に置かれるかもしれない、という、理不尽なピンチに遭っていたのだ。
こういう弱い立場の者が直面しなくてはならない、理想的な開国のための“攘夷”という思想について、その根本から定義を試みたのが中岡慎太郎なのだそうだ。
中岡は、「陸援隊」という軍隊をつくり、土佐藩が新しい政治体制で活躍するための支援をしようとしてた。
中岡は、もうどうしようもなく必要があるなら、アメリカの独立戦争みたいに列強を相手に戦争しなくてはならないかもしれない。それくらいの覚悟で、平等な関係を勝ち取ろう、と考えていたみたいだ。
え~戦争はやだ~~ と反射的に思うが、Aが何を言っているか、中身をハタと考えさせられたとき、私はぎょっとした。
耳あたりのいい言葉に、自分がどれだけふらふらと踊らされてしまうかを自覚して。
Aはまさに、新政府の「魔術」のしくみなのだ。
天皇による条約勅許は、「戦わずして服従させた大攘夷」なんてものではない。ごく普通に、攘夷を諦めて列強の圧力に屈した結果だ。
老いた攘夷論者としては認めたくなかったのかもしれないが、あざといレトリックだ。 ましてや為政者がこれを採用してはならないはずだ。
この手のレトリックや、レトリックとも言えない「言葉」によるむちゃくちゃなラッピングに、我々はどれだけ騙されやすいか。
安倍ちゃんの「美しい日本」に本気で感動する人はあまりいないかもしれないが、「平和を守る」「戦争をやめさせるため」というお題目にふらふらして真実を見ないではあっというまに足を掠われてしまう。
■独立戦争と侵略戦争
中岡の「場合によっては独立戦争が必要かもしれない」という理論は、当時、きちんと現実を見て分析するのが必要な為政者なら、自覚しなくてはならないはずの真実だったろう。
「戦争が必要だ」などと聞くと私は、「チェチェンにNATOが爆弾を落としたのは必要だった」と言っていたリベラル風の歴史学者を思い出してげろげろげーっとするが、まず、幕末の彼らと21世紀の私たちとでは置かれた立場が違うし、戦争の意味も全く違う。
それに、よくよく考えてみれば、 明治帝国日本は列強とは戦争をしなかったが、80年かけて隣国や近隣アジアの国々に対して、かつての黒船よりも何百倍もエグい攻撃を仕掛け、あげくに破滅したのだ。 中岡の独立戦争の方が、かなりましかもしれない。
独立戦争していたら、いや、すわ独立戦争、と身構えてそれを直前で回避したら……ひょっとしたら、近代日本は、あんな鉄さび血みどろの帝国主義にはならず、今また加害の反省をうやむやにしたまま、またぞろ庶民を軍隊に行かせようとする政府にノーともいえない私たちにはなっていなかったかもしれない。
坂本竜馬には華やかなイメージがありすぎて、リベラルな人たちからはかえって「ケッ」と思われがちだが、 中岡や坂本の考えが育っていたら……という物語は、 少なくとも「信長がうるさい奴を全員殺して天下統一してくれて平和を作った」などという物語より、もっと人の口の端に上ってほしいと思う。
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